一度や二度の悲しみじゃなくて

だいたい野澤と真田の話をしています

台詞の海に身を浸して(「He is penetrated with someone.」日本語版)

真田佑馬、といういわゆる”演技班”である自担を持っているわけだが、一度徹底的に考えたいと思っているのがジャニーズ演技班の「キャラクター型/叙情型」分類だ。この2つの項目は07年3月の日経エンタテインメントでニノが『硫黄島からの手紙』に出演した直後辺りに組まれた特集の中の一図表による。

 

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この通り、ジャニーズ事務所に限らず当時(からほぼ今までと言って差し支えないだろう)活躍していた役者を「キャラクター型/叙情型」および「和風/洋風」を掛け合わせた4つのフィールドに分類している。

本誌ではそれぞれについての説明は

マンガの登場人物に代表される「キャラクター型」で、控えめでナチュラルな演技ができる叙情型は少ないと言われている。

といった程度しかなされていないが、同等の主旨を追記するとすれば、この引用が適しているだろう。

 

《アナログな二宮とデジタルな櫻井》

ゼロ年代のドラマを振りかえるとき、二宮和也櫻井翔の存在は象徴的だ。ふたりの対比には、ゼロ年代のドラマ全体の趨勢がクリアに反映されているからだ。

二宮は、倉本聰の『優しい時間』のような文芸/映画的演出の作品に起用され、櫻井は、宮藤官九郎の『木更津キャッツアイ』のようなアニメ/マンガ的演出の作品に重宝されてきた。倉本聰は、富良野という聖域にひきこもることで、情緒ある普遍的なドラマを成立させてきた。一方、クドカンのドラマで多用されるカット数や会話の情報量が多い演出は、携帯電話やインターネットが普及し、情報環境が肥大した日常を反映した現代的な手法だ。

両者を違いは端的に言うと、アナログ/デジタルと表現できる。倉本ドラマが求める、情感や奥行きを込めた演技がアナログで、クドカン・ドラマが求める、作品のスピードと同化するような記号性の高い演技がデジタル。*1*2

 

 

ざっくり、ゆっくりとした流れの文芸的な作品に合う演技が叙情型、スピードのある演出に合う、あるいは記号的に演じるものがキャラクター型だというわけだ。

 

何度見ても、翔くんを軸として末ズが点対称状態なの面白すぎるし、この時点での出演ラインナップが『金八』、『ごくせん』、『金田一』、『野ブタ』、『サプリ』、『たっ恋』だった亀梨さんが叙情型寄りにあるのは、彼が背負わされた背後の物語性が透かされているのかなどと考える。

あとこの雑誌が出た当時それこそ倉本作品である『拝啓、父上様』に出ていた最中であるヨコがおもっくそキャラクター型にいるの超面白い。いや実際キャラクター型だと思うんだけど、あの人は演技がキャラクター型っていうんじゃなくて、おもっくそ二次元設定みたいな役ばっかりくるからや。*3

 

 

今この図をつくりなおすのであれば、ニノと同じような位置に風ぽんが来るんだろうし、斗真が洋風寄りの翔くんと同じような位置かなと思う。

翔さんが今なおデジタルな役者かというのは『ブラックボード』や『神様のカルテ』を挙げるとぶれてくると思うのだが、基本の軸はやっぱりデジタルだと思っている。

 

 

翻って。

真田の場合は、どちらかというとキャラクター型の役者だと思っている。ただしそれはあくまで、これまでに出た作品がおおよそキャラクター型演出に偏っているためだとも。

 

野澤をして 

きっと真田は役者気質なんだよ。憑依型っていうの?ドラマやってるときって、プライベートでも役の雰囲気引きずってるじゃん。テレビ局の廊下ですれ違っても、目も合わせず小声でブツブツ言ってるし(笑)。*4

 と言わしめ、そのブツブツ言っているというのは

3年B組金八先生』の時、武田鉄矢さんにセリフの覚え方を聞いたら、「体になじむまで覚えなさい。どつかれても言えるようになっていたら、もう大丈夫だよ。」と言われて。それからは体に入るまでブツブツ言うようにしています。*5

 って話だし、そのせいで廊下どころかトイレに行っても野澤さんは朔也くんに会うはめになるし、ライナスちゃんなんてかわいがられキャラをやるっていうのに萩ちゃんに石像扱いされたりする。

挙句、

余韻はガツガツにひっぱるほう(笑)。舞台にしろドラマにしろ、大事な仕事が終わったら髪を切らないとダメなんだよね。絶対に1週間以内に美容院を予約する。それでふだんの自分に戻るっていうか。そうやってリセットしないと、終わってもそのことばっか考えちゃうから。*6

というのが真田という人間である。

 

要はだ。

憑依と言うのも足りない。降ろすというよりも、そのキャラクターに体を明け渡す系の役者なのではないかと思っているのだ。

 

 セリフを呟く。 何度も何度も、体に叩き込んで、それが自分の中に根を下ろすまで。

 

 

そういうわけで、いざ叙情的な作品が来ても、その役を体に宿した姿を見せつけてくれるのではないかと思っている。

 

 

6月に決まったコインロッカー・ベイビーズが果たしてどちら寄りの作品か分からないのだけど。

私は、真田だけど、真田の顔と体と声をした誰かを見に行くのだ。誰かに体を明け渡したあなたを。 

 

 

 

*1:09年刊『別冊宝島 ジャニーズ超世代!「嵐」を呼ぶ男たち』なお、原文ママ

*2:この引用レビューを書いた成馬零一氏は後に『キャラクタードラマの誕生』という本を出版しており、キャラクタードラマを自身の造語として4種の定義を挙げている。

・漫画やアニメを原作とするドラマ、もしくは漫画やアニメの表現(方法論)を作に持ち込んだドラマ(例=『南くんの恋人』、『金田一少年の事件簿』、『ケイゾク』)

・役者のキャラクター性に強く依存したドラマ(例=木村拓哉が主演のドラマ)

・主人公の個性がドラマの前面に出ているドラマ(例=『古畑任三郎』『相棒』)

・人間の内面をキャラクターという表現で描いたドラマ(例=『野ブタ。をプロデュース』)

*3:この雑誌よりも後だけど、清四郎とか本間さんとかゲストでヴァンパイアになったりとか夢人お兄ちゃんとか0号室の支配人とかな!!!あれ0号室ノベライズ見たけど、あの支配人ヨコが採点マシンつくった人物の孫とか業にとらわれすぎだわ!!!

*4:D1310

*5:STAGE SQUARE vol.13

*6:D1410