一度や二度の悲しみじゃなくて

だいたい野澤と真田の話をしています

夜の最中の寓話


控えめに響いたノックの音は同居人のそれではないだろうと思い込んだのが原因だった。後輩のどちらかだ、そう考えたのは半分当たり半分外れる。扉の前にいたのは気まずい顔をしたタケとウタ、それからその真ん中で両腕を捕らわれたーー否、寝顔をさらして担がれた、奴だった。



「すみません、俺らが今日の稽古のところもうちょっと、って話しかけたら勢いづいちゃって」
勢いがついたのにこうも満足げに眠っているとはこれいかに、なんて深く考えなくても分かる。
「まず話しかけられることでそもそもテンション上がるし普段から芝居のことしか考えてないから喋りだしたらとどまりないしとりとめもないし、ただでさえ今日体力使ってたのに疲れに気付かないで気持ちだけわぁーーってなるから、で、ちょっと目を離した隙に倒れてただろ」
「…さすがタスクくん、見てきたみたいに話すんッスよね。それね」
俺が一息で返した言葉にウタが微妙にひきつった笑いをする。それは、タケとの微妙な身長差のせいで、支えたこいつの重さが僅かばかりにでも多めにかかっていそうなせいかもしれなかったが。

先達たちであればここで放り捨てて俺に正面から預けさせるところだったろうが(意識のある俺にばかりいたたまれなさが残るやり方なのでやめてほしい)、できた後輩たちは目線で少し伺いを立てた後に、部屋の中への連行を再開した。
「あの、どっちすか寝床」
拾ってもらったここで暮らす以上、基本はどこも相部屋だ。それはタケとウタの場合もそうだし、例外と言えば最年長のヒカリくんくらいだ。率先して声を上げたタケに奥、転がしといていいから、と指し示すとしゃがみこんだときにバランスを崩したのか3人で布団に顔から突っ込んだ。誰も手をつけない状態だったのだから仕方ない。バスンと音がする。途端に面白くなったのかけたけたと笑いながら腕と布団とから抜け出した2人に対して、結局放り投げるのと大差ない形で投げ出されたにも関わらず、こいつは相変わらず平和な寝息を立てていた。
「あぁー、あぁーやべ。超ウケる。この人まだ寝てるし」
衝撃や声程度ではそう起きないだろう。朝だって人にアラームをかけさせておいてちっとも起きやしない。
…こいつの場合、睡眠が何よりのリカバリーと、リセットであることを理解しているものだから、許さざるを得ないと信奉している、自分の質が悪いのだけど。絶対直では言うもんか。

…けれど。


あーあ、と立ち上がって横をすり抜けた彼らを呼び止める。
「あ、夜にすいませんでした。そのまま俺らの部屋で寝せといてもいいかなーって、ちょっと思ったんですけど」
「あ、いや、むしろわり、寝てる人間運ぶの大変だったろ、で、いや、そのそれと」
却って先に謝りを立てる彼らに少し舌の回りがもたついた。
それは、
「あのさ、ひっくり返しといてくれる?そいつ」
後ろ手に指を差した。不思議そうな顔をされるから続ける。
「こいつさぁ、窓の方見て寝ないと落ち着かないっていうんだよ、いつも、…だからさ」

さっきうつ伏せで倒れ込んだところを肩なり足なり掴んで整えられたその体は、こちら側を向いた状態だった。
ーー…正直な話。この配置で、俺を視界に入れずにいようとする結果が、その癖を生み出しているのだろうと思っていたのだ。口に出す試しは、なかったけれど。
それこそ口元がひきつりはしなかっただろうか。そもそも少し目を伏せがちだった。どれだけよっぽど俺の表情の方が雄弁なことだろう、と改めて苦笑いが沸きそうになったところで、返事の間が空いた2人にはてなが浮かんでようやく顔を上げる。2人は俺と目が合ったあと互いに顔を見合わせて、ーーパッと同時にこちらを見て言った。

「よくないスか?もう完全に寝落ちてるんだし」
「は」
「そうすよ、だいちさっき俺たちのとこで意識落ちたときも、窓の位置とか関係なかったしこの人」
いやそれは、俺との場面じゃないからじゃないのか、そう言ってやりたかったがその前に、2人はもう一度軽やかに扉を開ける。

「さっきも言ったじゃないすか。ーータスクくん、案外分かりやすいですよ」

タケがにやりと笑ってひらりと身を返す。後ろに続いたウタがやっぱりにやにや笑って、そっちの人もね、と部屋の奥を指差して消えていった。残されたのは俺と、寝息だ。



…なんだよ。なんなんだ。
なんだかくたびれた。もう俺も寝てしまおう。電気を落とした。
暗がりに慣れなくとも、この部屋の距離感には慣れている。近い自分の布団に潜り込んで向こうを眺めたところで、大してものも見えやしない。

ーーそれでも。いつか近くなるのだろうか。欲しくてやまないその視界に、俺を認めてくれるのだろうか。
そうなら、どんなにか。


ふとせがむ思いでにじるように畳を這わせた腕の先が、何かに触れた。
「うわ、」
途端にびくついて上がった声で分かる。こちらの肩が跳ねる。


指だった。

意識していなければこんなところにまで、伸ばされやしない、ましてや今みたいな声なんて起きて、…起きていなければ。


バタリと勢いよく寝返りを打った。俺は扉の方を睨み付けながら必死に意識を飛ばそうとする。いつ目を覚ましたんだこのたぬきやろう、この隣に固執しているのは俺だけじゃないんだなんて、僅かでも錯覚ならさせないで、もっとスポットライトの下で認めろ、この、この

ののしり言葉を解き出そうと思ったのに叶わない。
何か向こうからの足掛かりがあるそのことが、俺は、うれしくてたまらなかったのだ。



夜の最中、この意図せずして訪れたもらいものを抱えていては、俺はもう確かに、背中を向けるしか堪えようがなかった。