一度や二度の悲しみじゃなくて

だいたい野澤と真田の話をしています

一人住まいの事後報告

切り出しそびれていたが、うっかり数年ぶりの一人暮らしを始めて1ヶ月経った。県内とはいえバタバタ部屋を決め引っ越し屋さんの予約を取りそのくせそのぎりぎりまで荷造りをせず、大半のものは実家に置いていけたからまぁ間に合わせたものの、この1ヶ月「えっこれないと困るじゃん」「これ買ったら今度はこれがなくない?!」みたいな事態にいざ直面してからものものを買い足し続けて、なんとかかんとか日々を乗り切っている。徒歩圏に百均がある生活、怠惰にならざるを得ない。一応これまでにも経験はあるくせに一人暮らしの知見がなさすぎてウケる。鍋を買ったら鍋の蓋がなくて鍋の蓋を買ったら鍋掴みがなかった。知見というかもはや常識的な計画性。

 

実際、学生時代もともかく人の何周も遅れてなった初社会人としての一人暮らしは、いい歳をした人間のくせに「自分の足で生活をしている」実感がまるでなかった。この場合強勢がつくのは「生活をしている」の方だ。生活は何も回っていなかった。ぶつ切りの日々。物心がついたのさえ而立を越えたこの数年だという自覚があるのだが、今この歳になってようやく、お金と生活とこの先の設計が繋がって目に入ってきたような気がする。設計立ってないが。資格を得て就いた仕事も毎日毎日無知の無知で日々ホッチキスの死骸を生み出し、人と相対するとか勉強するとかの前に紙と戦って負けている。火曜日と言わず井上涼のYADOKARIをたまに聞いては、今までは「家ごと動けば帰りたい時すぐそこ アイワナビーヤドカリ」「まだ火曜日だわ 今日を入れて4日も頑張れない そりゃお金はほしいけど できればすぐ帰って家で寝ていたい」という歌詞への共感がすごかったが(いやお金ほしいは常にある)、唐突に「一体2年後何してるかしら?パン屋?花屋?それともスピリチュアルな象牙屋? 漠然とした不安と疑問がいつのまにか大事な体力を奪っていく」の感情を理解した。漠然とした不安と疑問、すごい。ほんとに一歩間違えたらスピリチュアルな象牙屋になってるかもしれん。


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とはいえ四六時中何かに苛まれているということでもなく*1、基本は新しい己の基地・及び周辺地を開拓しているためテンションは高いものである。実況者でもないのに独り言も多い。おぼつかないながらも自分の足で出掛ける先を選び物を買いそこらを歩き回っている、という景色が見られるのが楽しいのだと思う。本当にこれまでの物心がない。

 

新居は1Kで、もうこれで充分である。東京住まいの1Rはもう記憶もおぼろげだがめちゃくちゃ狭く、風呂トイレ同室、ベランダはなし、何より勝手が悪かったのが洗濯機がキッチンの下に備え付けという極めつけ具合だった*2。しかも無駄にドイツ製とかで全然分からん。よく一度でもあそこに人を泊めたなお前。グーグルマップで見ても一昨年の遠征時に朝行った銭湯をわざわざその近くで選び懐かしげに通りすがってみて肉眼で見ても、あれはやっぱりあの部屋だけが妙だった。飛び出してるし。逆に前回の一人暮らしは部屋がもう1つあったのだが完全に持て余していた。服が散乱していくだけの荒廃を示した部屋。加えてキッチンがメインの部屋からまた独立しており、「視界に入れない」「踏み入れない」という状況が可能だったために荒れ果てた。一瞬頑張った調理は決しておいしくもなくそれだけで気力を使い果たし物を洗いたくもなくゴミを触りたくもない。そういうのが続き散々なことになった。よく怒られたし心配された。

 

今の部屋は風呂とトイレが別なのが良く、部屋はひとりでは広いくらいのものが1つでちょうど良く、キッチンが玄関から部屋への動線上にあるので良い。狭さに悲しくならないし無駄を持て余さないし、自然に当たり前にキッチンに踏み入れられる。バタバタ決めた割にはかなり良いと思っている。ヨガマットも広げっぱなしのままにできるし、布団さえあれば雑魚寝で2、3人ぐらい泊められそうな気がする。それだけの布団の収納場所はさすがに問題だが。夏に来て。

3つ内覧したうち1つめを落とした理由は何だったか忘れたが、3つめは隣のビルと近接しすぎていて暗かった。間に見たので両方と比較がしやすかったのかもしれない。難を挙げるなら洗面所やキッチン上の戸棚、トイレの収納等、設えのありとあらゆる観音開きがすべて開いてほしいのと逆方向に開くのと*3、トイレットペーパーホルダーが角ばっているのでとにかく滑りが悪いことくらいだ。設計者は何を考えている? 前者はこの逆手の生活にもはや慣れるしかなかった。慣れない。今でも逆に開いてほしい。後者はマーブルチョコレートを十数年ぶりに買ってばりばり食べた後の空の筒を被せることで劇的に解決した。あの犬まだ現役なんだな。もっと昔の動物写真シールの方が好きだったが。別に人に見せるわけでもないしというか人に見せても別に良いのでマーブルインザトイレは今日も役目をめちゃくちゃに果たしている。

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この扉が

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こう開く

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見事な解決策

 

一人暮らしの知見がないと言えば、ゴミ捨てと洗濯物のタイミングも錯誤中だ。ひとりではゴミ袋が溜まるペースも遅く、しかし生ゴミは早く処分してしまいたい。確認しなおしてようやく、特小サイズがあるようだったので明日にも買うことにしている。洗濯物もそうそう溜まらなかった。溜まらずとも回してしまえばいいしさすがにこれはもう放置できんと回したところで洗濯機の最小水量みたいな具合なのだが、いっとき愚かしいことに濡れものとそうでないものを一緒にカゴに放り込んでいたため1着、よりによって百貨店で気後れに泣きギレしそうになりながら買った下着をダメにした。却って潔く知見の犠牲とした。そうして思い立ち徒歩5分の百均で洗濯カゴを買い足し広げてみたら、従前に買ったものとサイズが違っていた。サイズ違いがあるなんて想定もしていない。何度も言うがお前の知見以前の常識。それでもまぁ大は小を兼ねるし大事なのは2つに分けられるということなので、大と小は今も洗濯機の前に仲良く並んでいる。洗濯機周りで更に得たことは、タオルはいくらあってもいいということと、パラレルハンガーは良いということである。

 

 

YADOKARIは「昔ママが言ったの 「疲れて帰るのだから少しぐらい高くついてもいい家に住みなさい」と」とも歌っていて、家がそれなりにでも自分にとって快適に、きちんと保たれていると肯定感がすごい。その肯定感をより上げるためにと、生活を始めて半月ほど、私はようやく自炊に手を出した。

新生活では自炊はしないつもりだった。上記のような以前の失敗体験があるし、ひとりでおいしくなるかも分からないものをつくって結果ちゃんとしたものをつくれなくて自分に悲しくなっていくより、今はコンビニでもおかずはいろいろあるのだしそれで毎日十分だと思っていた。が、一週間経って二週間経って、身体が圧倒的に野菜不足を訴えてくる。物を噛んで噛んで噛んで食べ下したい。とはいえ、根菜とかピーマンとか茄子とかそういうのは好きだがサラダのような生野菜がそんなに好きではなかったためコンビニ飯では上手いこと賄えず(やりようはどうにでもあるんだろうが)、この状況はどうにかするしかないと考え始めた。帰宅が遅いのも大きかった。幸い弁当屋なりコンビニなりは近隣にあるため帰りに買いに寄ることはできるのだが、当たり前ながらその分だけ帰宅は遅くなる。「例え作業が必要でも、早く自分ひとりの時間とスペースに戻りたい」と思うようになった。

 

というときに辿り着いたのが、山口祐加さんの『週3レシピ』という本だった。たぶん、いつも読んでいるソレドコの中の、スープ作家の有賀薫さんの記事からnoteへ飛び、そこから更に飛んで、という流れだったと思う。

srdk.rakuten.jp

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山口さんはこだわりポイントとしてこのように書かれている。

レシピ本は基本的に料理単品で構成されているので、玉ねぎ1/2とあっても、残り1/2の使い方は教えてくれません。そして、中途半端な野菜が冷蔵庫の中でしわしわになって結局捨てられる悲劇。余った食材が使えなくて「もう自炊しない!」と決めた人も少なくないのではないでしょうか。

ほんとそれな。マジで!それな!!!

であれば、元から材料が使い切れる献立を組んでレシピ提案すればよいのでは?と思い、週3回の自炊で使い切れる材料をもとに6品を組み立てました。

神の采配か。

また

この本は山口のレシピ本というよりも、「週3自炊のライフスタイル提案本」だと思っています。

とも述べている通り、本では前述の有賀さんや和食レシピサイトとして有名な白ごはん.com等のレシピも交えて、とにかく「続けていける」「自分の糧になる」自炊生活が示されている。とても良かった。

一緒に本をつくったという「自炊ができずにいた」側の方がまた名言を残されていて、絶対に自炊を始めるならこの本を買おうと思った。結果、今3ターンめの週3自炊生活を続けられている*4。うれしい。とてもうれしい。

 

自炊は、自分の命を自分でお世話できるということです。しかもすぐにフィードバックが得られ、満腹になれます。忙しい日々の中で週3でも自炊の時間を作ることは、命の手綱を自分の元にたぐり寄せるようなものだと思います。

note.com

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私の場合、母がきちんと「名前のある」料理をつくってくれる人で、また弟も調理を厭わない人間だったので、ずっとずっと気後れがあった。確実に父の血を引いている。名前のあるっていうのは別にビーフストロガノフとか金目鯛の煮付けとかなんだか大層っぽいものじゃなくて、食べたいと言って"副菜に"ポテトサラダをつくるとか、茶そばのために肉とかしいたけとか薄焼き卵なんかの複数の具材を用意できるとか、そういうものだ。ちゃんとした日常の食事はそれだけでコストがあって、それなのに段取り良くできることとか、家族分引き受けてそれができるという姿は自分の落ち込みをどんどん育てていった。いや母だって急にできたわけではなくこれまでの積み重ねもあったろうし今にしたってコスト払いもあるだろうよ(買い出しやメニュー決め等)というのを軽視してはならんと思えば、じゃあ未だにそれができていない私は、と結局落ち込んだ。もうこの歳になると落ち込む、というのはそれだけで「未だ建設的な解決策を立てられていない人間」、社会性の欠落みたいで更に自分を落としていく。負のループ。

というような感じだった状況が、今のところかなり上向きになっている。自分で買い物をして自分で切ってとりあえず煮て焼いて、自分が食べるおいしいものをつくれている、というのはほんとうに精神に良かった。茄子マジで天才じゃない?皮剥かなくていいし煮たり焼いたりするだけで美味い。なんならレンジで美味い。天才。

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汁物はあると絶対に良い

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とはいえポテトサラダもつくった
上の焼きそばにも入っている塩サバのフレークと混ぜたやつで、「これ絶対ホットサンドにしたら美味いじゃん…」と思ってやった めっちゃ美味かった

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今のところいちばん美味かった豚と茄子のやつ 最高

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これ用にブックスタンドも買った

一方でコンビニおかずの推しもできた。とりあえずこの辺り。

7premium.jp

手軽に海老欲が満たせる。これと共に卓上ミニサイズの味ぽんをレジに持って行ったのが私の新生活上初めて導入された調味料であった。

www.lawson.co.jp

あっためた瞬間はかなりにおいが強くておふ…となるのだが食べるとめちゃくちゃ美味い。より食べ応えを欲したときは茄子をぶち込んでいた。ずっと茄子食ってんな。

 

ところで新生活2日めと現ジャンルの新ボイスドラマシリーズ初回配信でテンションが上がって買った酒が「これはジュースって言って酒を飲む人の気持ちがわかる」となったのでそれ以降もたまに飲んでいるのだが(さすがに3%なので…)、それでも1回に半分くらいでいい。ビールみたいに130ml缶とか出してくれんもんかと思うが、チューハイで350より小さいのは8%250とかだった。無意味。結局半分くらいをラップして日を分けて飲んでいる。どうにかならんもんか。安上がりかもしらんが。

 

 

そんなこんなでえっちらおっちら一人暮らしの船を海面上に滑り込ませた。今年中の目標はあと歯医者に通うことと長く通っていけそうな美容室を探すことと、あとはKOKUYOエンディングノートを書くこと辺りだ。できれば防災グッズも揃えたい。今年の自分誕プレはプロジェクターだと決めている。あとはもうちょっと野望があったりする。

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スクリーン買わなくても壁が広いんだなぁ

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反対の壁(机前)はこうである やべー壁になってきたぜ!

kaigo.homes.co.jp

 

 

まぁ、がんばってみます。

 

 

 

*1:これは退勤後や休日は全く仕事のことを考えなくていいのが大きい。うれしい

*2:完全に親の援助下だったので感謝しかないのだが

*3:そうではないのは玄関の靴箱だけである

*4:ワクチンの副反応をおそれてその週は買い出しをせずにおいたら、びっくりするくらい元気だった。基本的に健康すぎる。アイスとゼリーはおやつとして食べている