一度や二度の悲しみじゃなくて

だいたい野澤と真田の話をしています

Say anything, anything, anything

目の高さで赤い光が青に変わったことにふと驚かされた。そうだ。ここは、2階の部屋だったのだと、今更のように気付く。
夜、暗い中に浮かぶ光。その赤と青は、同時に灯ることはないのだ。窓に自分のうっすらとした姿。それだけを遠くで見て、そのまま足をけつまずかせて倒れるように、ベッドに倒れた。
たぐるようにやわらかい布地を掴んで中心部へと体を動かす。指先に、頬にひやりとした布の感触が触れる。
眠ろう。目覚めれば、朝だ。
朝になれば、もっといろんなものが
見えるはずなのだから。


陽の光にまぶたをさされて、ぎしりと何度かかたい瞬きをしてから、それを開いた。あぁ、朝だ。重さの残る体を起こしていく。
広がる部屋は、見えるようにはなっても、ただ白かった。何もない。ベッドの上に座ったまま背面の壁を見上げる。
息を吐く。
傍らにあったままの鞄の中から、束を取り出した。何枚もの、写真を。
白い壁に、写真を、はる。
何枚も。何枚でも足りない。
覚えておきたかった。何もかもがなかったことのようには、したくなどなかった。
はりながら同時に、それがかなわないことも、知っていて。




「…夢ぇ?」
最近立て続けに見る夢がある、とついもらしてしまった。そういうスピリチュアルなことにはわりと影響される方だから勘弁してほしい。そういうのをばさりと切り捨ててくれるだろうと思ったのだ。たぶん、ふと。
「えっなにそれ。前世のムーンドリーム?それともなんか世界線が集まってきてる?」
「いやごめん何の話」
意味のわからない固有名詞が出てきて、手と首を振った。たぶん次元の違う話だ。どんな夢物語も、奴の住む世界ではありうるものだから。えぇー、そういうシチュエーションの話なんかあったかなぁー、なんてことをいまだ呟いている。
「で?それって?どゆの?」
はやい口調でなんでもないことのように切り返されて、きっとこの夢の話もなんでもないことのように軽いものなのだと感じられて口を開いた。すらりと言葉が出てくる。ひとりだ。暗い部屋でも、明るい陽がさす部屋でも、変わらずにひとりで、そうして俺は写真をはり続けて、そうして見上げるのだ。
あてはない。
ただ、それしかすることがわからないみたいに、そうしている。



一通り説明を終えると、目の前がしかめ面になっていた。
「…いや、えと。なに」
考えていた範囲には見当たらなかった反応にたじろぐと、むすりとする。若干怒っているようにも見える。
「ほんとさぁ、ほんとなんでそうひとりになっちゃうの?夢くらいもっと明るいの見なよ!」
「いやそんなこと言われてもどうにかできるってわけじゃ」
「努力!それこそ写真を枕にしくとか!!」
口応えしても言い返される。それは現実的なのかどうなのか。閉口していると、更に咎めるような目線を跳ね上げられた。
大きな目。強い、それ。
「…さすがに誰の写真用意したらいいかくらいは、分かってるよね?」
そう追及されて、俺はいよいよ言葉が出せなかった。喉に言葉がひっかかる。


夢の中であんなにも写真をはりつけているのに、俺は、そこに何が写っているのかを覚えていなかった。



けれど今日もまた夢を見る。目覚めたら写真をはる。そうして写真の中にあった昨日を続かせるように、まるで。
それでも何かが足りない。何かを思い出せない。
夢の中の自分はただ、ただたどるように写真をはりつけてゆく。昨日を抱えていられるように、覚えていられるように、残していられるようにと、ただ。ひたりと。
ひたりと。


目が覚める。これは本当の世界だ。
まなじりが熱い。そのことは分かっていてもただまるで無視をした。拭う素振りをするのは、負けだと思った。



いつもと違う。
俺がいる。
夢の中の俺とは別の、それを見ている俺が。
「俺」は、俺がいるのにはかまわないように、手を伸ばしていく。写真に。壁に。その動きを繰り返す。
「…なんで」
動きが止まる。
「…なんでだよ。いつまでそんなことしてんだよ。いつまでもおんなじもの眺めてたって、なんにもかわんないだろ!」
もう離れたのだ。俺とあいつは交わらない。それで平気だと言ったのに。
「なんだよ!別に、ひとりでもやっていけるって、やってかなくちゃいけないって、そうだろ!!」
そう思うのに、部屋の中の俺は写真をはり続ける。まだ足りないと、そう言いながら。
「バカじゃねぇの!こんな、こんなことしたってひとりになるって分かってんのに、ひとりだって、見せつけられるだけなのに、なんで!!!」

「…なんで」

初めて。「俺」が口を開いてこちらを見たから思わずたじろいだ。
「なんで、昨日と明日が地続きだって、信じられないの」
俺と同じ顔で、同じ声で、俺を見上げる。言葉が出ない。喉にひっかかる。だって、そんなの、お前がいちばん知ってんだろ。過去に戻れたことが一度でもあったか。隣からいなくなった奴が、また側に戻ってきたことが、あったか。この口で、何度別の決意を口にしなければいけないことがあったか。そんなのお前が分かってないわけ、あるはずがないのに


ばさりと。
頭の上に紙がひらめいた。
何枚もの、何枚もの写真。そこに写っているのは、いかにも見過ごしそうな、小さな景色。
「…足りないのは、昨日を信じることだよ」
「……」
今まで座り込んでいたベッドの上、立ち上がって俺より数段背を高くした「俺」が写真の雨を降らす。
言葉を降らす。
「細かく何があったかなんて忘れてしまってたっていい。ただ、ただ昨日がちゃんとあったってことだけ、絶対に覚えてないといけないんだ。そうじゃなきゃ、」

…そうじゃなきゃ。そう口にしたところで、声は止まった。
扉の方から、声がする。「俺」のではない。俺のものでもない。
声が。

「ただいま」
ぱちりと、部屋の灯りがついた。なんでもないことのように。当たり前のように。
スイッチに手をかけている彼を見て「俺」が笑う。春みたいだと思わされた。涙が溶ける。ただでさえ潤みがちなその目が、更に揺らいで、けれどそれを湛えたままでいた。
その訪れは、幸いなのだから。

「遅くなったけど。…ただいま」
細身のシルエットが近付く。少し足を引きずっているのは気のせいだろうか。その名前を呼ぼうとして、口を開いて、




俺は電話の主の名前を呼んだ。電波の向こうで聞くのもいつぶりだろう。相手は着信が途切れた早さに驚いたようだったけれど、名前を呼んだきり途切れたこちらの言葉を、ただ抱き抱えるように待っていてくれる。
「…ねぇ」
それでも、何秒かした後、何かをすくいとるように呼び掛ける声が聞こえる。
「ちゃんと、並ぶから」
声が、近くで聞こえる。
本当なのだと思った。
ひとりはいやだった。並ぶと、追い付くと、隣にいると言う人間が、いる
まなじりが熱い。見えはしないのだからと、手の甲でぐいぐいと乱暴に拭った。笑う声がするのは、気のせいだ。
「ね、だからさ、すぐ40日で俺だって追い付くから」
「…は…?あの、なんの話…」
「…え、気付いてないでとったの。バカじゃないの」
そう突き放すような声は、あの頃のままだ。何も、変わりはしない。


もう誕生日になったよ。おめでとね。
そう、電話の向こうで笑う声が聞こえた。