一度や二度の悲しみじゃなくて

だいたい野澤と真田の話をしています

雑踏の中の寓話

 

年の瀬というものは損な役回りだ。異国の聖誕祭に浮足立った街が過ぎ去れば、今度は明くる年に向けて逸り出す。その合間の数日。余韻もなく切り替わる忘却と看過の日々。そんなことを言ってしまうのは過言だろうか。それとも。
そんな言葉が不意に巡ってしまったのはおそらくその雑踏の中で、彼に巡り合ったからだ。
相変わらず背の高い、それでいてどこかに幼さを残した風貌。俺以上に保ったままの、生来の黒い髪も変わらずだ。
何も変わらない。無論大人らしくはなったが面影は大差ない。彼の気質も、そうして資質も。おそらくは違わないのだ。俺たちの家を離れた頃の彼と。
けれどしかし決定的に違うのは、傍らにその、名前を分かつ者がいないことだった。

 

「偶然だ。久し振り」
彼は俺を慕うように笑う。マフラーに少し埋めた小さな顔は無邪気に揺れる。
「本当だな。久し振りだ」
もう一人であれば俺はそう言うこともないだろう。奴は割に俺の近しいところで今も居る。家の者のように日々会うわけではないが、まれに連絡をとり、鉢合わせ、飯を食う。俺ばかりがお前が享受したっていい立場を得ているようで、居心地の悪さは拭えなかった。
人の世は別れを避けられない。けれどどうしてと、そこに寂寥と、憤りとやるせなさを感じる心を捨て去れるわけではないのだ。
奴は世間一般で言うのであれば「目覚ましい」場にいるのだろう。比して彼は、共に走ってきた彼は、少し違う世界へ置いていかれたような気がする。ともすれば、余韻もなく切り替えられたこの年の瀬の日々のように。
憐れむべきことではない。見くびるべきことではない。そんなのはあまりに慢心だ。ただ。ただ少し、俺の大人気ない心をぶつけてもいいだろうか。

表向き他愛のないやりとりをしながら、頭の奥から言葉を引っ張り出した。彼と、奴とを繋げるための希う言葉を。


「じゃあ、俺もうそろそろ」
体調くずさないように、とこちらを労る挨拶を背に歩き出そうとする彼を引き止めるように、俺はぶつけた。
「ーー有名な監督の言葉だ!」
不意をつかれたようにきょとんとした顔が俺を振り返る。
「一生懸命に作ったものは、一生懸命に見てもらえる。俺は、お前が今だって懸命に生きていることを知ってる。だからきっと、あいつもーー!」
格好の悪いことだと自覚していた。仮令染み込んでいようとこんな局面で他人の言葉を借り、年の離れた青年に自分の希求心をぶつける様は。それでも、対面したこの時機にせっつかれてはそれでも、自分を留めることはできなかった。声を上げずには居られなかった。

 

そうして彼は俺に向き直って笑う。

 

「素直で、いい言葉だ。
俺ね、まだ見てるんだ。分かるよ。その言葉。見ちゃうんだ。
だって、あいつはずっと一生懸命なんだから」

 


じゃあ、と今度こそ彼は立ち去る。
衝撃に頭を殴られたような、自分の視野の狭さを転換させられたような俺に笑って。
なぁ、取り縋って無理にでも引き合わせたいような切迫感で手を伸ばす、その感覚が徐々に薄れていくようにして、俺は目を覚ました。

 

 

 

「あ。ヒツジ具合どーう?起きてる」
同室のカオルが通りすがりに様子を見に来たのか、上から覗き込んでくる。視界に影が出来て、部屋に入る光がまだ過敏に目を刺す起き抜けにはありがたかった。何せ、さっきまでいたのは夜の雑踏だ。
「あぁ、うん、大丈夫…ごめん、ヒカリくん何か言ってた?」
「いーや別に。俺も寝てよっかなーぐらい。その分働くの誰だと思ってんだほんとにあいつは」
最年長から自分に対して苦言はなかったか、とは聞いたのだが、回りまわってカオルに迷惑をかけてしまっていることに今更気付いて謝った。
「えっ、いや別に、ヒツジは熱出てたんだししょうがねぇじゃん、休むのが仕事」
慌てたように言い繕う彼も相変わらず厳しくて優しいので、ふふ、と笑った。決まりが悪そうにじゃあ俺は俺の仕事、と言って出ていこうとするカオルを引き止める。
「なぁ、最近、夢、見たか」
誰かに話してしまわないとこの生き物の尾はすり抜けて実感を忘れそうだった。その糸口を叩く。カオルは夢ぇ?と少し思案した後に、あ、と思い出したように声を上げた。
「タスク。出てきた」
ピンポイントで名指された名前に心臓が跳ねる。元々具合を崩してた姿だから大して気付かれはしなかったが。
「あ、あっちの方ね。ヒツジと仲いい方。違くない?逆じゃない?舎弟の方ならマジめっちゃ会ってるから分かるけどさぁ」
「舎弟って…」
簡便な物言いと、背の高い彼を引き連れて兄貴風を吹かせているカオルの図がかわいらしくて思わず苦笑すると、カオルは口を曲げた。
カオルが彼と実際に頻繁に会っていることは知っていた。逆、という言葉がまさに的確なように、俺と奴がするように、カオルと彼も食事をとったり出かけたりということをしているらしい。逆、というのがタスク同士のことで、俺とカオルまでを対比したわけではないだろうが。何せ、まだ俺の夢の話は伝わっていない。
「まぁでもその分、言いたいこと言っちゃったって感じかな。夢だけど。夢だからかな」
けれどそうして、伝わっていないようで同じことを口にする。大人らしく振る舞うよう自分を律する一方で他人の機微に聡く脆いカオルよりも俺は随分、独りよがりで勝手な心から言ったもののような気はしていたが。
それでも、どこかで安堵する。
彼と奴を繋げたいと思っているのが、傍らに居るということに。


「そんな心細そうな顔しないでよ。分かったよもうちょっと居るから」
「…そんな顔してる?」
「俺にはそう見えるね。どんだけ変な夢見たの」
世話を焼けるのが得意げだと言わんばかりに、椅子を取って座り込むものだから、その言葉に甘えて俺は目を閉じた。

 


もう一度眠りに落ちる寸前になって、今日は彼の誕生日だったのだと思い出し、そうしてつい願った。

 

願わくば、夢の続きが見られますようにと。