お前はその愛を外から見たかーー劇団番町ボーイズ☆×10神ACTORコラボ公演『甘くはないぜ!3』<オモテ>
初めての大阪公演!と福岡に入ってきました。
まずはあらすじをと思ったのですが自分で書いてたら2500字とかまた長くなってきたのと解禁時の公式と実際がちょっとずれているので、公式をもじる形で初めにちょっくら。
<あらすじ>
激動の時代の中、日本で初めてチョコレートを作った(!?)サムライたちの物語。
……時は幕末。世の中が大きく変わろうとしていた時代。
ひょんなきっかけで、その時代にタイムスリップしてしまったショコラティエの主人公。
そこで出くわしたのは、長崎を追われた侍や騒がしい長屋の住人たち、愛を謳うキリシタンに旧幕府軍を掃討せんとする新政府。
それぞれの決意や守りたいものが、立場が異なるなら力を持って争うしかないのか? いいや違う。行なわれることになったのは「しょこらとる」対決。
「茶の席での友好を」と願いを込めて。死ぬことを厭わず武器を向け合うのではなく、思うまま自由に生きようという気持ちを胸に。
激動の時代の渦にのみこまれつつ、主人公は最高のチョコを作り上げ、元の時代に戻ることが出来るのか……!?
壮大な歴史ロマンを、甘ーいチョコレートでコーティングした、 日本初、幕末スイーツバトル演劇。
自分で書いた細かい方も最後に置いときます。
よい顔。
ーーーー
1853年黒船来航を始期とする「幕末」の終わりの定義には67大政奉還、68江戸開城、69箱館戦争終結、71廃藩置県等々揺らぎがあるらしく、新旧統治陣営が混在していた時期を単純に二分することはできないのだろう。だからこそこれらの流れは視点を変えれば「明治維新」の端緒とも言える。
それでも確かに『甘くはないぜ!3』は、「維新」ではなく「幕末」の物語だった。
これは、過去を切り捨て袂を分かっていくのではなく、残した思いを引き連れて、自分を見つめ共に行く人々の話だったのだから。
*
導入の語り部として常吉が顔を出しはしたが、実質的なストーリーテラーはスコーン卿であっただろう。スイーツバトルを提案したのも彼であるが、OP前には葛切に向けよりよい未来への期待を投げ掛け、そうしてまた大団円ののちに「新しい風が吹くでしょう!」と言葉を残したその導き手としての態度は一貫している。
反面、俯瞰、というのは渦中の人間には難しいことだ。もやもやしたものを抱えて、自分に自信がなくて、でもこんな自分でもいいんだ、と実際に思えるようになるには結局「自分が」何かに直面することでしか叶わない。現代からタイムスリップしてきた千代太はショコラティエを選んだ道筋に迷っていたが、幕末の仲間と共に得た体験(それは勝っても負けても)を越えて自分を取り戻していく。侍でありながら剣術が不得手であった餡之丞も、場を戦ではなく友好の一歩へと転換することで刀を有用とすることができた。スイーツバトルへ向け奮闘する中で千代太は興奮して声を上げるのだ。「ようやく役に立つときが来たんですよ!僕も、その刀も!!」
また対決後のエンディングでは、いくつかの縁が結び付き直す。
新旧軍勢として過去に斬り結んだことのある葛切と饅次は酒仲間として。弾圧を挟んでいた政府の聖護院とキリシタンの天使郎は「仲直り」を。そうして慕情故に嫉妬に苦しむ寺数は同じく天使郎から愛を教わった藤次に、他の考え方を示してくれる喜多衛門に、"推し"を支える益兵衛に、多くの手を向けられて歩き出す。柚之介もまた、戦うことも死ぬことも選べなかった幼さから抜け出し、「生きる」道を拓く姿を見つけていた。
あるいはその契機となった饅次と柚之介のシーンで明確に言葉にされるが、この物語の彼らは決して完璧ではない。それどころかちょっとおかしいくらいに自由で、それこそ芝居役者にのめり込み"推し活"に多大なエネルギーを注ぎ込む益兵衛であれ、他人の評価がどうであろうと好きに生きる喜界であれ、彼らは歪で、だからこそどこか愛おしい。
スコーン卿が初めに未来を示唆し葛切が応えたタイミングで「現代の」悩める千代太の登場が交差し、千代太が神頼みする場面から「神様の子」天使郎と寺数のくだりが映るなど、この舞台は数多くのシーンが同時に折り重なる。そうした舞台の手前と奥、上手下手の構成の絡まり具合は、座組の人数の多さも相まって一見での陣営の整理がなかなかに難しかった(己の理解力はひとまず置いて)。またその整理の立ちゆかなさは、千代太の置きどころが埋もれてしまっていたせいではないかな、などとも思う。例えば影が薄いなら影が薄い、頼りないなら頼りないという面こそを強調しなければ主人公としての演出は事足りないわけで、本当に影が薄くては話を引っ張る存在としては認識しづらい。この場合、千代太の影が薄いわけではなくて他のキャラが濃すぎるというのが正しいだろうけども…!
この物語の雑多さは、千代太ー餡之丞ー天使郎という三角形が決して綺麗に出来上がってはいないことによったのだろうな、と思う*1。
ただし、私は批判として述べているわけではない。先も言った通りだ。
「歪だからこそ愛おしい」。
これが明確に「千代太が主人公の」物語として練られあまりにすっきりしすぎていては、おそらく物足りなかったのではないだろうか*2。雑多で、それぞれが己の人生を暴れまわって、皆が涙が出るほど笑ってしまうような。そんな物語だった。
*
私がよく引く本に、こうした言葉がある。
「愛」というのは、もともとはっきりと対象をみさだめて、その存在をたいせつにし、いとおしむことである。目のまえに存在しない対象への渇望感とは、かなりちがう。いま、ここに、存在している対象の、美点も欠点もわきまえて、それでもなおその対象をたいせつにする行為だろう。
*3
みんな、みんなおかしくてかわいくて大好きでした。
だとすれば、私がこの舞台で得たのは紛れもなく「愛」なのです。
<あらすじ長文版>
新政府軍と旧幕府軍の戦火が続く明治元年。戊辰戦争の端緒である鳥羽・伏見においては新政府が勝利を収め、その形勢は次第に傾きつつあった。
幕府軍の大敗より数日。ただでさえ旗色の悪い長崎奉行所に、奉行・河津祐邦が出奔したとの報が入った。しかし残された侍・天見餡之丞(糸川)は、指導者を失う状況にも関わらず軽快に受け止め、遊撃隊士・胡桃柚之介(矢代)の非難もかわし後追いで長崎を出ようとする始末。2人は薩摩の追手である葛切黒蜜(佐藤)、織吾藤次(三岳)や兵(青木)らから逃げ切るも、そこにはタフィー・ナッツ将軍(南米)、クロテッド・スコーン卿(関岡)等米英の思惑も絡む。世情は混迷を極めていた。
「あなた方新政府に投資するのは、未来をよりよいものにするためです」
「もちろんつくってみせますよ。この国の輝かしい未来を!」
残された卿の台詞に一人返す葛切。
時は幕末。
世の中が大きく変わろうとしていた時代。
<OP>
時が流れた現代。
ショコラティエの青年・加賀尾千代太(二葉要)は頭を抱えていた。一大イベントであるバレンタインへのプレッシャー、店長としての責任、それらのせいで自ら買い込んでしまうチョコレートと反比例して減っていくお金…。おかしな両親も当てにならず、なぜこの職業を選んでしまったのかとまで悩み始める千代太は、偶然出会った有名パティシエ・天見団護(糸川二役)に激励を受け、傍らのお稲荷様に願を懸ける。先祖の代から自分の仕事は決まっていたような気がする、そう力強く言う団護を思うと頼りなくもへたれた気持ちだけれども、どうか、どうか、バレンタインがうまく行きますようにと。
神への願いが重なるように、場面は再び幕末へと戻る。
新政府からの苛烈な弾圧の中にあるキリシタンたち。甘草天使郎(坂田)、埴井寺数(松島)もその難の例外ではなく、殊に”天草四郎のうまわかわり”とされる天使郎への追撃は鋭いものであった。天使郎は敵にすらも愛を向け、寺数を逃がしてひとり投降することを選ぶ。成す術もなく、世の不条理な有りように憤る寺数。彼は力尽きたところを商人・番町屋喜多衛門(佐田※福岡公演)に拾われ、急速に金の力に目を眩ませていく。
そうして。
いつの間に眠ってしまっていたのか、千代太が目を覚ますと辺りは様変わりしていた。現代の東京にいたはずが、ここは明治元年、博多改め福岡だという。訳も分からず行く当てもない千代太は、神社で出会った飴売りの常吉(西原)からひとまずの宿として長屋を紹介される。
折しも長屋では、大家の加賀尾益兵衛(二葉勇)が喜多衛門、寺数から借金の返済を迫られていたところだった。和菓子屋の傍ら勤しむ歌舞伎役者への”推し活"と、借金との天秤に嘆く益兵衛。店子と言えば謎の発明家・安納喜界(馬越)に酒と博打ばかりの侍・酒蒸饅次(堂本)、誰もかれもちゃらんぽらんで普通でないし、そこへ常吉がまた得体のしれない千代太を勝手に連れてくるものだから悩みが尽きるわけもない。
その喧騒の中で話題に上がった「しょこらとる」。南蛮渡来の甘い菓子だという。千代太はそれがチョコレートであることに気が付くものの、自分がショコラティエであること含め、アクの強い面々の前では流されうやむやになってしまうのだった。
その頃、長崎を発った餡之丞と柚之介、彼らを追う葛切と藤次にナッツ将軍とスコーン卿、また捕らえたキリシタンの視察に下ってきた公家・聖護院是清(織部)らもまたそれぞれ、福岡に集っていた。餡之丞とスコーン卿は別々の場所で、尚、異口同音に願いを謳う。「武力ではなく、茶の席での友好を」と。
また新政府のキリシタン弾圧に難色を示すスコーン卿は、新聞記者・小倉羹羊(梶原)をうまく使い、天使郎の解放及び日本との交渉を立ち行かせる案を巡らせはじめる。
その夜はちょうど祭り。皆が浮かれる音を遠くに聞きながら、藤次は牢中の天使郎と邂逅を果たしていた。百姓の出であり、力を求めるために自ら刀を持った藤次は、"天草四郎のうまれかわり"に何を武器として戦ったのかを問うも、それは愛だと言われ思わず悪態をつく。そんなもので勝てるわけがない。愛など、そんなもので強くなれるわけが。反発する藤次に天使郎は、ただ当たり前のことのように、愛の強さを諭していく。
一方長屋の面々は、寺数の発案による新ビジネスとして「しょこらとる」の開発を言い渡されていた。ここに至っても千代太は取り合ってもらえないまま。またもや常吉が連れ込んだ"訳あり"餡之丞、柚之介も巻き込みつつ、喜界主導の「しょこらとる」づくりは大混乱である。
満足そうに賑やかさから離れる饅次。派手な着物で酒に浸る様を柚之介から批判された饅次は、仲間は武士の誇りを胸に2年前の戦場で皆死んでしまったと明かし、これからは自分で自分のことを自由に決められる時代が来る、そのためには真正面から頑なに向き合うだけではない、生き延びて楽しむことが先決だと説く。この長屋の連中がいい手本だと笑いながら。
そこへ葛切、藤次が現れた。長屋に餡之丞たちがいることを探し当てたのだ。やはり真っ向から向かっていく柚之介を引き止め逃がす饅次。騒ぎを収めてくれと益兵衛に請われ渦中に餡之丞が登場するも、いざ刀を抜いてみれば剣術の腕は一同が呆気にとられるほどの間抜けさで場は混乱するばかり。
これ以上迷惑はかけられないと身柄を差し出す餡之丞と柚之介、2人を突き出して得た金を"推し”に遣うことなどできないと引き止める益兵衛、一方で金がなければ借金も返せず長屋が立ち行かないと収拾のつかない事態に、スコーン卿、ナッツ将軍が揚々と躍り出る。2人を捕らえるか見逃すかのその処遇、新政府と旧幕府の争いを、「しょこらとる」の対決で決めようと言うのだ。
武器を向け合うのではなく、誰かを殺すのではなく、菓子による勝負を。
餡之丞や長屋の住人たちの命運は、この国の未来をつくりたいと願う大人たちの思いは、天使郎が諭す愛の行方は。
そうして千代太はショコラティエとしての自分を取戻し、現代に帰れるのか。
かくして、ここに幕末スイーツバトルが決せられるのであった。
*1:本当に要くん云々の役者の話じゃなくて、単純に演出側のバランスとして。対決という趣旨もあるので餡之丞さまと天使郎も前に立てないといけないし、番手のつくり方の問題だろうなぁ
*2:コミカライズとかするなら千代太の一本線通した方が読みやすいと思うけど
*3:I call your nameless name now./ジャニヲタ英語部投稿の日本語版 - 一度や二度の悲しみじゃなくて http://bookmared.hatenablog.com/entry/2016/05/01/001525
被爆マリア像とくまモンと真田佑馬と私
前置き。私はこんな感じでらぶ担ではないのはご承知おきください。(別にこの記事において害意はないのですが念のため)
あと、別に結論はなくて前から呟きたかったことをこの機にただつらつらと書き留めた雑記です。
****
去年の10アクツアーで長崎に行ったときに泊まったお宿に、オプションでミサ体験というのがあったんですね。家も学校も専攻も特定の宗教に拠ったところではなかったので、そもそも「信仰」というものが自分の中に根っこがなくて、それでも一生をかけて自分の中に軸を建てて生きていく人たちに感じるある種の憧憬というか興味があって、参加することにしました。
そこは長崎でも有数の教会で、平日のその日も朝6時という時間から数十人がいたと思います。登壇する人のお話に合わせてするすると誰も戸惑うことなく進む場。備え付けの長机に忍ばされた讃美歌集は私たち部外者でも手にとって良くて、次に歌う歌の番号は左右前方に銀行の呼び出し表示みたいにデジタルで映されていて少しおかしかった。親切。
終わりしなには外の公園のラジオ体操の声が混じる。ここは日常なのだ。私が知らない、日常。元々私の見識も狭いのは知っているけど、違う世界に来たみたいだった。いろいろな言葉が、今私の前方にいる人々には、なんなら宿から引率してくれた少ししょぼくれたようなおいさんにも、私とはまるで違う血肉を持ったものとして吸収されていくのだ、と思うと、不思議な気持ちがしてしょうがなかった。彼は私ともう一人の参加者がはぁほぉとページをめくる横で、着席するなり目を閉じて、皆と同じように小さな声を紡ぎ始めていたのだから。
大きな教会だけあって、正面に掲げられたキリストもおそらく人よりも大きかった。
磔刑に処された姿を眼前に居並ぶのは、彼らにとって後ろめたくとか、ないのだろうか。きちんと信仰について修めたことがかけらもない私は、そんなことばかりを考えていた。
繰り返すけど無宗教無教養こと私、正面に据えられた磔の像を見ながら尚「赦しを、導きを」と唱える行為とは、とか神とは犠牲かとかをぼんやり考えていた たぶん世の研究者が追究し尽くしてることかもしれないが 彼らにとってはアーメンもハレルヤも実がある言葉なのかなぁとか
— 栞@何かしらのオタク (@bookmared) October 23, 2018
7時前にミサが終わってステンドグラスの説明を受けた後に、入り口近くに残された像へと連れられた。被爆マリア像という。長崎の爆心地に程近かった教会は破壊され、その瓦礫の中から見つかったものだ。
あと被爆マリア像というのを見せていただいて、全身あったのが頭部だけに、目の嵌めものもなくなって眼窩が開いてしまって煤けて、というものの下の解説文に「このような痛ましい姿になっても我々と信仰の仲介者であろうとするお姿」みたいなことが書いてあって、意味付けの世界だな…とぞわっとした…
— 栞@何かしらのオタク (@bookmared) October 23, 2018
実をいうと、それがどんな風に損壊していたか、どんな表情をしていたかはあまり覚えていない。ただ、磔のキリスト像を見上げた後にこのような言葉が綴られていたことに私は粟立ったのだ。
私には、その像を「それ」と呼んでいいのか、「彼女」と呼ぶべきなのかすら判断の基準がない。一方でこの言葉を連ねた誰かにとっては、「彼女」は一部となっても尚信仰すべき対象なのだ。おそろしくなったのは、「その痛ましさこそがその価値を高めさせている」とも考えられてしまうからだった。
「これは石像であって確実に人がつくったものだからそういう心配はないけど、例えば『人は理解していないけれど言葉を発している生き物』をこの位置に据えていたとしたら?活け作りにされる動物や魚の鳴き声をさておいて人は傷をつけて締めてしまうけれど、例えば他の人には分からない声で痛みや悲鳴を上げる存在を、『尊いですね、それでこそ』って言ってたらめちゃくちゃ怖くない?」などということを考えたりした。芋虫のようにもがれた生け贄を想像してしまってひとりでめっちゃ怖かった。
あんまり言うと宗教こわ、という言い草みたいになってしまってそれは違うなぁとも思うんだけど これだけ広まっているものであるからにはたぶん効能みたいなものがあるわけで、それが興味深いなぁと思った 拠り所、というのがもたれるのではなくて軸としてどこへでも行けるみたいな感じなのかなぁ
— 栞@何かしらのオタク (@bookmared) October 23, 2018
ただ一応、こわい、というような言い草は無知識による無理解、曲解であるとは分かっているつもりなので、ちゃんと勉強してみたいなぁ、というところで終わっていたのだ。
ところで次のツイートは、それから5日後のものである。
演劇と同じ土俵で語っていいのか分かんないんですけど、そういう意味ではくまモンさんの伝記案外おすすめです そこが本来向かうべき道ではなかったかもしれないけど、結果起こってしまった有事の際にエンタテインメントがどう立ち向かうかの話でもある 「くまモン」| 小学館 https://t.co/FjcNKiMmSJ
— 栞@何かしらのオタク (@bookmared) October 28, 2018
くまモンの話だ。ちょうど先日NHKのプロフェッショナルでも特集されていた通り彼(?)については伝記も描かれていて、熊本県庁のプロジェクトチームの紹介、というわけではなくてモノローグも彼のものとして構成され彼のくま生が綴られている。東日本大震災が、見開き一面を黒くベタ塗りされたページで再現される。熊本地震の後、できることはないと自分の意義を見失う姿が描かれる。それでもそこから、「みんなを元気付けてあげて」という声に後押しされて出向いた避難所において、彼は歓声を以て出迎えられる。キャラクターが、エンタテインメントがだからこそ非常時に必要とされるのだという話は10アクにハマったときからも考えていて、その力の大きさを思うと読んでいて素直に涙が出た。侮るなかれ、良い本です。
これもこのときはフォロワー諸氏と少し話して、終わっていた。
けれどしばらくして思い至ったのだ。
「これって同じ構図じゃないの?」と。
人ではないものに人のような役割を見出だして、かつ、それはただの人というものではなくて有事の際の心の頼りとされる。損壊したマリア像だからこそなおさらに信仰を集める。二度の震災を乗り越えたことを含めて、物語化される。
繰り返す通り私は信仰を危険なものだとして考えたいわけではないし、ましてや災害を物語に含むことを安易などとは決して言うつもりではない。二者はどちらも拠り所としてその折その折に確かに成立してきた。だけれど私の感情は分岐したのだ。被爆マリア像への言葉を見たときに粟立ったことも、一方でくまモンの伝記に涙ぐんだことも、両方ともが事実だった。
そのおそろしさと感銘の線引きはどこにあるのか。冒頭にも書いた通り結論はない。というか仮説もない。ただ私が今この話を引きたいのは、私の担当がこの世界に帰ってきたからだ。
などという言い方をするとちょっと電波だが。
真田佑馬が、ツイッターに現れたのだ。
正直、音楽を携えて戻ってきたことに心はもやもやした。それは私が彼の事務所での最後のユニットにヘイトを抱えていたからだし、彼のお芝居をずっと見たい、そちらの世界に生きていてほしい、と思ったからだ。けれど、そう思った後に声が響く。「芝居なら、まだ彼にフィルターをかけていられるからじゃないのか?」。自作曲であれば、(もちろんフィクションを手掛けるのに長けた人もいるだろうが)そこにはかなりの純度で「彼本人が」透けて手に取れるだろう。それを厭んでいるんだろう?、私が思って願って望んでいた彼とはもう違うかもしれない、けれど芝居ならそこにある彼の声は、彼の姿は、「私が解釈できる」。そうであってほしいから、私は歌う彼をまだ遠ざけているんだろう?と。
私の目の前のマリア像は私の理解と違う声を上げているかもしれないというのに。
今これを書いていて悲鳴を上げそうだ。だって、そうじゃないって誰が言い切れる? ついでにいうと、歌を厭う、ということそのものもしんどい。去年の行ってよかった現場にライブを挙げて歌の力に涙したのも事実だし、彼が在籍中最後に立った舞台は『ダニー・ボーイズ~いつも笑顔で歌を~』だ。歌うことで愛されたい、歌うことで幸せでいたい。そのメッセージに反してしまってここに立っている自分がつらい。
以前のブログで「私の源流はスケバン刑事・麻宮サキで」、なんていう話をしていて、その短いからこそ華のように鮮やかに生きそうして散っていった彼女のような姿を三次元においても求めているのだとしたらしんどいなぁという話をその頃にもしていた。
スケバン刑事には原型とも言える(実際作品自体は同じ時系列にある)『大逃亡』という話があって、サキはその主人公たる少女と生き様がまるで似ているようだ、と言われる場面がある。皮肉にも、彼女の名は、マリアという。
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言うまでもなく、刹那性は三次元コンテンツの専売特許ではありえない。
この点において三次元のアイドルが固有の意義を持ちうるとすれば、刹那の高揚が消費された余韻の「その後」の生と消滅を、アイドルとして生きた身体が引き受けるという重さによってである。
彼は生きている。
私は、これからの彼を自分の思う石型にはめていきはしないだろうか。
そうしないようにありたい。
元気でいてくれる彼を、自分の言葉を届けようとしてくれる彼を、受け止められるようになりたい。
誰かを一心に見つめるということは時に危うさを孕むだろうけども、せめて、その危うさを自覚して、どうにか正しく生きていきたい。いやまぁ正しいって言葉も危ないけどね。
どうにか晴れやかに、真田担シーズン2としてありたいものです。
「変える」は「変わる」--2018年振り返り
◆買ってよかったもの
・ミルボン リンバーセラム
ヘアオイルです。誰が覚えているんだろうか。
・KENT ヘアブラシ
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・fondan 着る毛布
・UHA味覚糖 グミサプリ
UHAグミサプリ ビタミンC レモン味 スタンドパウチ 40粒 20日分
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◆見てよかったもの
・『プリパラ』 『アイドルタイムプリパラ』
・『DEVILMAN crybaby』 『キルラキル』
・『トーキョーエイリアンブラザーズ』
おしゃべりは、朝ごはんのあとで。 2 (ビッグ コミックス)
- 作者: 秀良子
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2016/02/12
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真造さんは2巻に出てくるよ。
・『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』
◆行ってよかったもの
・草ケ谷遥海×サカタケント ツーマンライブ
起きて半畳寝て一畳、己の日々など一片の上
あんなことを書いていたらその矢先にまたイヤリングを、しかも東京の地に落とした。最近当地にもできた貴和製作所のチェコビーズが綺麗でその色に頼っただけの5分でつくったフープだったが、水色というよりも水のように薄まった色と透過した黄色のビーズを連ねた取り合わせを朝のようだと思って用意したものだからわりと気に入っていた。1ヶ月の命である。右につけることにしていた、ひとさじだけ濃いピンクが入った方は残っている。犬が西向きゃ尾は東、体を前に向ければ右が東な気がするものでなんとなくそう決めていた。さてどうしようか。
今回のスロットお題は「手帳」だった。先日友人で集まったときにうち1人が出したのはパスポートサイズだったかそれより一回り違うか、ともかく「小さい」と言われていたのだけれど、今私が使っているのは更に小さい、と声を上げたがそのとき携帯しておらずまぁその時点で見せるほどでもなかった。公式ページを見ると95mm×95mm。体感的には四折りのハンカチ程度だ。塩ビのカバーの下に、数年前に買ったミドリの紙シリーズの封筒が口を折ったらちょうど収まったので表紙にしている。濃いピンクの百日紅柄だ。あのちりめんみたいに縮れた小さな花が咲き盛っているのが好きで、この色が一等好きだ。四季と新春ごとに新柄を出すシリーズで去年か今年かようやく百日紅が復活したが白で落胆した。もう今年はあと2ヶ月で終わるらしいというおそろしい日付にもなったが、ガワは盛夏のまま来年を迎えるのだろう。第一季節ごとに変えるなどしてしまったら、買い損ねた雪の結晶を求めて訪ね歩かなくてはならなくなる。
話を戻して手帳である。学生時代の方が使いこなしていたかもしれない。ここ数年は、プロジェクトを立ち上げては早々に頓挫していた。上下にインデックスが分かれていて、仕事とプライベートでページが使い分けられる2way手帳。何種類もあるノートと専属のカバーを組み合わせて作る手帳。たしかマンスリーとガントチャートとあともう1つ、リストが書きやすそうなものを買い揃えた。初めの1ヶ月ほどは張り切った跡もあるが、次第に鞄から放り投げてしまう。続かない。例年のようにほぼ日手帳やらMDノートやら、手帳強者たちの特集を見ては我も我もと夢を見追従するが、まぁ、平たく言って、身の丈に合っていないのである。私は努力目標を設定すればそこに見合うように己を奮わせる、目を輝かせられるようなタイプの人間ではないということをこの数年で自覚した。がんばりたくもない。何か言われようがそこのあんたが気力をくれるわけでもなしただ生きるから放っておいてくれという次第だ。そうして楽になった身の内を思うと、これで十分なのだ。マンスリーの日毎で割った1マスは1cm強×2cm強か。そこには1日の予定を3つ4つも書けばいっぱいになる。そこに遊びの予定を水色で、進めた問題の数を濃いピンクのペンで、ページに1つでもシールを貼ればそれは枠をはみ出た書き込みぶりで、ものすごく充実したような紙面が出来上がる。大きな余白を使いきれずに放るより、私はよっぽど満足だ。
しかしハイタイドの「レプレ」という手帳が異様に手触りが良かった。ミドリの「日の長さを感じる手帳」の夏至と冬至を並べたときの美しさには身が震えた。メモに、来年使いたい手帳として永岡書店、と残っていて、記憶を頼って検索したところ「結果を残す人のビジネス手帳」らしかった。私はいつ懲りた真人間になるのだろうか。
君に歌え僕に歌え見えぬ道はただ往け――10神ACTOR歌詞分析其の一
1つ目の試練は!?メンバーがエレベーターガールに興奮!? 究極の2択を10連続で成功させる!!①【神伝説を残す男たち 10神ACTOR】(2017.6.27. O.A.)
始まって早々トラブル発生…坂田にハプニングが!? 絶対に地面に足をついてはイケナイ!!inハウステンボス 前半戦①【神伝説を残す男たち 10神ACTOR】(2017.4.18. O.A.)
◆前提の話
◆本題の話
1.【僕】は僕だけじゃなくて【君】はひとりじゃなくて
夢に向かう僕を見ててくれきっと君がいれば何度だってさ 立ち上がれるからまだしっかりと 誇れるようなものこの手にはなくても強く握った その手だけは 離さないからI believe in my way, my life
夢ばかり追いかけてくことを他人がどう言っても君の笑顔が 僕を支えてるまだ真っ白な 未来しかないけどどうかわかってほしい君の明日と 僕の明日を重ねたいんだ不器用すぎる僕だけど君を絶対守ると誓うからさ夢を掴む僕を見てほしいきっと君がいれば何度だってさ 立ち上がれるからまだしっかりと 誇れるようなものこの手にはなくても心を込めて… 君のことが大好きなんだI believe in my way, my lifeずっとI believe in my way, my life
2.見えなくともその手は上へ、前へ
【見る】に関しては「あの空に見ていた夢 今もまだ 胸の中 残っている」「見たこともない 明日を探そう」「見たこともない世界 不安もあるけど 僕らならば 超えて行けるから」と、【見える】
*1:
*2:
*3:
*4:
【 番ボ☆×10神「甘くはないぜ!3」
明日!11/3(土)10時~FC先行チケット販売開始!】
📍東京・中目黒キンケロシアター
2019/2/2[土] 〜2/10[日]
📍大阪・HEP HALL
2019/2/16[土]〜2/17[日]
📍福岡・パピヨン24ガスホール
2019/2/21[木]〜2/24[日]
#甘くはないぜ3 https://t.co/SpjX1Ki1SV pic.twitter.com/eJ5thZlALG
語れ読み取れ主なきコトを
拾得物の管理の行きがかり上、届け出た人について「氏名等語らずの男」という言葉を使うらしい。「氏名等語らず」「氏名等語らずの男性」とパターンはあるらしく*1そちらだと幾分印象も変わりはするが、とかく「氏名等語らずの男」、という呼び名がやたらとものものしくて面白かった。一気に何かの物語的な雰囲気を醸してしまう。おそらくは「いえ!わたくしなど!名乗る程の者では!ハッハッハ!ハーッハッハッハッハ!」と言って去るようなものではなく、のちのちの権利の処理上尋ねられて「いや、届けただけなんで、…名前までは、…ちょっと…」っていうような感じなのを、便宜上一元化してつけているんだろうけども。おおよそこういったものは、日常の中の些末の交差である。
10神SS/AW ~主にTシャツコレクション~
折に触れ声を上げてきましたが、
「10神ACTORさん揃いの衣装すぐつくりますよね問題」
そうして
私はそれが好きという事実。
というわけで話はループのように繰り返しますが、彼らのこれまでのお洋服と共に番組を振り返ってみたいと思います 。丁寧な導入など。知らぬ。
~Tシャツ・すぐやる課部門~
そう、つまりは私がめっちゃ好きなやつです。 しかし今回頭から辿って様子を手元に控えていってみてたんですけど、オリジナル軽率Tシャツシリーズ(褒めてる)が増え始めたのってわりと、ちょうど私が見始めた頃*1 からだったんですね…なるほど運命…(?)。
とはいえ始祖はここからか。
Season4.0#23~25、サカタケント企画「NO MONEY NO DENPA旅」の代名詞たるTシャツ。 財布と携帯を没収されたヒッチハイク旅ということもあってか非常に見つけてもらいやすそうな黄色と黒の配色がイチオシ。
同企画第2弾(5.0#18~20) でもウィンドブレーカーが誕生している。
なおウィンドブレーカーはのちに『負けんな!!!』 ジャケット撮影時普通に防寒具としても活躍したのだが、 代名詞として認識され過ぎていたため写真が上がるや否やファンの間で「えっ…サカタケントまた連れ去られた…?」 という誤解が巻き起こった。あと「ここはどこですか?」の答えは鹿児島県指宿市です。九州縦断。
いやーーーところで繰り返しますけど、ウィンドブレーカーにも入っているこの10神のロゴほんとかわいいですよね! 好き。いやー好き。
いっとき缶バッジをひそかに携帯にぶらさげてたんですけど、カバーしてても結局裏の安全ピンがかちゃかちゃするので外してしまった。いい感じの付け方指南お待ちしてます。
いやしかし特注という意味ではこっちが先かもしれない(4.0#15)。マルチ。というか2件めにして既にTシャツではない。
あとこういうの見ると、やはり10アク内ではすけすけだけが殊更にシンメめいていたのだな…という気もする(10アク・ コンビはいてもシンメはいない論)。脚の飾りがさ…ちゃんとシンメトリーめいてるじゃないですか…。
突如役職が設定された「人の動画でMVをつくる!」企画(6. 0#8)。文字に違いがあるとはいえ、用意は10人中4人分なのでまだまだ序の口である。
このときの楽曲『ひたむきチェイサー』は後日、 メガネスーツバージョンでも披露されて定着し(6.0#18)、 ライブでもひたチェのターンになるとどこかしらのポケットからスッ…とメガネが取り出される。
誰か1人は曲中に落とすなどする。
ところで市民会館ワンマンでタイトル『君と叶えたい夢がある』 にもかけて「夢みる伊達メガネ」 なる面白おしゃれアイテムがグッズ販売されたのにさしてMCでの販促も曲前の振りもなかったのは!どういうことなんだい!(なんなら1日目はど頭がひたチェだったので…) そういうところ、ガツガツ売っていこうぜ。
閑話休題。
ちなみに制作陣TシャツはSeason7. 0で復活したかと思いきやよく見ると長袖の別物である(#17、20)。 なんでや。
あとこの間に松島くんは監督業をリストラされた。 役者としてめっちゃ生き生きしてるからいいと思うよ…!
クロマキーで疲弊した松島氏。
10人お揃いが出てきました。2→4→10、 Tシャツが着実にステップアップしてる。
6.0#13、 ワンフロアごとに当たりを引き続けFBS社屋を10階まで上がりきる、「10連続で二択成功チャレンジ!」。
墨汁ヘルメットの攻防が非常に好きですね。
栞、福大、好き。
だいたい墨に突貫させられる最年少。
しかし顔が防水加工。
シンプルな「10神ACTOR」 グループ名ロゴだからといってその後汎用的に使うわけでもない辺り、そして好き。
6.0#14。\10神ACTOR横断部ぅーーー!!!/ しかしてその活動内容は、 福岡県内の一級河川をスワンボートで渡りきることである*2。スワンは佐賀から借りてきた。
いやちょっと待って今気付いたけど、このTシャツ、前回のものに手を加えたのでは?即再利用していたのでは?あれっ?
私事ですが私が初めて番組を見た回です。
6.0#24、発現確率○○○分の1のお菓子のレアリティを探す企画。 コアラのマーチを一生分くらい食べました。 その果てに求めていた盲腸コアラが出たときに、ちゃんとテーブルに箱を置いてから飛び跳ねる馬越くんis好き。
カロリーを摂りすぎても岡隊長とキャサリンがなんとかしてくれます。
キャサリンは先ほどの防水加工最年少です。
合間に見え隠れする、燦然とかけられた揃いの白シャツ。 結構これでライブすることも多い。
学園祭とか。
厳密にはつくったわけではなかろうがこれも単発仕様としか言えないので一緒に、揃いのポロシャツ。 ボウリングってなんでポロシャツなんでしょうね。 紳士淑女のスポーツなんだろうか。 ゴルフ企画とかあったら復活するかもしれない。 あとたぶんテニスとか。(7.0#8)
8.0#10、11、犬王様放浪記、もとい10神サファリ。 お仲間がいなくて寂しい犬王様のためにどんたくで人が溢れる街中から動物ファッションを見つけるのです下々の者。
パンダ発見。
アルパカ発見。
Tシャツ課、ついに揃いのようで10人分キャラクター違いのシリーズを生み出す。なんなら物々交換用に複数枚作り出したため、なんともリッチである。ちゃんと絵師マークさんにはデザイン料が還元されているだろうか 。アザラシの黒目がかわいい。街にはいなかったけど。
基本的に、他揃い衣装を見ると誰がどれを着るとは決まっていないような所感があるのだけれど、この回は北田くんだけ予め大きめシャツが決められていた。
ハムスター出ましたー。
犬王様の出自は神伝説祭りinマカオを見てね!!!ワンワーン!!!(7.0#11、12)
8.0#25、そうして部門最後を飾る。
平成3年から11年生まれまでを擁する彼らが纏うは「平成生まれ 平成育ちTシャツ」。堂々たれ。堂々たれ。
これからの時代を支えるのは、きっと! 彼らが!!!
という辺りがメインではあったのですがこの際なのでまだまだ続けておきます。
~運動着ヒストリー~
降車してから乗車駅まで走り元の電車に乗ることを目指す、 電車とGO企画。陸上部的ユニフォームなど着ております。
第三弾、VS南阿蘇鉄道編は熊本の震災後の回ですが(5.0#12、13)、 次第にゴール近くで応援してくれる方々が増えるのを見ると泣いてしまう…。
直接の益ではない、助力でもない、言ってしまえば「たかが」 エンタテインメントであるものがそれでもどれだけ人々に喜びと活力を与えるかという話は10アク絡みブログの当初からしていて、 同じく熊本復興支援であったNHKコンサート(171209放送)に呼ばれていたときなんかも、 勝手ながらものすごく誇らしいような気持ちになった。…まぁ… 好きですね…。
運動会は通算4回(3.0#5、19、4.0#10、7.0#23)。 春の運動会と言いながら2月に開催したり激痛足つぼサンダルがレギュラーメンバーだったり大変です。
本当に我々が生活しているその傍らにいるのだなぁと思って好きな カット。
白組なのに真っ赤なドレス!!!
マイケルより斜め。
軽量型活動着もあるよ。虫取りにバスケに天草に存外多岐に活躍。(6.0#25、7.0#4、8.0#24)
ジャージコレクション(7.0#10、6.0#9、7.0#9)。青もかなり鮮やかだけどいよいよオレンジとは。 例えば山中ではぐれないよう目立たせるなどでもなく、これは闇鍋を食べるためのジャージである。闇鍋はスポーツ。
実際各メンバーのキャラがすごく出ているので、闇鍋回は未見の方にはぜひご視聴いただきたいところ。
水着もあるよ。お揃い。(4.0#21)
翌週の無人島はお揃いじゃない。(4.0#22)
ホークスユニも着ました。(4.0#14)
~制服コレクション~
坂田氏はブレザーであれという不文律。
「なん見よんかちゃきさんコラァ」
北九州っぽさのかたまり。*3
しかし「お前どこ中?」企画、 ローカル感に満ち満ちて地元が中学校区単位でバレるので(゜д゜ )いいのだろうか…と思いつつ、その地域で生まれ育った根付きが垣間見えるので非常に良い。 湯川中(小倉南区)が出たときのマークさん(菊陵中出身/ 小倉北区、ただし越境通学)の惜しがるリアクションに松島くん( 春吉中出身/福岡市南区)が「あっ近いんや」って言うところとか好き。
方言、景色、行く先、 ちょっとでも照準がずれたらピンとこないような地元感を多層的に 重ねて、地縁グループは成り立っている。
最後に番組ユニフォーム部門です。
☆ツナギ白
Season2.0、 要はオーディションが終わって本格的に冠番組となった当初からSeason4.0まで。
☆オーバーオール
ここから名札がとれました。
Season5. 0のユニフォームと見せかけて登場は25回中おそらく3回ほどのみのレアアイテム。このシーズンを最後に澤亮が卒業したので、 刷新するためにもオーバーオールとは早いお別れになったのだろうなぁ、という感じでしょうか。 いやそれにしたってそもそもレアでは。
だぼだぼしてかわいい。そうして差異からお揃いへ回帰する。
☆シャツ(青)
Season6.0~最終8.0までの基本ユニフォーム。 ちょっと褪せた青が混在しているがたぶんメンバーに固定しているわけではない。
これにて終了です。お疲れ様でした!
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9月、こういうブログ書ーこう、とへらへら考えていたらにわかに番組終了の煙が立ち、 あれよという間にほんとうに終わってしまいました。9月半ば、編成期の番組表が載る最新のテレビ誌をあさっては確認し、FBSのHPを更新しては確認し、とだいぶ必死にわたわたしてましたね…。
10月末に平日深夜帯から土曜午前に大移動して新番組稼働とは相成りましたが*4、期せずして今回は深夜帯『10神ACTOR』 シリーズ総まとめのような感覚ともなりました。
正確な経緯や施策方針がいちオタクに分かるわけもないのですが(私は2ch的なタレこみ合いを見たいわけではないので事情通の方がいたとしても情報は結構です)、当初から番組を制作してきたスタッフさんたちとは別れての番組となるようで新しいものもどんな色になるかまだ分からないし、今秋の九州ツアー、またじわじわと増やされつつある東京絡みのお仕事といったように、少しずつ、少しずつ状勢は変わっているようです。
以前『ピボットターンは振り向かない』という記事で、変化は必然で不可避で、誰が悪くもないけどいつか自分に弾性がないばかりに離れてしまう未来はどうしたって来るかもしれない、というようなことを書き連ねて。 その不安は何かを好きでいる限り表裏一体で常にあって消えたわけではないんだけれども、それでも今の段階では、あぁ、この攻勢についていきたいなぁ、彼らのことが好きだなぁ、という気持ちでいるところです。えぇえぇ好きですね!!! みんなに知ってほしいし好きになってほしいしとかくね!!! 知らしめたいですね!!!!!
奇しくも今夏放映中でどハマりしていた『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』というアニメの劇中歌で「変化は悲劇を連れてくる」という歌詞があったのですが(歌の背景はおもっくそネタバレになるので言えない。見ろ。 1話はYoutubeで見れるから見ろ。話はそれからだ)、それを「CHANGE IS CHANCE」で打破していきたい。
「大きくなるって何なのか」。 ピボ振りのときに迷子になった私を、ワンマンのときには「この多幸感が、総量の天井が決まっているのではなくてこの濃度のまま一度により多くの人に手渡されるのならその未来こそが希望なのではないか?」と、人狼TLPTのときには「大きい、 それは広さ以上に高さのことなんだ、他の評価でない、 自分の中の自信の積み重ねのことなんだ」 と彼らは目を開かせてくれた。 まぁ気持ちの悪いオタクが勝手に気付いた気になっているだけなのですが、幸せを増産してきっとこの先には楽しいことが待っている。 そういう展望を掲げて、彼らに並走していきたいと思っています。
ひとまず皆々様、本当にお疲れ様でした。
こんなところまで読まれた方がそもそもね!!!