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一度や二度の悲しみじゃなくて

だいたい野澤と真田の話をしています

生き物と僕とにまつわる寓話

稽古場を出ると、にやにやと楽しそうな顔に眺められる。
「…なんですか」
壁にもたれて待つという演出をするのも多少面倒くさい。いやまあこの人の場合そういう"ベタ"が好きな昭和の人間だからなぁと、こっちからも笑い返した。カオルくんは組んでいた腕をほどくと頭をかきながら、タスク、どーよ今回の筋書は?と見上げてきた。濃いまつげが上向きになり不敵な顔を見せる。角度も決め込んでいるのかもしれない。
「どーよって」
「ていうかあいつは?まだやってんの?」
「稽古つけてますよ。タケとウタのところ」

今回の題目は幕末、ことに明治維新が舞台のものだった。若くその跳ね上がるほどの身体能力を売りの一部としている俺たちの組としては当然のように、そこには大掛かりな殺陣が組み込まれている。
二人はとりわけ年少の存在だ。新入りというほど経験が浅いわけではないが、こと所作が必要なものとなるとまだ十分な技量が身に備わっているわけではない。拾われたのには年の差がある。
俺もついさっきまでは一緒になって面倒を見ていたのだが、突き放されて出てきたのだ。
「お前たちは同じ軍なんだし戦う必要ないだろ」と。


あいつはそういうやつなのだ。稽古の最中から既に、二人に自分への敵対意識を植え付けようとしている。役に入るとすぐにこうだ。ある意味血が上ってる。あいつの顔はもう、崇拝する軍隊長ーーそれは目の前にいるカオルくんが演ずるーーのために謀略すら図る奇兵のそれだ。そうして俺は、戦場で幾度かまみえた末最終的にその命の灯をかき消すーー義兵の役だった。
「まあーそりゃ頼もしいこと。こっちの軍に入れて正解だったなー」
「…楽しそうっすね。俺、カオルくんならあいつのことこっちにやると思ってましたよ。だってこっちがヒツジくんが隊長じゃないですか」
「あぁそう?いやぁーだぁってねぇ俺」
ヒュウと口笛でも吹きそうな面持ちのカオルくんは更ににやりと笑い、俺を指差して続けた。
「番になってるやつ同士が戦うとかって、超ーっ好きで燃えるの」


「ねぇーカオル、ツガイってなに???」
彼が表情を決めたところで、後ろから無造作にひょいと、無邪気な顔が現れた。
カオルくんが驚きはするものの振り返って口を挟む間もなく、流れは怒涛となる。
「アキそれはな、だいたいのところ男女のペアを指す。簡単に言えば夫婦ってことだ」
「えぇーそっかひぃやっぱ頭いいー!っていうかえっ!タっちゃんたちって夫婦なの?どっちがお嫁さん?タっちゃんの方が背ぇ高いからタっちゃんお内裏様すんの?」
「バッ、バカ俺はな!そういう下世話な話で言ってないんだよ!やめろそういう想像させんの!見たいかあいつのドレス!」
「俺は兄貴として喜んで送り出すけどな。目元なんか女らしいし、意外ときっと似合うんじゃないか?」
「けっこうゴツいぞ?!」
「っていうかカオル、恥ずかしくなるんならそういう言葉使わなきゃいいのに」
「うっせーわ!お前らがへっ、変な風に言うせいだろうが!そんなつもりでなんか言ってないわ!!!」
…一挙に、波のような応酬に巻き込まれて差し挟む隙を見失った。
問いに答えたのは一緒に現れたヒツジくんだ。先に触れたように、この度は俺の側の軍隊長として立っている。あいつには負けるにせよ、俺も十二分に、彼のことを尊敬している。
くるくると表情を変えるのはアキ。年は俺たちの一つ下でありながら今回の役柄は副隊長であるーーそれは彼が、この組の中核となっていることを言外に示していた。拾われた時期は、そう変わらないというのに。それでも彼を、どうしても憎みきれないというのは、背丈も伸び青年期になった今も失われない天性の爛漫さによるものだっただろう。彼が俺たちを愛するように、俺たちも皆彼を愛していた。
「変かな?キリンと言うなればウマだし、がんばれば番えるんじゃないか?」
「いやそれ何の話っすか」
ヒツジくんがさも平然と話を続けるのに、ようやくツッコんだ。ウマはまぁあれとして、キリンって俺のことか。そりゃあ背丈のことでそう自称したこともあるけど。っていうかただでさえ夫婦の想像で苦笑いしか出ないのに、その上獣姦みたいな話やめましょうよ。
「…まぁそういう番の話はともかくだ何も交われって言ってるわけじゃない。それにあいつの前でならお前には、こっちのキリンが似合ってる」
苦い顔を素直に出していたらしい俺に対してそうして至極真面目な顔をして、銀色の缶が、目の前に掲げられた。

「……そっちかよ!」
正しい反応が分からず出足の遅れた俺に代わってツッコんでくれたのは隣のカオルくんだった。
ハッハッハッハッ!と高層ビルの屋上にでも立ったヒーローのような笑い声を上げているヒツジくんを、アキが呆れた子どものように口を曲げて見ている。
「なぁタスク。お前は何にだって、あいつの神様にだってなれるって、忘れんなよ。何かあったら空を駆けて、迎えに行くんだ。いいな」
ヒツジくんは最後にと何かを伝授するかのように、輝かせた目で俺の両肩を掴んだ。
…なんだ。なんの話だ。アキに、酔っぱらいー!、と引きずられていくように連れていかれる人を眺めながら、俺とカオルくんとで互いに呟いた。

「マジ、酔っ払うと尚更筋がわかんねぇなヒツジ」
「…はぁ、まあ」
「…お前、まだ未成年だっけ?」
「まぁ、ギリギリ」
「呑まれるなよ」
「…はぁ」



「なんかヒツジくん笑ってたけど。何してたんだよ」
少し息の上がったまま落ち着かせようとゆっくり放たれる声と、汗の気配がする。今度は俺が驚きにすぐさま振り向かれない番だった。
「おっ終わったのか。タケとウタは?」
「…へばってますけど…一応ここに…」
「うわいた」
カオルくんの問いかけにようやく向きを変えてよくよく見ると、その背後に二人が一緒にいるのにも気が付いた。壁に手をつきつつ、まだ音が漏れるような声でなんとか話している。
「で?なぁさっきのって」
ヒツジくんのこととなると気になって収まらないらしい。更にせっつくように睨め上げるので仕方なく俺が口を開いた。長い、黒々とした睫毛が濡れた目を縁取る。

「…俺とお前が、番だっていう話だよ」
「はぁ?」

汗に濡れた前髪の下、眉が上がる。胸がじくりとした。
未だに。未だに、だ。
目の前の男から、心を開ききったような素振りは、与えてはもらえないでいる。

「いや何もな、お前のドレス姿想像して笑ったわけじゃないんだよむしろあいつ似合うと思うって言ってたし」
「いや結局何の話なんですかそれ」
疲れてあまり考えたくなさそうにした結果垂れ流れるカオルくんのセリフは更に混乱を招く。兄貴分相手では分が悪いように控えめに言うのに対して、傍らで少しずつ生気を取り戻してきたらしいタケが、あぁ、と気付いたように声を上げた。

「タスクくんたち二人が、欠け難い対だってことですね」


タケが閃いたようにそう言うと、ウタも、たぶんそうっすねと同調した。
番って、まぁ男女のことも言いますけど、普通に一対のもののことも言いますよ。
俺たちの中でと言わず世間一般で問うても学のある部類に入る二人が言うのだ。間違った知識でもないのだろう。カオルくんはようやく言いたかったことが報われたとでも言うような顔をしていた。


「だって、タスクくん分かってます?俺たちを殺陣で稽古場に残していくとき、すごい目してましたよ」


そいつを手にかける時が来たとしたらお前らじゃない。それは俺のものでしかないんだって、それが当たり前みたいな。






暗い瞼裏を陽が刺したせいで眩しく、何度かしかめた後に目を覚ました。

ーー夢を、見ていたのだ。体を起こす。
(何年前だ…?3年、……4年…)
あちこちの骨をゴキリと鳴らして尚、その後に見たはずの表情がうまく思い浮かばなかった。自分の感情は覚えているのだ。俺にしても、役と同化したようなーーあるいは宛て書かれたーー感情はあいつ同様に沸き立っていたのだということを。同じだと、いうことを。

あれから何年も経っている。状況は随分と変わった。タケとウタは組を離れた。まだ幼いとも言える年齢ではあったが、それでも守り育てなければならない対象を見つけたのだ。別の場所に分かれはしたが交流を持ち、よい関係を築いていると言える。
カオルくんたちの組から、俺たちも巣立った。
そう、『俺たちは』巣立ったのだ。



ひとりで目覚める朝も、次第に慣れてきたように思えた。
そう自信を覚えようとしたせいだろうか、寝起きの散漫になった頭を鴨居にぶつける。
その瞬間鮮明になった。
『それは俺のものでしかないんだって、当たり前みたいな。』
その言葉に、滲むような愉悦と、そうして泣き出しそうな表情が掠めた、あいつの揺らぐような姿が。



駆けろと。本能が囁いている。