一度や二度の悲しみじゃなくて

だいたい野澤と真田の話をしています

重ねてお気持ち

bookmared.hatenablog.com

前回の記事は「19日中に上げなきゃ…!」という気持ちで打つだけ打ったので、言葉が足りてないところや言い足りてないところ(この二者が意味合い違うの面白いわね)を修正したいなぁ~…と思い続けて盆休み。しかしいざ書き直そうとしてみるとそのときの衝動というかスピード感っぽいものが損なわれるな…という感じになったので、別記事として書き足すことにしました。自分の言いたいことばっか書き殴って見苦しいわね。とはいえ。まぁ自分のブログだし。

 

---- 

縁を切った人のツイを未だに見に行くのほんとにやめた方がいいんだけど

この記事を書いてからというもの、未練が供養されたのか他の人に言い募って触れ回ることで満足したのか、つい見に行ってしまう癖がスッ…と消えた。後者が強いのでは? これは後の話にも繋がるんだけど、やめよう、距離を置こうと思っていても彼女のTLを見に行ってしまっていたのは、「さすがにこの話題には批判の色を出してくれるよね…?!」と縋るような気持ちで確かめたかった部分もあった。でも実際は全然そんなことなくて、嬉々として賞賛しているような感じだったのでそれこそその流れの初期、AVの話題のときなんかにはものすごく愕然としてショックを受けた。これに賛同するんだ、そんな人がこの世にいるんだ、くらいの感覚だった。

 

彼女は被害告発はすべてが売名で金儲けのためのまったくの虚偽で、韓国の団体と繋がった人々による事務所潰しの陰謀だという立場だった。

告発批判をしていた人たちは同時に、反韓感情を持っていることが多かったイメージがある。というか、どこへの悪感情がスタートなのかは分からないが、示し合わせたように日本の戦争責任や戦争犯罪に対しての”自虐史観批判”も併せて持っているのはいったいどういう理屈なんだろうか(そもそもそういう史観を持っていて事件とも結びついたのか、事件によって反感を持ち歴史的にもそうした態度を持つようになったのか)。まぁ、安易に感情的になっているのではなくそれぞれを個々に批判すべき事案だと判断していると言われたとしても、相容れないだけではあるのだが。

 

そのときすぐに言えば良かったのに今更言うんだから嘘、相手が生きているときに言わなかったから嘘、無名で売れてもいない人間が言うとか嘘w、親が気付かない訳ないんだから嘘、笑顔で写っている写真があるから嘘、時系列に矛盾があるから嘘、別のあの人はそんなことなかったって言ってるんだから嘘、その苦しみで死を選んだ訳でもなく今も生きてるんだから嘘。

まぁ、本当に全てが軒並み、典型的二次加害のオンパレードだった。どれだけ想像力がないのだろうと腹が立って仕方がなかった。ちなみに「彼女が選ぶ言葉」という言い方をしたのは彼女が自分自身の言葉でツイートするよりRTが多いタイプだったためだが、そのことを以て免罪符には絶対にされたくない(前段の「立場だった」という言い方にももしかしたら「RTしただけのものをこちらの思想として断定するなんてあたおかw」くらいの煽りを受けそうだなと思うけど、人が蒐集し構成するTLは如実にその人の思想を表していると思う)。

この他にも、「事務所のオタクのおかげで宿泊業界や商品の売り上げが潤ってただろうに」といった、金銭を出す立場としての自分たちの権威付け/悪影響が出たときその諸悪の原因は批判をしている人々のせいだとする姿勢であったり、「この件にはこんなに大騒ぎしているのに、他のあれとかそれにはだんまりなんですか? それって偽善だしつまりは(?)真実性がないですよね」というような論点ずらしなどもあった。

当時ずっとずっと腹が立っててそれでも自分に正しく言語化する気力がなくて、怒りの整理のために他の人々が上げているツイをふぁぼってエクセルにまとめるという良く分からん作業をしていたのだが、見返すといくつかカテゴリ分けした中では「誹謗中傷の話」がいちばん数が多かった。その次が「司法の話」とか「暴力、加害性の話」とか。

 

二次加害の具体例は、例えばこちらのブログに種々まとめられている。

サバイバーを踏みにじる「二次加害」の暴力|みのたん

(いくつかの抜粋にしているのは、落としたものは二次加害ではないと排除している訳ではなく、この話題により当てはまるかどうかをあくまで個人的に考えたため。例えば初めの「■加害者の弱さや、背景にある事情などを理由に、被害者に対して理解や配慮、許しを求める行為」は事件が起こったことは事実だとしたうえでの話であって、根本から虚偽だとして行なう二次加害というわけではないので。)

■あなたの被害はたいしたことがない、もっと大変な人はいるというたしなめ/傷つくのは未熟だという批判
■加害行為や、被害の訴えを黙設する/しかるべき対応をしない/なかったかのようにふるまう
■加害者の功績を持ちだして、加害行為を矮小化する
■公に加害者を応援する、励ます
■第三者の不快感と、当事者(被害者)の傷つきを同列に扱う
■刑事事件になっていないことで、たいした被害ではない、悪質性はない(のではないか)という主張
■年単位の時間が経過してからの訴えであることを理由に、被害者に下心があるのではないかというような勘繰り
■加害者(団体)が自分にとって善良であることから、加害者は悪意がない、誤解ではなどを憶測で語る
■被害者像を押し付ける/価値観の異なる被害当事者を利用する

それで、

「仮に名が売れていない、業績がないクセに?という嘲笑が正当なのだとすれば、おそらく世の大半であろう、ただ市井に生きるだけの私たちが、仮にそれを言った「あなたが」被害に遭ったときどうするつもりなの? ほんとうに意味が分からないし、もうほんとうに、ほんとうに我慢できない(2023/11/14)」

「これってずっと疑問だったんだけどあるときふいに、「あ、因果が逆なんだ」ってことに思い至ったんですよね いつか自分が何かの被害に遭う可能性をないものとして言ってるんじゃない、氷河期世代として世間の被害にあった「あなたは」他の弱者が救われることが許せないんだって/それが性被害者への、外国籍の居住者への攻撃理由になってるんだって 知らないよほんとうのところは 知りようがないよもうお話しすることはないから でもそう自分の中で繋がったらものすごく腑に落ちた(2024/10/20)」

この転回によって勝手にひとりで腑に落ちたのだけども、ここに至るまでに見た二次加害には本当に、本当に腹が立った。見るのをやめろ。あと二次加害というのは、例えば良かれと思って「大したことじゃないよ」と声をかけてしまうなどの例もあるが、この事件の場合は意思を持って加害に走っているというのが実状だ。自分たちの方こそが棄損されている側であり、だから加害する。今は政治の場でもこの動きが本当に多くて、ずっと腹が立っている(政治というかそれ以前の、政界という目立つでかい場を利用した広範な加害活動というべき)。

 

国際法からとらえるパレスチナQ&A/ステファニー・クープ|岩波ブックレット - 岩波書店

イスラエルのガザ侵攻等の動きを国際法を通して問うこの本に、以下のような記述がある。

「国際的な紛争がなくならず、またしばしば力による支配が続く状況に陥るのは、多くの場合、国際法の理念と概念が不十分だからではなく、とりわけ力を持っている国や地域が国際法に違反し、司法の判断を尊重しないためです。」

これは決して、紛争に限った話ではないと思う。人が亡くなろうと、被害を訴えようと、それさえを嘲笑、侮辱して更に加害する。そういう人間たちが想像以上に大勢いることに、どうか、どうにか世界の底が抜けないでほしいと繰り返し抗うしかない。

 

職場の飲み会で遠方の人が遅くなって、うちに泊まってもいいですよ、と言った男性にその人が、「ジャニーさんみたいなことせんやろなぁwww」と笑ったこと、私に向かって上司が「中居くんも、ちょっと誰かが1時間くらい巻き戻って引き止めてやったらこんな騒ぎにはならんかったやろうにねぇ」と世間話の流れで言ったこと、選択的夫婦別姓制度の講座で、「選択的夫婦別姓とか言っている奴らは勉強が足りてない」とアンケートに書いて寄越した男性のこと。

1つめは、その場では反応できなかったんだけど後からふつふつと、性加害を冗談にできる属性の人間に(属性というのは間違った言い方でその人間個人の資質の話だが)怒りが沸き上がったし、2つめは「いやなぜそれを私に言う?」という醒めしかない。彼こそが「うっかりで」「本来の責任以上の非難を不当に浴びて」「なんにも悪くないのに」「かわいそう」という視点。いやそれを私に言って共感が得られると思ったか? 腹が立つ。  

「そんな人でない」「才能ある」 性加害男性に集まる「ヒムパシー」:朝日新聞

3つめは仕事関係の女性団体が主催していたもので、参加は女性に限りませんとのことだったので少数ながら男性もいたようなのだけども、事前アンケートでその発言。いやー、まぁそら、同調する人にしか参加資格がないというのは議論の場として正しくないのはそうなんだけど、わざわざ乗り込んでそれを投げ付けてくる意味?!そういうところだが?! 議論乃至自分の論にこういった正当性があるという説明ではなく、勉強が足りていない、という相手側に対する非難でうんざりした。

あと腹立ち列伝に並べ忘れたんだけど(まだあるのか…)、仕事の忘年会で行った店のトイレのドアのステッカーが「男性が女性を覗き見してるピクトグラム」で、それが商品として売られていることも、それが店舗に貼られていることも正気を疑った。何ひとつ冗談にならないんだが? しかもここ男女共用トイレなんだが?? ピクトグラム上仕切りがあってこの具合なら共用ならもっと明確な加害が示唆されないんですか??! 意味が分からん。今リンク貼るために検索したら、この柄のTシャツまであった。ふざけている。

【楽天市場】【送料無料】トイレステッカー 覗き見 ウォールステッカー 壁紙シール 転写式 18*25cm #426:DECOSTE

 

 

対価として体を差し出すなら良いと。

これ読み返しながら思ったんだけど、もし急病になったのが女性で男性の方が助力を請うたとしても、対価として要求されるのは男性の財産とかじゃなくて「じゃあその女が治ったらヤらせてください」で、男も了承するんじゃないかと想像してゲロゲロした。そんで勝手に受諾して勝手に物扱いして提供したのにゆくゆくは汚れてるとかなんだとか非を転嫁して女性を捨てる結末になりそうな気がする。被害妄想はやめろ男とは誠実でそんなことしないと言われたとしたって、「いやこちらの身体を物としてやりとりさせる問題設定つくったのそちらですよね? そもそもその加害性が必要なかったのにどういうことなんですか?」くらいのことは言いたい。

 

 

まなじりがかっとなったし口を開いたら怒鳴りそうだったけど、配信だったからなんとか画面前で耐えた。耐えたというか、自分の混乱や感情を必死で収めようとしていた。

メダリスト13巻の描き下ろし4コマを読んで「瞳先生の言語化がすごい」という感想を流したのだけど、なんというかかろうじて表に出せたのがそれで、正直に言うとそれ以上に心を抉られたのはその前のコマの司先生の方だった。自分の心情においてつらかった出来事を明かしたあとの「被害妄想してるって恥ずかしいやつかも」という思いに慌てふためいて口数多く周囲の善いところを、自分の非をまくしたててしまう姿。身に覚えがありすぎて、あまりのことにびっくりした。それはそれとして瞳先生はマジでずっっっとすごい。

 

我ながらお気持ちだなぁと思う。ここ何年かでフェミニズムへの興味関心を持ち始めてはいるが、私のこれは、何かに怒っていたいからなんじゃないか、怒りをぶつけて自分に正当性があると思っていたいからじゃないか、と思うこともある。だからきちんと語彙を、歴史を、実を備えて、言葉で表せるようになりたい、とは、思っている。

言葉が足りていないといったのはここの部分で、なんというかあまりに殊勝に書き過ぎている。この部分は正しく言えば、「フェミニズムに連帯しようとするのは「自分は謂れのないことで不当な扱いを受けている者なのだ」といかる立場を得ることが本旨で、自分の個の非や負の気質を脇に置きその批判から目を逸らし続けるためではないか」という内省がある。年齢も年齢となり、仕事についても幾度か転職をしてきたがおそらくこの先はこの職でのみやっていくのだろう、となればその中身の精度を、密度を上げていかなければならないというときに、自分の怠惰性であったり質の低さを突き付けられて尚、では建設的にと人生を、人間関係を積み上げていかなければならないことからの逃避。より大きな社会問題にいっちょかみすることで自尊心を保つ流れなんて、凡百の人間が踏んでいる。

女性の人権の制限、蔑視は事実謂れがないものでありそれへの抵抗は行なっていくべきだが、こと自分が盲目的にその主張にばかり走る前に「その前に正してやるべきことがあるだろう、家のこと、社会生活の中ですべき行動が」という段階を済ませる必要がある。人権の制限を主張する連中がよく言うような「権利があるのは義務を果たしている人間のみ」というのは全くの誤りだが、それとはまた別で、目の前の話に手を付けず社会問題に興味がある振りをしていい気になっていても馬鹿だよなという後ろめたさというか…。

あとは最後の文も、アンチフェミやミソジニスト、もっと平たく言ってしまえば件の彼女との争いになったとき「ぜってぇ論破()されたくねぇ冷静にガチギレして言葉で詰めまくりてぇ…!」という動機が多分に混じっているものなので、「だから」というのは前段落の後ろめたさと併せて「攻撃される隙をつくりたくねぇ論破してぇ…💢💢💢」という趣旨の接続だというのがより正しい。

そしてここにこそ自分自身の加害欲があるのは自覚しているので、せめて抑えていく努力をせねばならない。私の傷から生み出すものを加害ではないものにしなければ、同じ穴の狢なのだ。

(それこそ彼女のTLを中毒的に見ていたとき、妄執的に彼女への煽り文句が頭の中を駆け巡っていた。いつでもそう、癇癪で喧嘩をぶちまける妄想に駆られているときが、いちばん精神に良くない…。)

 

私は1年ぶりの中田裕二のライブを見ながら、「この歳になると(歳の話でもないが)、好きな人を政治性に怯えながら見なくちゃいけなくなるのか…」と無闇にびくびくする羽目になった。彼が最近ハマっているのは仏像とかで、無事杞憂に終わった。彼がASKAを敬愛しているのはもう魂の問題なのでそこは、もう私には。

まぁ、仏教がひろく膾炙しているとはいえその接続を無垢に捉えすぎるのも違う話ではあるなとは思うが。仏教もまた宗教であり思想なのは当然の話である。あとちょうどこの数日の間にASKAが核は安上がり発言に賛同していた。あーあ…。

私が椿屋四重奏、引いては中田裕二に捕らえられたのは2006年当時三軒茶屋のツタヤで聞いた紫陽花/螺旋階段の衝撃のせいだったが、その後書かれた彼のとある日のブログもまた、まぶしいような救いだった。

ほっと一息 : 椿屋四重奏・中田裕二「KIRISAME DIARY」

走行中の電車内ではたらかれた強姦事件のニュースの翌日だった。07年、今ほどSNSが広まってはおらず、ある程度ファンであったり興味を持った人間しか見に行かないブログという媒体だったとしても、音楽をやっている人間が表で触れなければならない事件では、ないかもしれない。けれど、声を上げて、こういう言い振りをしてくれる人間がいることが、当時の私にはあまりに救いだった。今読み直しても、彼自身の若さも見えるけれど、素直にまぶしくてうれしいと思った。

気付けば20年好きなのでちょっとビビる。

 

 

長くなり過ぎた。そら元記事の修正じゃ収まらんわい。

どうにかこうにか、負けないように。

 

 

 

徹頭徹尾お気持ち

縁を切った人のツイを未だに見に行くのほんとにやめた方がいいんだけど、オタクツイの中にヒュッと私が縁を切ることを決めた主張の類が至極当然の顔をして現れることにギョッとして、その「ギョッ」とする瞬間を得に見に行ってしまっているのかもしれない。アンチスレのヲチをする感覚みたいな。

彼女とはそれこそツイを介して友人になった仲で、10年強の付き合いの終盤はコロナ禍でほぼ会う機会はなかったけど、ライブにも舞台にも食事にも宿泊にも行った人だった。当時も、彼女を含めたいつメン的な顔触れとは、「好きなものが合うのもだけど、嫌いなものが合うからこそだろうね」というのは自分たちで自覚があって、だからこそ自分が許容しがたい姿勢を相手に見たときには亀裂は決定的だわねというのは、それはそうとしか言いようがない。

元々、彼女が世代的に民主党政権時代を恨んでいることは知っていた。けれど私の中にそのことに対する実感が育っていなかったのでそれは論点ではなかった。嫌だな、と思うようになったのは、とある女性支援団体を攻撃する人間の主義主張をRTすることだった。私はその前からその団体には親団体的(?という言葉はあるのか)な心情でいたので、こういうところで逆が出てくるのか、と思っていた。その辺りと前後してだったかで、ジャニー喜多川氏の性加害問題が大きな話題となった。彼女は被害告発はすべてが売名で金儲けのためのまったくの虚偽で、韓国の団体と繋がった人々による事務所潰しの陰謀だという立場だった。そのときすぐに言えば良かったのに今更言うんだから嘘、相手が生きているときに言わなかったから嘘、無名で売れてもいない人間が言うとか嘘w、親が気付かない訳ないんだから嘘、笑顔で写っている写真があるから嘘、時系列に矛盾があるから嘘、別のあの人はそんなことなかったって言ってるんだから嘘、その苦しみで死を選んだ訳でもなく今も生きてるんだから嘘。彼女が選ぶ言葉にはありとあらゆる二次加害が溢れていて、その合間にも、件の女性支援団体及びその代表の方を棄損するツイは紛れていた。事務所を潰そうとする界隈、と関係があり利権があるという了解だった。明らかにその人をモデルとしたAVが出されたときも、そんなことされて当然wという口だったし(セックスワークを肯定する人々は、その一方で性的に扱うことが攻撃となることを分かっている。いつもその二面性はなんなんだとめちゃくちゃに腹が立つ)、韓国のアーティストが音楽フェスで性的な被害を受けたときも、日本に来ておいて、そんな薄着で人前にいるくせに、というような言いぶりだった。性犯罪の告発はすべて非難されるべきなので、彼女は松本人志も擁護するような一貫ぶりだった。すべてすべてが私の信念と逆張りで、この頃にはたぶんミュートしていたと思う。反論しようとすると絶対私が感情的にぶちまけることになるから、穏健に済まそうと思ってフェイドアウトを装った。それでも見に行くから私が悪いのだが、去年の都知事選のときに当たって、例の支援団体攻撃YouTuberの立候補をRTするのを見てとうとう、あっ、これは主義主張のうちで自分に瞬間的にでも掠るものがあるからRTしてたんじゃなくて、もう、積極的に同調しているんだと絶望して、確かその日のうちにLINEでブロックをお願いして対話を切った。

 

当時の自分が鍵アカなので直打ちするけども

「仮に名が売れていない、業績がないクセに?という嘲笑が正当なのだとすれば、おそらく世の大半であろう、ただ市井に生きるだけの私たちが、仮にそれを言った「あなたが」被害に遭ったときどうするつもりなの? ほんとうに意味が分からないし、もうほんとうに、ほんとうに我慢できない(2023/11/14)」

「これってずっと疑問だったんだけどあるときふいに、「あ、因果が逆なんだ」ってことに思い至ったんですよね いつか自分が何かの被害に遭う可能性をないものとして言ってるんじゃない、氷河期世代として世間の被害にあった「あなたは」他の弱者が救われることが許せないんだって/それが性被害者への、外国籍の居住者への攻撃理由になってるんだって 知らないよほんとうのところは 知りようがないよもうお話しすることはないから でもそう自分の中で繋がったらものすごく腑に落ちた(2024/10/20)」

 

 

今回の参院選周りを見ていて、この考えが頭をよぎる。ものすごく平たく言えば、「自分が被害者だから加害をする」流れだ。

この間漫画家の松虫あられ先生のブログを読んだときにもぶり返した。

matumusibook.hatenablog.com

この「日本人ファースト」に異を唱える私に「あなたの作品が好きだったのに」と異を唱える人は外国人排斥する党を支持していたり参政党の支持者の方だったりするのです。(そして大体これは差別ではないと主張していらっしゃる)

そういった方々が私の作品のどういう点を評価してくださっていたのか気になりました。すこしその方々の投稿を深く読んでみるとほぼ似たような主張をされている事に気が付きました。

「人物の心情が丁寧に書かれているところに惹かれていたのに」

「人の心の機微に敏感で繊細な愛情ゆえの確執を描ける人なのに」

なんだかちょっとはっとした。

え、つまり「人の感情に敏感で繊細に描ける作家なのに何で私達の不安な気持ちは分かってくれないの」ってこと???

いやあの、自分を他人に委ねすぎでしょ。

「差別をやめろ」というのはそれだけの意味でしかなく、あなたたちの事はどうでもいいとかそういう話じゃないじゃん…

「差別をやめろ」は人権の問題で気持ち云々とは別の話じゃん…

冒頭の「好きだったのに」というのも「あなたのことが好きなのになんで私達に都合の悪いことを言うの」でしかないわけです。

 

そのちょっと前に臨床心理学者の東畑先生の記事を読んだときと通じるものがあった(読んだのはほんとにこのタイミングだったけど、記事自体は去年の12月寄稿だった)。

www.asahi.com

労働組合や業界団体など、票の取りまとめをしてきた中間組織の力が弱まり、投票が個人単位で判断されるようになったことの必然だと思う。社会は巨大で、個人はあまりに小さい。政策を理性的に吟味し、その利害を計算することと、個人の実感は遠い。

だから、私たちは政治家たちとの半径5メートルのつながりを求めざるをえない。私の傷と誇りを想像しながら政治に取り組んでほしい。共感したいし、して欲しい。これらは自然な気持ちだし、正当な要求だとも思う。民主主義における政治家とは本来、そういった小さな物語をくみ取り、託される存在であったはずだ。

ただし、傷と誇りを託す選挙には脆弱さもある。自分とは異なる投票を行う他者を憎みやすくなるからだ。小さな物語は脅かされやすい。ほかの物語が大声で語られると、私の傷は存在しなかったことにされ、誇りは侮辱されてしまう。だから、私たちはつい、他者の投票を、物語を否定したくなる。

 

無論この東畑先生の話は私自身にも跳ね返ってくるわけで、冒頭に書いたとおりこの文章全体がそもそも私のお気持ちでしかない。私は私の傷を棄損されて怒っている。

 

 

職場の飲み会で遠方の人が遅くなって、うちに泊まってもいいですよ、と言った男性にその人が、「ジャニーさんみたいなことせんやろなぁwww」と笑ったこと、私に向かって上司が「中居くんも、ちょっと誰かが1時間くらい巻き戻って引き止めてやったらこんな騒ぎにはならんかったやろうにねぇ」と世間話の流れで言ったこと、選択的夫婦別姓制度の講座で、「選択的夫婦別姓とか言っている奴らは勉強が足りてない」とアンケートに書いて寄越した男性のこと。


ずっとずっと泣き叫びそうなくらいに腹が立っている。

今の資格に合格してからすぐの頃に、県の青年会が実施したリーガルカウンセリングの講座に出た。その事前課題の詳細をもう一度も読みたくないのでもしかしたら記憶を誇張して書いているかもしれないが、あらすじとしてはこうだった。なんか無人島みたいな旅行先で、カップルのうち男性が急病になった。折しも悪天候で船を出すのは命に関わる可能性もあるが、女性が船長に頼もうとすると、対価として体を差し出すなら良いと。泣く泣く了承して無事に男性も助かったが、どうしても、どうしてもつらい。女性が男性にその出来事と心情を打ち明けると、男性は女性を突き放し別れた。なんか男性を治療した医師も慰める振りして女性に言い寄ってたとかだった気がする。今の資格の研修会はグループディスカッションが好きで、この事前課題も数人の班で話し合いましょうという流れで、そもそも誰に非があるか、そういう直接的な言い方だったかは曖昧だがとにかくポイント付けをしておきましょうとかいう話だった。Zoomでのオンラインディスカッションで同じ班の男性に言われた。「この女の人も言わなきゃ良かったのに」。

まなじりがかっとなったし口を開いたら怒鳴りそうだったけど、配信だったからなんとか画面前で耐えた。耐えたというか、自分の混乱や感情を必死で収めようとしていた。そうなの?あれっ、これってリーガルカウンセリングの講義だよね?あれ、そうなのかな、受ける側は問題の感情的な部分と距離を置いて冷静に努めるべきって話で、ここで泣き叫んだら白い目で見られるのかな、私こないだ受かったばっかりで、もうお前の場所じゃないって弾かれるんだ、いやでも、そうじゃん、もしかしたら債務整理の相談を受ける人がお金にまつわるトラウマがあるかもしれないし、相続絡みで家のことを思い出す人がいるかもしれないし、じゃあ、性被害にまつわることで私だけが泣き叫ぶのって、おかしいんだよね。そう頭をめちゃくちゃに働かせてなんとか黙った。

運営側が用意していたこの課題の終着点は、「いろんな考えの人がいます」だった。

 

それはそうだとして、その結論を提示するためにこのあらすじが、そして二次加害が必要だったとは、未だに全く思えていない。

 

 

我ながらお気持ちだなぁと思う。ここ何年かでフェミニズムへの興味関心を持ち始めてはいるが、私のこれは、何かに怒っていたいからなんじゃないか、怒りをぶつけて自分に正当性があると思っていたいからじゃないか、と思うこともある。だからきちんと語彙を、歴史を、実を備えて、言葉で表せるようになりたい、とは、思っている。

とっ散らかってはいるが、選挙の話に戻す。参政党とかN党とかの話を見ていると、ほんとうに自分たちが被害者だと思っていての加害欲があるんだろうなぁと思う。ただし被害というのにはいくつかグラデーションがあって、その中には「自分の”権利”の実行を阻害された」ようなものも含まれる。ナンパして振られたらブス!って言い返すような軽率さ。それをありとあらゆる政策の中で見出して、加害して、支配して、ゆくゆくは破滅させていくために言論張ってるのかな、とさえ思う。排外主義も、男女同権の否定も、核武装憲法改正も、マジでマジでマジでバカげている。

ついこの間だと思っていたが、めぐみ閣下(林原めぐみさん。中高生の頃ずっとHeartful Stationを聴いていたアニラジ世代だ)のブログが取り沙汰されたのは、ここまで参政党の話題が大きくなる前だった気がする。私が世界情勢にショックを受けたのが、トランプ政権による留学生排斥がまかり通ることに今更ながらに端を発するので(無論ウクライナやガザのこともあれど)、その辺りも(背景を)看過されて(日本にいる日本人の)被害に言及されていたことになんだか気持ちが落ち込んだ。アニメーターのすしお氏などが炎上したのも直近の話で、私は1年ぶりの中田裕二のライブを見ながら、「この歳になると(歳の話でもないが)、好きな人を政治性に怯えながら見なくちゃいけなくなるのか…」と無闇にびくびくする羽目になった。彼が最近ハマっているのは仏像とかで、無事杞憂に終わった。彼がASKAを敬愛しているのはもう魂の問題なのでそこは、もう私には。

なお、冒頭の彼女は、参政党には批判的なようだ。まだ見に行っとるんかお前。マジでやめろ。けれどその口でクルド人問題が、韓国が、中国が、とは述べていて、一線を越えた言論の党を否定することで、自分たちの排外主義に正当性を持たせているだけの欺瞞だな、と眺めてしまう。この間は「差別反対って言う人たちって内申点稼ぎだよね」みたいなのをRTしてて、開いた口が塞がらなかった。誰に?!差別に抵抗するって、誰かに評価されるためにやることなの?!誰かって、誰?!

私は仕事したくなくて早く人生やめたい、終わりたい、とは思っているけど、それと世界が戦争に突入してほしいとか他者を排除したいとか、ゆくゆく私が排除されたい、とは思っていない。人生に疲れていることとそういう世界になるのを希わないこととは、両立するはずだ。頼むから明日、どうかこの世界の底が抜けないでほしい。

 

 

 

指輪を買った

「文章が支離滅裂であることは、分かっていることとして」

 

 

タイトル通りだが、指輪を買った。

これまでも指輪というものは買ってきたし買うからにはかわいい、ほしいと思ってのものでは違いないしそれら今まで求めてきたものが劣っているという訳ではないのだが、これまでと明らかに「違う」ものを買った感覚がある。それはありていに言えば価格帯の話かもしれないし買うに至るまでのその半日の強圧縮された時間が加味されるのもまたひとつ違いないのだけれど、手に入れて一月、この感覚の主題は「私から浮かない指輪を手に入れた」ということだった。

 

アクセサリーを、過度のオプションだと思うきらいがあった。だからかも知れない。ゴージャスにいくつもの指輪もネックレスもピアスもしているマダムには自分との隔たりを感じたし、アンクレットをしている男性の足を見て気持ち悪い、と思ったこともあった。キモ、という嘲りや好みの範囲外という話ではなく、悍ましさに近かった。社会生活に必要な衣服以上のオプションを男性が選択して付けるということに、性を感じてしまって気持ち悪かった(ここで対男女やあるいは女性の中でも年齢に応じて感じ方の違いがあることについては、私自身のバイアスがあろうものなので問題としてはおかねばならないのだが)。

だから、おそらく私が今まで身に付けてきたアクセサリーは、浮いていた。ライブ、イベント、そうした非日常で付けるものであって、そういうものしか持っていない。買えていない。無論どれもかわいいし、かわいいし、かわいいのだが、それはそれらを身に付けた私ごとを「社会にきちんと溶け込めない」存在として浮かび上がらせているようだった。日常の延長線上として非日常を楽しむのではなく、ちぐはぐと分断された様でしかない。別にそこに己の意思として切り替えスイッチを置くとか、そもそも切り替えて別存在になってこそでしょ、という自己発信の肯定のもとに動いている人は当然それでよくて、私の場合はそうではなかった。ずっとずっと、周回遅れのちぐはぐ人生。私の生き方はただ、スポット的なものでしかないのだ。

 

ところで、私は3月イベントのために東京に行く手配をしていた。前回行ったときに観光時間を持て余してしまったため、前乗りとはいえ昼過ぎにゆっくり出て夕方前着、当日もイベントを少し早めに撤収をしたら即空港へ、という流れだった。そこにふと、あそこに行ってみたいな、という場所を思い付いた。とあるジュエリーショップだ。たぶん数年前にツイッターで見かけて、東京、しかも松濤かぁ~、と眺め、その後も折に触れ目に入れていた。松濤の旗艦店に併せて、近年、新宿と有楽町にもショップができている。上京する日はあいにく旗艦店は予約制(フリーオープンの日と予約制の日がある)、また別口で奇跡的に開催のタイミングが合った個展にも先に行きたいなとなったので(幸い高倍率を超えて当選した!)*1、そこから宿への動線を考えて新宿の店舗に行くことにした。小雨の微妙な中谷根千を抜けて新宿へ。かつて東京にしばらく住んでいた割に土地勘のないままの私は、そもそも比較的新しい商業施設であるニュウマン新宿への動線はよく分からないまま、その上先にルミネ新宿へ寄り道をした。こちらに入っているお店も気になっていたから、本命前に見ておこうという算段だ。そちらで見たパールのイヤリングもとても良かった。耳たぶが厚いのとイベント前の大荷物のせいで大いにもたもたする私に店員さんが手ずから付けてくださるという申し訳ない場面を経ながらも(イヤリングの手伝いってたぶんあんまりない)、この後の本命の予算を考え、最悪諦めきれなかったら通販にしよう、とその場を振り切り、そのままフロア半周先の服屋さんへ立ち戻った。戻った(・・・)、である。エスカレーターを降りてこのフロアに立ち入った一歩目、そのお店のマネキンの着ていた服一式がとても良かったのである。物欲しげにマネキンを眺めるもたもたした女など、ルミネ新宿などという激戦区も激戦区であろう商業施設で働いてあるトップクラスの店員さんが掴まえるには容易すぎただろう。わざとらしさも何もないテンションとホスピタリティによりあれよあれよと2セットくらい全身分試着をし、ほしい、ほしいと焦れながらも、この後の予算が、と振り切って今度こそルミネを後にした。そこからニュウマンまでは駅前の大通りを横切るのだが、そのタイミングで山本太郎を先頭にしたれいわの練り歩きエレクトリカルパレードに遭遇してしまい、やっぱ芸能人だけあってリズム感っつーか謎の舞台強さが…あるよな…と謎の納得をした(なんというか一定のベースに乗っておそらく即興で税金や米の主張を繰り出し続け、間で一度音が止まったときには即座にスタイルを変え語りに入っており、…その慣れの技術とは…となった)。

 

閑話はいい。かくしてようやくニュウマン新宿に辿り着いたときには、19時をしばらく過ぎていた。閉館前1時間を切っている。この階だ、と歩き出したところから逆に一周して遠回りの上で来たそこは、目を見張るような景色だった。

波打つ、砂のようなディスプレイ。

普段見かける、四角いショーケースの中に収められたジュエリーショップとはまるで違っていた。その波の上にいくつものジュエリーがそのままで置かれている。区切られたショップの中に立ち入るのではなく、エスカレーター脇の通路沿いの立地だったことも、元々見ていたお客さんが他にも数人いたこともとても心理的ハードルを下げてくれた(謎の新宿テンションも大いにあったのだろうが)。目星を付けていたタンザナイトの、あるいは同じデザインのトパーズのエタニティを眺める。他の方がしていたので私も比較的気後れなく、試着してみてもいいですか、という言葉が自然と口を出た。予算的にも、飛び込んでこれくらい。石によって数千円の差はあるけれどこのどちらかで決めよう、と思って付けてみた指輪は、──なぜだかしっくりこなくて瞬間ヒュッと息が漏れた。そもそもこのショップは、オンラインでのバーチャルトライができる。化粧品とかでもよくある、カメラを起動すると実際に付けているように試せるというあれだ。だからそれで事前にいくつか気になったものを比べ、想定していた、にも関わらずだ。なにか。何かが。どうして。それでも、「そもそも東京に来なければ実際に見て買えない」「閉館まであと数十分」「ここの指輪が、ほしい」という熱に頭を焼かれて、その奥にあった別のエタニティの試着をお願いした。これもバーチャルでやってみて、目立ちすぎるかな、と考えていたそれ。

今度は息を呑んだ。これしかない、というくらいにそれは、私の手に馴染んでいた。

これだ、と思った。*2

 

 

週明けの月曜日から、職場に付けていった。誰にも、何も言われなかった。すごく、すごくうれしかった。あなたおかしいよって言われないんだ。あなたには変じゃない?って言われないんだ。私が付けてても、いいんだ。指輪って、いつもの私がしてていいんだ。

これは、私の指輪なんだ。

 

 

 

かくして、その指輪は普段は左手の中指に収まっている。非利き手のそこが、いちばん障りがなくそして目に入る。休みの日にするときは人差し指か親指にする。スマホを扱ってるときに目に入るので(ツイ廃だから…)*3

別に表に出さないだけで、似合わない指輪してんな、とか思われてるのかもしれない。そもそもあなた社会に入れてないよお荷物、って思われているかもしれない。でもそんなことはどうでもいい。この指輪のことだけは。私に似合っているという確信があるから。

 

 

先日、QuizKnockの志賀さんが、以前書かれたnoteを再度タイムラインに上げられていた*4。それはおそらくは、カウンセラーによる今炎上している著書の話題を契機としてなのだろうと勝手に思っているのだけれど、そうして改めて彼の文章を読んで、「自分は人に迷惑をかける存在だと感じて生きることのつらさ」、それと相反しても同時に存在する「自分をそういう存在だと規定する周囲への抵抗」にまた実感を覚える(無論、違う人間として存在し誠実に紡がれた人の言葉を勝手にこんな短い羅列にまとめることも、暴力じみた行為なのだが)(承知していると言いながらやること自体が既に暴力よ)。

そのカウンセラー曰く「困った人」に当たる私はけれどその一方で、「どうして世の中の人はそんなに臆面もなく(・・・・・)生きているのだろう」と心から不思議に思う。どうしてそう臆面もなく喋り、集まり、自分が正しいと言う態度で仕事や生活とやらを行なえるのか。『はいよろこんで』や『君と宇宙を歩くために』が共感を持って迎えられているのなら、世の中のどこにそんな人たちは隠れているのだろうか?

その前者たる臆面のない人々をぶん殴りたいと思いながら、一方で自分は確かに落伍者ですと感じて生きている。その両方を反復横跳びして。

そこにひとすじ光りが灯ったことだけは、確かに抱えていたい。

 

 

 

https://www.artidaoud.com/

 

 

 

*1:鷹山 真彩さん『きらきらいきもの展~わくわくパーティーのまき~』

https://www.white-gallery.tokyo/2025/03/03/3658/

*2:その後、ずっと繰り返してきた「予算」よりも倍以上の金額であることに一瞬躊躇ったが、すかさず「ちょうど来月から(つまりあと2週間ほどで)11,000円お値段上がっちゃうんです」と挟み込まれた店員さんの言葉に「じゃあ今じゃん」と即断し、あげく5,500円のネイルリングを買い足し、私の買い物は幕を閉じた。もはや誤差だろ。

*3:買ったときは完全にハイだったのだが、左手中指に白い指輪を付けることで、ホワイトリングの意味をも持ちうることに後から気が付いた。以前、アセクシュアルであることを表現する右中指のブラックリングのことを知ってこれだ!と買った指輪があるのだが、それは今に至るまで、デザイン上か気持ち上か、私の指から浮いているように思う。私が本当に当事者なのか分からないままなぞることはその意味合いの簒奪であり当然良くはないのだが、左中指のこの白い石の指輪は、ホワイトリングとしてすごく私に似合っている。今自分で思うのであれば、「性嫌悪のあるアロマンティック」がいちばん近いのではないだろうかと考えている。

*4:病葉|志賀玲太 / シガレータ

2024購買雑記

前の記事がほぼ2年近く前。もうしばらく長い文章が書けていなくて書き方を忘れている節もあるしそういうテンションに自分を引き上げられるかも微妙なところはあるのだけれど、今年買ったものをまとめておきたいので縦になる(休日の大半を横になり過ごしているので縦になることさえライフポイントを消費するといった風情)。

とにもかくにも。

 

 

MOTHERHOUSEのカバン

Antique Box Totewww.motherhouse.co.jp

こういう感じのぬめっ…とした感じの革が好き。仕事用に使っていたカバンが合皮でもうもろもろになってしまってさすがに…というところで、見た目がきちっとしたカバンがほしかった。元々いいなぁ~、好みだなぁ~と眺めてはいたのだが、店舗があるのが博多なのであまり行くタイミングがなく(*1)、その数少ない機会の中でようやく買う奇貨が回ってきたなぁというところだったのだ。

初めは仕事用だしあまり服の色を選ばなさそうなブラウンやグレーをと考えていたのだが(ネイビーは一回り大きいタイプにしかなかった)、いざ鏡の前で持ってみたらグリーンがとてもかわいくて、というかせっかく買うのにブラウンとかじゃ面白みなくない?!となり(無論かわいいのだが)、でもどうかなぁ~、浮くかなぁ~とうんうん考え込んでしまったところに、店員さんから「グリーンのはパッと選ばれる方も多くて、一目惚れカラーなんて言われるんですよ~」などと言われ。

買った。この直感は嘘ではなかった。

というわけで1年弱。全然へたらないし自立するしポケットもいっぱいあるし(特にサイドにある細いポケットが折りたたみ傘が差せてちょうどいい。一緒に筆箱を入れても余裕がある)、何よりやっぱり色がかわいくて良かったなぁ~と思いながら日々持ち歩いている。近年の気付き、こういう深めの緑が好き。

別に概念で選んだ訳じゃないけどこうなったんだよな(爪に関しては概念色を集めているが)


nichinichiさんのアクセサリー

nichinichi-shop.com

ヴィンテージのガラスやビーズをつかったアクセサリーをつくっていらっしゃる作家さんのもの。

nichinichi-shop.com

元々はこの赤いイヤリングがものすごくかっこよくてほしかったんだけどもう再販はされてなくて、でもいつかnichinichiさんのアクセサリーがほしいなぁ~と思い続けていた。個人的に私はイヤリングの材質としてガラスは似合わない・アクリルは似合うという訳の分からないがわりと確固とした自認があって、例えばHARIOのアクセサリーとかもかわいいなぁ~と思うんだけど福岡にららぽーとが出来たときにわーいって見に行ってみたらやっぱ似合わねぇ…というのを確認するだけになった記憶があるなどする。あとビジューというか細やかなスワロフスキーがぎゅっと集まったようなものも、眺めてるとかわいいのに耳元に持っていくとなんか解像度がぼけたようにぐしゃっとなって、ということは要素的にはおそらく似合わないだろうなぁというのが分かっていたにも関わらず、nichinichiさんのアクセサリーがずっと憧れだったのだ。そこまで思っていてなぜ今までに至ったかというとそもそも、オンラインショップが開くタイミングを見逃し続けていたというのが正しい。そのていたらく。

というところでようやく、しかもすごくかわいらしいものを手に入れたのだ。箱を開けたときあまりにきらめいていて思わず動画に撮って見せびらかしたぐらいだ。ちなみに正直言うとこれは概念を含めて選んだところはある。

次にイベントに行くときに着けていきたいなぁ~とは思いつつそれがおそらく来年の3月の話だったので、「nichinichiさんのアクセサリーをおろすんならさぁ!選挙の日しかなくね?!」という勢いで衆議院選挙の時におろした。投票所に行くだけだったんだけど、とても晴れやかだったよ。あとなんか分かんないけど似合ってた!なんでだろう?!うれしい!!!

一緒にいただいた「VOTE」カードとともに 下の丸いのは支えに置いただけの無関係のイヤリングです

 

髪まわりのこと

以前のブログから数年経ち年齢的にはもはや次のステージに上がろうかという段になってなお、美容院とは和解をしていない。相変わらず全くコミュニケーションを見出せないし所在ないしどうしたってめちゃくちゃに嫌いだ。これを読んでいる方の中に万が一美容師さんがいたら申し訳ないのだけれど、ずうっと「AIにとってかわってほしい職業第一位、美容師」などと怨念を振り撒いている。自身を正しく正すためには人の手を入れなければならない、それはあるいは整体であったり運動であったりするんだけれども、一昨年だったかそうやって外に出てみてはやっぱり自分が世間一般的な対人能力がないことに泣き暮れて貝になり、そうして果てはそれは私にとっては払うべきコストではない、と切り捨てることでどうにかこうにか平穏を保っている。

(とはいえ今年一度、ほんとうにヒアリングを売りとしてるんだなぁ~、という初回は3時間くらい見込んでくださいという美容院に行ってさすがに丁寧な対応をしていただいたし髪もとぅるっとぅるになったんだけど、いかんせん予約をLINEで対話にて行なわなければならなかったため2回めにその後行けていない。コミュニケーション能力がなさすぎる。いやほんとはお会計のときにその場ですれば良かったんだけど手帳を持ってってなくて確認して予約入れますね、って言っちゃったせいでそこからこう…ずるりと…今に至り…。こうなると店員さんには体よく次回を断ったなって思われてるだろうな…などと巡らせてしまう。違うんだ、ほんとうにまた来ようと思ったんだ、ただ…ただLINEが苦手すぎるだけで…。いっそ電話を掛けた方がよっぽどいいかもしれない。どうにかしたい。)

でもなんというかそもそもの話として、伸ばしてる最中っていつ美容院に行ったらいいのか分からない。染める・パーマをかけるも今のところ選択肢にないので私には「切る」しかコマンドがないんだけど(*2)、世の人たちはどう美容院と生きているの? 来年の予定の担保としてしばらく伸ばすつもりではいるので、ほんとうに今分からないのだった。何年人間をやっているんだお前は。

まぁしかしとなればとりあえずは一旦自分で手に入るアイテムでどうにかするしかない。そもそも髪については細い、ボリュームがないというコンプレックスがあるためにであるならば尚のこと問題解決の努力をすればいいものを結局体系的な師がおらず結果、目に入れた情報に飛びつきスポット的に手を施しているような状態だ。とはいえ、今年は結構成果が見られた年かもしれない。かなり自力範囲での解決が見込まれている。

 

①ヘッドスクラブ

めちゃくちゃ!めちゃくちゃシャンプーの泡立ちがよくなる! 私って頭皮の洗い方がダメだったんだな…という自省を得たし、以前あった髪のべたっと感がまるでなくなった。SABONのものを使っていてほんとうに救世主かというくらい崇めてはいたのだが、イスラエルの企業だよな…というのが気になりはじめてしまって*3後継を模索中。今はシェアロユーというのを使い始めたばかりだが、個人的に匂いがあまり得意でなくて風呂なのに安らげぬ…という気持ちで悩んでいる。とはいえ私が紅茶もキンモクセイも苦手という心狭すぎ人間なので、シトラス&ウッディというのは大抵の人は気にならないのだとは思う。これもとても泡立つ。

www.squse-me.co.jp

 

②石澤研究所 ボタニカルヘッドスパ

www.ishizawa-lab.co.jp

これは2年くらいリピートしてるかも。べたつきの解消という意味では上記ヘッドスクラブの方が全然強いんだけど、頭に塗ったくるとじんじんあったかいようなすーすーするような謎の心地よさですごく好き。これはわりと匂いも好き。もう一個のローズの方は試したことない。

 

資生堂 ワンダーシールド

www.shiseido-professional.com

美容院をめんどくさくこじらせているかどうかはともかくとして、「髪を乾かすのがめんっっっっどくさい」と思っているのは世の大半の人に共通なのではなかろうか。というところで、このワンダーシールドについてのレビューを見かけた。いわく、「これを使うと速乾作用がある」。なんというか、ツヤが出るとかコーティングして汚れから守りますとかならイメージできるけど、吹きかけることによって…?早く乾くようになる…?というのがピンと来ず、…ほんまか…?と疑いながらも飛び込み頼りの私は結局買った。使ってみた。早く!乾くぞ?!!?!

使い始めた時期ちょうど肩につくぞ~、くらいの長さだったためはねるというか乾かした後左の髪にだけ変に癖がつく、ありていに言えばJの字を描くぐらいの姿になるので困っていたのだけれど、あれは水分が残っているタイミングで利き手ではない方の手櫛が変な動きをしており、そのために変な型をつけていたのだな、と今なら理解できる。ワンダーシールドを使うと、私でもボリュームゾーンとなる襟足も早くにパサッと水分が飛ぶし、乾いた髪に手櫛を入れるから跡もつかない。少しブラシを入れれば毛先があっという間にすとんとまとまる。なんかよく分からんけど、すごい。仕事の時はいつもまとめてハネを誤魔化していた部分もあるのだけれど、髪を下ろしてもなんとなく恰好がつくようになった。これはリピートしていく予定です。

 

④ドライヤーホルダー

39.benesse.ne.jp

セリアで調達したアイテムだけど、めちゃくちゃ生活に寄与している。生活がままならない人間こと私は洗濯機の上をすぐ物置にしてしまうので、そのことによってそれをどかして行なわなければならない洗濯がまた億劫になり…というほんとうにレベルの低いことをやっているのだが、そうなるとドライヤーの置き場にめちゃくちゃ困っていた。つっかえ棒の導入で他のこまごまとしたものは排除されたのだが、ドライヤーという最後に乗せたらそらそうなるやろという耐荷重の問題により幾度となくつっかえ棒-棚を崩落させており、心が折れかけていたところにこれを見つけた。定位置ができる!なんて素晴らしい! フックを洗面台下の扉に引っ掛けて、邪魔にならない上にちょうど手の位置くらい低いところにあるので戻すのに負担がない。

上記ワンダーシールドに加えて、後は洗面所に折りたたみの椅子と、スマホを壁に立てられるホルダーを導入して、「座ってつべを見ながら乾かせる」状態にすることでドライヤー時間への忌避を軽減することにかなり成功したと言える。だいたいQuizKnockを見ているよ。

あとはまだレンタル2日めでつまり1回しか使っていないんだけれども、ダイソンのエアラップという風の力で自然に髪をコテに巻き付けてくれるヘアアイロンがものすごく便利で感動したので、これはこのままがんばって己のものにするかもしれない(レンタル後差額を払えば買い取れるシステム)。いやこれセット一式がでかすぎて絶対旅行とかに持って行けなさそうだけど。ハレの日にこそ使いたいもんだろヘアアイロン

届いたときめっちゃでかくてビビった アタッチメントがいっぱいついている


www.dyson.co.jp

これはたぶん新しい上位製品のページ。

 

 

ちなみにスポット対処民私、いいように書いてはいるが髪まわりについては使い切れなかったアイテムももろもろある。個人的に合わなかっただけかもしれないので一応列記。なんだか申し訳ないのでリンクは控えます。

・ラブクロム ヘアコーム

髪、べたつきがあるくせにパサつきもある。何様?と思いつつもアホ毛というかなんかぼさっと感に困っていたのでツヤ出し等の効力を持つアイテムを求めていた*4。という中での1つ。あんまり。風呂場で髪が濡れていても使えるというので今はコンディショナーを馴染ませるときとかに使っている。

というか今改めて値段見たけどこれならもう少しがんばってかのメイソンピアソンに手を出してみてもいいのでは?と思わなくもない。いやうそ。 

 

・WELLA ルミナススプレー

概ね同上。 

 

ダイソー 乾きやすいブローブラシ

隙間が空いててアイロンの風が通るので早く乾きます!という文句のブラシ。いやそんなに…?という感触。 

 

・0359

3分台で髪を乾かそう!という文句のドライタオル。それを謳って冠するのが3分59秒なのしゃらくさすぎるな…と思いつつ一旦買ったけど、水泳用とか他に売ってる他のタオルとの違いがあるかというと、という感触。 

 

ところで上記にて「体系的な師がいない」とは書いたのだけど、本としてはこちらが良かったです。

book.impress.co.jp

下記の本も総括的でとても良かったんだけど、その分あまり必要としていないヘアカラーとかのページがもったいないな…となったのと文章メインなので、それよりは漫画メインの方が手順とか位置とかがイメージしやすくて前者が良かったなと。絵柄もかわいい〜。今はホワイトボードにシャンプーの手順とか書き写したのを風呂場に貼って復習している。

kanki-pub.co.jp

 

ドロールバッグ

なんか見出しつけて項目立てるほどか…ともなるけど、かなり助かっているので。まずこのタイプの品物の名前が分からず、「エコバッグ くしゅくしゅ」などでいちいち調べては忘れるなどしていたのだが、ダイソー系列の300円ショップで見つけたので購入、エコバッグとして使用している。

何が良いかというと、「たたまなくて良い」。私にお付き合いいただいている方は私の生活能力の欠如をご存じだとは思うのだけど、折り目正しく、たたんで、なんなら更なるカバーなどに入れてそれをメインの荷物に帯同させるという一連の流れって、ハードルが高い。かといってぐしゃっとつっこむとその無様なさまが己の欠陥を示しているようで悲しくなるしというところで、ドロールバッグはくしゃっ…としていてそれが常態でなおかつそれがかわいくて、中身を出せばまたくしゃっ…と縮んだ状態に戻って、しかもシワにならないのである。めちゃくちゃありがたい。思ったよりも伸びるから帰り道途中の買い物くらいは全然入るので(たぶん牛乳パックでも3,4本ぐらいは入ると思う)、だいぶ助かっています。ありがとうね。

 

Loop イヤープラグ

下四半期滑り込みアイテム。私が買ったのは1.5かな?色はローズゴールドで耳の中に入れてると馴染みつつもなんかお洒落でちょっとテンションが上がる。

つまりは耳栓なんだけど、ノイズキャンセリング、ではなくてリダクション、というていになるらしく、ライブだったり音量が大きいところなどで耳を守るためのもの。初めは母が音の大きい環境で働き始めたので(無論ライブハウスではないが)耳を傷めそう…という話で探して見つけたもので、とはいえそうなると一般的な会話ってできるの?とか音に気付かなかったせいで危険な目に遭わせない?とかいきなり渡すには不安になってとりあえず一旦自分で試してから渡そう…と思っていたら、自分の方がかなり快適になってしまったのだった。

私自身はどちらかと言えばかなり静かな環境にいるのだけれど、その分というか声や音を拾いすぎていたしそもそも苦手だったんだな…ということに、Loopを着けはじめてから初めて気が付いた。いや思い返したら紙ゴミをぐしゃ!って握りつぶしてから捨てる人がいて、それめっちゃびくってして苦手だったじゃん…とか、あるんだけども。人は自分が何に困っているのか知らないまま生きすぎている。

よくよく見ると、レビューの中にもそちらの方面で使用している方もそこそこおられる。実質的な機能というものに加えて「私は私の心を守ろうとしているんだな…」というお守り的な効果がすごく大きくて、それから仕事のときは毎日着けていっている。さすがに電話の声が遠かったりすると厳しいのだけど、今のところ対話についてはほぼ支障はないと思う(もしかしたら周囲から「こいつ反応が悪いな…」と思われていないかは分からんけども)。いやなんか複合機のピッ!っていうタッチ音は異様に相性悪いな。あと耳を塞いでいるため当然というか自分の声等は籠もるので特に食事中はちょっと微妙なのと(飲食店という騒がしい空間では着けておいた方が有用なのだけど)、あとすごい首の音がする。頸動脈というのかどっどっどっどっという首筋の響きがちょっと緊張をもたらすこともあるし、何より首のコリによる軋み音がすごくて、スーパーマリオワールドでお城とかお化け屋敷に入る時の扉の音が己の首からする。それは別口でどうにかした方がいいのでは???

Experience 2www.loopearplugs.jp

 

 

 

さてさて、概ね2024年のトピック的購買はこのぐらい。

どの記事で書いたか忘れてしまったが、今抱えている野望2つの終着を暫定来年に据えているので、そのメンタルになれるようどうにか、日々の歯車を噛み合わせていきたい。

 

来年もまた、こうして記事が書けますように。

 

*1:他県民には伝わりづらいが天神/博多はひいては西鉄/JRの別であって、その生活圏は意図的に組まなければ被らない。これは私が10神ACTORのオタクをやっていた頃などから度々述べていることであり、かのグループのメンバーを福岡・北九州・筑豊筑後の地域で見たとき「スカウトが行なわれていたのが天神であるがゆえに」筑豊メンツがいなかった(JRで回り込まなければまず博多に着かない)、という仮の論説を立てていた(北九州もJR圏だが、当該メンツは2名とも当時福岡市内在住)。つまりは私が西鉄の民なので、博多とは他県から思われる以上に、縁遠い。

*2:ファッションとしてではなく、白髪が目立ち始めたのはもうそろそろ考えないといけない

*3:ふとHPのアバウトを見返してみたら、冒頭の文にたぶん前あった「イスラエルの地に」的な部分が削除されていた。別にスクショを撮っている訳ではないので正確に言及することはできないのだけれど、固有名詞がないのに次の文には「この地には」が残っており呼応が一致していないので、やっぱここって書いてあったよね?とは思いつつ眺めている 

About SABON | SABON サボン

*4:ちなみにヘッドスクラブによって救われる前だったので、かなり焦燥感があった

越冬の記録

2月某日、とうとう決意した。

「プロジェクター、今週買おう」
友人と計画していたパーソナルカラー及び骨格診断の予約に、申込開始時刻1分で敗れた日の朝だった。
 
 
まぁ元々検討はしていたのだ。20年末、プロジェクター設置のパーティールームに泊まったにも関わらずメーカーを「あぁ~調べてたらよく見るやつね~(ポプちんの顔)」と眺めたきりで型番もそのとき投影されていた画面のサイズも確認せずというていたらくをはたらいた記憶があるので、少なくとも1年以上の寝かせ事案だったことは確実である。
とはいえそこそこの買い物である。機種を調べ口コミを探してお目当てを絞り、実機設置店舗に赴き在庫を確認し、いろいろいろいろと画策はしつつも「しかし言うて…必需品ではないんだしな…」などと踏ん切りがつかないまま長いこと時が過ぎていたのだが同月、車検で数万円を出し一方で娯楽にお金を出せないという不均衡にその日とうとうぶちっときたというわけだ。緒が切れたようにただただ、日常への「知らん。もう決めた」という静かな怒りだった。経費を出したのだからしばらく節約、ではなくなんで?!必要なことにお金遣ったんだから無駄なことにも同じだけ遣いたくない?!!?!遣わせろや!!!!!となるのが悪しきオタクの性である。
折しも1月末。私は現ジャンルのライブ遠征を敢行していた。
 
*
12月~1月、冬が進行するに併走してなのかただでさえ転職したての仕事が積み重なっていたせいなのか、とかく鬱々としていた。分かりやすく落ち込んでいたというよりは、元気気力に低い天井があってそれ以上はべこべこ頭をぶつけて上がらない感覚。土井先生のツイートに「大切なことや、大好きなことは、ご機嫌なときにやらないと、大切なことが汚れてしまうやん」という趣旨の文があるのだがそんな感じで*1、「好きなものを見ても読んでもテンションが上がらないの、もう私、この人たちへの熱意出せなくなっちゃったのかな…もうどうにもならないのかな…」とひとりさめざめ泣いていた。そんな低空飛行状態なのでもうへらへらと、「遠征の足も全額払戻し対象になったし、配信もしてもらえることになったしもうこれ行かなくてもいいのかな~」と投げ出しそうにさえなっていた。ただ厄介なのはこのテンションはあくまで「低空飛行」であって「地まで(あるいはそれを突き抜けたところまで)落ちた」ものではないので、完全に自棄になって身も世もなく捨て鉢になる程のことがなく、未練は燻らせたままうじうじとした態度を晒していた。友人の考えも千差万別で(行かないことにしたら引きずるんじゃない?とも配信があるなら今回は抑えてもいいんじゃない?ともどちらの話もあった)、当たり前だ、そんなの自分で決めることだ。それでもほぼ前日前々日ぐらいまでうじうじして、結論、フォロワーさんにいただいたメッセージを最後の契機にして、行くことに決めた。当初は友人と合流して銀座のピエールマルコリーニに行ってチョコレートパフェ食べて夜は池袋の中国茶館に行って飲茶食べて一泊してライブへ、という食い倒れ算段だったものを、当日直前に現地入りして誰とも会わず喋らずというかたちに変えた*2夜も足の都合で途中で抜けなければならなかった。それでも、それでもめちゃくちゃ楽しかった。
初めて生で見た彼ら。自分たちは声は出せないけどプレートライトとリングライトと鳴子を振って、彼らが歌い踊り笑うのを見る。楽しかった。めちゃくちゃに楽しかった。
頭をぶつけまくっていた低い天井はいつの間にか損壊して無きものになっていた。アクセルを形だけでもとりあえず踏むことで、事実「ご機嫌な生活」を取り戻したのだ。
 
果たして、まだ世は寒いには寒いが、かつ仕事は毎日残業だが無事エンタテインメントをエンタテインメントとして摂取する力を一応復活させた私は、件のライブのアーカイブを1週間見倒し、推しカプ概念のガトーショコラを買ったり、そうしてプロジェクターの検討を粛々と進めたりしていたのだ。しかし未だ踏ん切りがついてはいなかった。そこに来ての冒頭の予約合戦敗北。
「買う。今週末買う。車検したんだぞ。カラー診断予約とれなかったんだぞ。いいだろプロジェクター買って」
生命力に満ちた逆ギレである。
その翌週前回のライブの円盤が届く予定だったことも後押しとなって、このタイミングだと断定した。一応それまでに近隣の店舗を回って、目当てにしている機種が取り扱いのないところ、あるけれど取り寄せで1ヶ月以上かかるところと来て、実在庫のある店舗を見繕うところまで来ていたのだ。それを現地で目視確認したのが2月11日、予約failedが17日、円盤到着予定が26日。完全に"ここ"であった。
 
 
*
……というぐだぐだと長い前振りを経てついに!ついに我が家にプロジェクターがやってきたのである!!! 名前は暫定的にぴーたろうとでもする。かくして迎え入れた結論はといえば、めちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃに楽しい。買って1日で元をとったとさえ思っている。「これからの日割りで考えたら1日でも早く買った方が得」という言葉もあるが実に至言だ。
ぴーたろう(仮)は正式名称をEPSON EB-E01という*3。公式ではホームプロジェクターではなくビジネスプロジェクターのくくりに入る。ラインナップの中でもいちばんシンプルなもので、差し当たって使うのはHDMIが1つ。あとはビジネスラインだけに持ち運び前提でか上位機種には付いているレンズカバーがないのだが、ぴーたろうは室内飼いなので問題ない。ヨコ台形補正(投影面に対して機械を斜めに置いても補正できる機能)は環境によってはあった方がいいんだろうけど、正面に設置できてるので現状支障はない。その他もろもろ、実際のところ十分すぎるはたらきをしている。
設置環境は八畳大の洋間。3メートル30離したところから映して反対の壁に約100インチの画面が出現する*4。100インチ。正確には16:9画面比の場合2214mm×1245mmらしいのだが、壁の周りになにもなさすぎて撮った写真がマイクスタンドとしか比較できない。伝わるのか。マイマイクとスタンドはいいぞ。もっと愉快な部屋にしていきたい。
白い壁様様でスクリーンは買わずに済んだ。実家に戻った場合には白いロールカーテン等で代用する必要があろう。箱を剥いてコンセントとHDMIで繋ぐのはそれだけなのですぐ終わったのだが、設置する場所や高さ、画面のズーム調整の試行錯誤で多少時間はかかった。かかったがもうでかい画面が現れただけでめちゃくちゃ楽しいのでテンションは激高だった。完全に新しいおもちゃを手に入れた子どもである。
以下、記録として皆様にぴーたろうとの思い出アルバムをお送りする(2週間分)。

f:id:bookmared:20220306175904j:plain

おくるみから出される前のすがた 大きさ比較はティッシュケースのコムリー氏

f:id:bookmared:20220306162327j:plain

心許なかったので百均のベルトで仮固定されたぴーたろう
(その上のデッキも危ないのだが…)

f:id:bookmared:20220306162440j:plain

推しカプの顔面がでかいしこちらに寄ってくるのでもう無理だった でかい

f:id:bookmared:20220306162450j:plain

推しからの主張もクソデカで受け取れます
(I'll give you my all)(youとは私のことではない)(攻めのことでもない)

f:id:bookmared:20220306162500j:plain

f:id:bookmared:20220306162535j:plain

昼のカーテン開閉時の差分 さすがに日光を入れると暗めの画面は厳しい

f:id:bookmared:20220306162521j:plain

f:id:bookmared:20220306162725j:plain

f:id:bookmared:20220306162350j:plain

明るい画面だとカーテンのみでもわりといけるけど、やっぱり暗い方が見やすいは見やすいという消灯時差分 と、2・3枚目はズーム差分(画面が切れた) おそらく更に画面を大きくするには本体をより離す必要がある

f:id:bookmared:20220306162739j:plain

f:id:bookmared:20220306162400j:plain

HDMIを差し替えればいいだけなので、現在我が家ではブルーレイ/Apple TV/パソコンの出力が可能 今日も推しコンテンツの有料配信を見る
ちなみに上段(これまで貼ってきた現ジャンル)は下段声優さん番組からの派生コンテンツで、中の人4人による4役16キャラクター(今は3人2役6キャラ増えました)というとんでもねぇやつです HANDEAD ANTHEM、よろしくね 君も半分死んで幸せになろう

 

 


*

ところで。プロジェクターとはつまりでかい画面を映し出す機械であり、それは一見平面の話として帰結する。だが実際自室に導入して知ったのは、それが「空間を創出する」代物であったということだった。言われてみれば映画館にしても(あれは音響設備を含むにせよ)同旨なのだから当たり前と言えばそうだったのだろうが。テレビ画面サイズでは生まれ得ない「高低差」もさることながら、それ以上に「視界に入る光量の支配権」とでもいうのか。画面が白く光ればその通り閃光を浴び、暗転すれば真っ暗な闇に放り込まれる。VRにはまた及ばないのだろうが、そこには空間的な体感があった。何度も何度も見てきたはずの映像に初めて出逢う瞬間がある。面白いです*5

f:id:bookmared:20220306162419j:plain

f:id:bookmared:20220306162610j:plain

分かりにくいかとは思うが、初めて「高低差」を体感したときの画像
1枚目は普通に座って見ていたのだが、2枚目布団に入ってから見たときに初めて
「こ…こっち見てる…!」という感覚に襲われた

f:id:bookmared:20220306162709j:plain

f:id:bookmared:20220306162547j:plain

f:id:bookmared:20220306162658j:plain

かなり相性の良かったサイスタさんのMV
サイリウムいっぱいの客席とプロジェクター、めちゃくちゃ相性が良い

f:id:bookmared:20220306162623j:plain

推しソロコレのMV冒頭、雨が窓を打つ場面もとても良かった テレビやパソコンだとどうしても"画面"の域を出ないけど、これだけのサイズで見るとこれはもう窓の"実在"です

 

 

別にその手段が必ずしもプロジェクター購入でなくてもいいしそもそも今回のサイクルの端緒はライブ遠征敢行なのでまた話が別なんだけど、とりあえず、ご機嫌な生活を失くしかけてると思ったら、精神はどうあれ形だけでもアクセルふかしてみてもいいんだと思います。次に続くよ。人類がみなハッピーに生きられますように*6
 

*1:https://twitter.com/doiyoshiharu/status/852381739288678400

*2:https://www.ohtabooks.com/publish/2005/04/15202634.html

*3:https://www.epson.jp/products/bizprojector/ebfh52/

*4:https://www.epson.jp/products/bizprojector/spec/

*5:その一方で、それこそ映画館くらいの規模ならともかく自室の規模で極端に明滅する映像、空間の広い映像を見るのは目がちかちかするし長時間配信を見ていた後は少し気分が悪くなったこともあったので、「テレビは部屋を明るくして離れて見てね」は真理だな…というところもあった。用法容量は考えた方がよい

*6:今このフレーズ使うとタコピーのせいでなんかあれだな…

一人住まいの事後報告

切り出しそびれていたが、うっかり数年ぶりの一人暮らしを始めて1ヶ月経った。県内とはいえバタバタ部屋を決め引っ越し屋さんの予約を取りそのくせそのぎりぎりまで荷造りをせず、大半のものは実家に置いていけたからまぁ間に合わせたものの、この1ヶ月「えっこれないと困るじゃん」「これ買ったら今度はこれがなくない?!」みたいな事態にいざ直面してからものものを買い足し続けて、なんとかかんとか日々を乗り切っている。徒歩圏に百均がある生活、怠惰にならざるを得ない。一応これまでにも経験はあるくせに一人暮らしの知見がなさすぎてウケる。鍋を買ったら鍋の蓋がなくて鍋の蓋を買ったら鍋掴みがなかった。知見というかもはや常識的な計画性。

 

実際、学生時代もともかく人の何周も遅れてなった初社会人としての一人暮らしは、いい歳をした人間のくせに「自分の足で生活をしている」実感がまるでなかった。この場合強勢がつくのは「生活をしている」の方だ。生活は何も回っていなかった。ぶつ切りの日々。物心がついたのさえ而立を越えたこの数年だという自覚があるのだが、今この歳になってようやく、お金と生活とこの先の設計が繋がって目に入ってきたような気がする。設計立ってないが。資格を得て就いた仕事も毎日毎日無知の無知で日々ホッチキスの死骸を生み出し、人と相対するとか勉強するとかの前に紙と戦って負けている。火曜日と言わず井上涼のYADOKARIをたまに聞いては、今までは「家ごと動けば帰りたい時すぐそこ アイワナビーヤドカリ」「まだ火曜日だわ 今日を入れて4日も頑張れない そりゃお金はほしいけど できればすぐ帰って家で寝ていたい」という歌詞への共感がすごかったが(いやお金ほしいは常にある)、唐突に「一体2年後何してるかしら?パン屋?花屋?それともスピリチュアルな象牙屋? 漠然とした不安と疑問がいつのまにか大事な体力を奪っていく」の感情を理解した。漠然とした不安と疑問、すごい。ほんとに一歩間違えたらスピリチュアルな象牙屋になってるかもしれん。


www.youtube.com

 

 

とはいえ四六時中何かに苛まれているということでもなく*1、基本は新しい己の基地・及び周辺地を開拓しているためテンションは高いものである。実況者でもないのに独り言も多い。おぼつかないながらも自分の足で出掛ける先を選び物を買いそこらを歩き回っている、という景色が見られるのが楽しいのだと思う。本当にこれまでの物心がない。

 

新居は1Kで、もうこれで充分である。東京住まいの1Rはもう記憶もおぼろげだがめちゃくちゃ狭く、風呂トイレ同室、ベランダはなし、何より勝手が悪かったのが洗濯機がキッチンの下に備え付けという極めつけ具合だった*2。しかも無駄にドイツ製とかで全然分からん。よく一度でもあそこに人を泊めたなお前。グーグルマップで見ても一昨年の遠征時に朝行った銭湯をわざわざその近くで選び懐かしげに通りすがってみて肉眼で見ても、あれはやっぱりあの部屋だけが妙だった。飛び出してるし。逆に前回の一人暮らしは部屋がもう1つあったのだが完全に持て余していた。服が散乱していくだけの荒廃を示した部屋。加えてキッチンがメインの部屋からまた独立しており、「視界に入れない」「踏み入れない」という状況が可能だったために荒れ果てた。一瞬頑張った調理は決しておいしくもなくそれだけで気力を使い果たし物を洗いたくもなくゴミを触りたくもない。そういうのが続き散々なことになった。よく怒られたし心配された。

 

今の部屋は風呂とトイレが別なのが良く、部屋はひとりでは広いくらいのものが1つでちょうど良く、キッチンが玄関から部屋への動線上にあるので良い。狭さに悲しくならないし無駄を持て余さないし、自然に当たり前にキッチンに踏み入れられる。バタバタ決めた割にはかなり良いと思っている。ヨガマットも広げっぱなしのままにできるし、布団さえあれば雑魚寝で2、3人ぐらい泊められそうな気がする。それだけの布団の収納場所はさすがに問題だが。夏に来て。

3つ内覧したうち1つめを落とした理由は何だったか忘れたが、3つめは隣のビルと近接しすぎていて暗かった。間に見たので両方と比較がしやすかったのかもしれない。難を挙げるなら洗面所やキッチン上の戸棚、トイレの収納等、設えのありとあらゆる観音開きがすべて開いてほしいのと逆方向に開くのと*3、トイレットペーパーホルダーが角ばっているのでとにかく滑りが悪いことくらいだ。設計者は何を考えている? 前者はこの逆手の生活にもはや慣れるしかなかった。慣れない。今でも逆に開いてほしい。後者はマーブルチョコレートを十数年ぶりに買ってばりばり食べた後の空の筒を被せることで劇的に解決した。あの犬まだ現役なんだな。もっと昔の動物写真シールの方が好きだったが。別に人に見せるわけでもないしというか人に見せても別に良いのでマーブルインザトイレは今日も役目をめちゃくちゃに果たしている。

f:id:bookmared:20210920003638j:plain

この扉が

f:id:bookmared:20210920003659j:plain

こう開く

f:id:bookmared:20210920003810j:plain

見事な解決策

 

一人暮らしの知見がないと言えば、ゴミ捨てと洗濯物のタイミングも錯誤中だ。ひとりではゴミ袋が溜まるペースも遅く、しかし生ゴミは早く処分してしまいたい。確認しなおしてようやく、特小サイズがあるようだったので明日にも買うことにしている。洗濯物もそうそう溜まらなかった。溜まらずとも回してしまえばいいしさすがにこれはもう放置できんと回したところで洗濯機の最小水量みたいな具合なのだが、いっとき愚かしいことに濡れものとそうでないものを一緒にカゴに放り込んでいたため1着、よりによって百貨店で気後れに泣きギレしそうになりながら買った下着をダメにした。却って潔く知見の犠牲とした。そうして思い立ち徒歩5分の百均で洗濯カゴを買い足し広げてみたら、従前に買ったものとサイズが違っていた。サイズ違いがあるなんて想定もしていない。何度も言うがお前の知見以前の常識。それでもまぁ大は小を兼ねるし大事なのは2つに分けられるということなので、大と小は今も洗濯機の前に仲良く並んでいる。洗濯機周りで更に得たことは、タオルはいくらあってもいいということと、パラレルハンガーは良いということである。

 

 

YADOKARIは「昔ママが言ったの 「疲れて帰るのだから少しぐらい高くついてもいい家に住みなさい」と」とも歌っていて、家がそれなりにでも自分にとって快適に、きちんと保たれていると肯定感がすごい。その肯定感をより上げるためにと、生活を始めて半月ほど、私はようやく自炊に手を出した。

新生活では自炊はしないつもりだった。上記のような以前の失敗体験があるし、ひとりでおいしくなるかも分からないものをつくって結果ちゃんとしたものをつくれなくて自分に悲しくなっていくより、今はコンビニでもおかずはいろいろあるのだしそれで毎日十分だと思っていた。が、一週間経って二週間経って、身体が圧倒的に野菜不足を訴えてくる。物を噛んで噛んで噛んで食べ下したい。とはいえ、根菜とかピーマンとか茄子とかそういうのは好きだがサラダのような生野菜がそんなに好きではなかったためコンビニ飯では上手いこと賄えず(やりようはどうにでもあるんだろうが)、この状況はどうにかするしかないと考え始めた。帰宅が遅いのも大きかった。幸い弁当屋なりコンビニなりは近隣にあるため帰りに買いに寄ることはできるのだが、当たり前ながらその分だけ帰宅は遅くなる。「例え作業が必要でも、早く自分ひとりの時間とスペースに戻りたい」と思うようになった。

 

というときに辿り着いたのが、山口祐加さんの『週3レシピ』という本だった。たぶん、いつも読んでいるソレドコの中の、スープ作家の有賀薫さんの記事からnoteへ飛び、そこから更に飛んで、という流れだったと思う。

srdk.rakuten.jp

note.com

note.com

山口さんはこだわりポイントとしてこのように書かれている。

レシピ本は基本的に料理単品で構成されているので、玉ねぎ1/2とあっても、残り1/2の使い方は教えてくれません。そして、中途半端な野菜が冷蔵庫の中でしわしわになって結局捨てられる悲劇。余った食材が使えなくて「もう自炊しない!」と決めた人も少なくないのではないでしょうか。

ほんとそれな。マジで!それな!!!

であれば、元から材料が使い切れる献立を組んでレシピ提案すればよいのでは?と思い、週3回の自炊で使い切れる材料をもとに6品を組み立てました。

神の采配か。

また

この本は山口のレシピ本というよりも、「週3自炊のライフスタイル提案本」だと思っています。

とも述べている通り、本では前述の有賀さんや和食レシピサイトとして有名な白ごはん.com等のレシピも交えて、とにかく「続けていける」「自分の糧になる」自炊生活が示されている。とても良かった。

一緒に本をつくったという「自炊ができずにいた」側の方がまた名言を残されていて、絶対に自炊を始めるならこの本を買おうと思った。結果、今3ターンめの週3自炊生活を続けられている*4。うれしい。とてもうれしい。

 

自炊は、自分の命を自分でお世話できるということです。しかもすぐにフィードバックが得られ、満腹になれます。忙しい日々の中で週3でも自炊の時間を作ることは、命の手綱を自分の元にたぐり寄せるようなものだと思います。

note.com

note.com

 

 

私の場合、母がきちんと「名前のある」料理をつくってくれる人で、また弟も調理を厭わない人間だったので、ずっとずっと気後れがあった。確実に父の血を引いている。名前のあるっていうのは別にビーフストロガノフとか金目鯛の煮付けとかなんだか大層っぽいものじゃなくて、食べたいと言って"副菜に"ポテトサラダをつくるとか、茶そばのために肉とかしいたけとか薄焼き卵なんかの複数の具材を用意できるとか、そういうものだ。ちゃんとした日常の食事はそれだけでコストがあって、それなのに段取り良くできることとか、家族分引き受けてそれができるという姿は自分の落ち込みをどんどん育てていった。いや母だって急にできたわけではなくこれまでの積み重ねもあったろうし今にしたってコスト払いもあるだろうよ(買い出しやメニュー決め等)というのを軽視してはならんと思えば、じゃあ未だにそれができていない私は、と結局落ち込んだ。もうこの歳になると落ち込む、というのはそれだけで「未だ建設的な解決策を立てられていない人間」、社会性の欠落みたいで更に自分を落としていく。負のループ。

というような感じだった状況が、今のところかなり上向きになっている。自分で買い物をして自分で切ってとりあえず煮て焼いて、自分が食べるおいしいものをつくれている、というのはほんとうに精神に良かった。茄子マジで天才じゃない?皮剥かなくていいし煮たり焼いたりするだけで美味い。なんならレンジで美味い。天才。

f:id:bookmared:20210920011212j:plain

汁物はあると絶対に良い

f:id:bookmared:20210920011249j:plain

とはいえポテトサラダもつくった
上の焼きそばにも入っている塩サバのフレークと混ぜたやつで、「これ絶対ホットサンドにしたら美味いじゃん…」と思ってやった めっちゃ美味かった

f:id:bookmared:20210920011441j:plain

今のところいちばん美味かった豚と茄子のやつ 最高

f:id:bookmared:20210920011631j:plain

これ用にブックスタンドも買った

一方でコンビニおかずの推しもできた。とりあえずこの辺り。

7premium.jp

手軽に海老欲が満たせる。これと共に卓上ミニサイズの味ぽんをレジに持って行ったのが私の新生活上初めて導入された調味料であった。

www.lawson.co.jp

あっためた瞬間はかなりにおいが強くておふ…となるのだが食べるとめちゃくちゃ美味い。より食べ応えを欲したときは茄子をぶち込んでいた。ずっと茄子食ってんな。

 

ところで新生活2日めと現ジャンルの新ボイスドラマシリーズ初回配信でテンションが上がって買った酒が「これはジュースって言って酒を飲む人の気持ちがわかる」となったのでそれ以降もたまに飲んでいるのだが(さすがに3%なので…)、それでも1回に半分くらいでいい。ビールみたいに130ml缶とか出してくれんもんかと思うが、チューハイで350より小さいのは8%250とかだった。無意味。結局半分くらいをラップして日を分けて飲んでいる。どうにかならんもんか。安上がりかもしらんが。

 

 

そんなこんなでえっちらおっちら一人暮らしの船を海面上に滑り込ませた。今年中の目標はあと歯医者に通うことと長く通っていけそうな美容室を探すことと、あとはKOKUYOエンディングノートを書くこと辺りだ。できれば防災グッズも揃えたい。今年の自分誕プレはプロジェクターだと決めている。あとはもうちょっと野望があったりする。

f:id:bookmared:20210920005107j:plain

スクリーン買わなくても壁が広いんだなぁ

f:id:bookmared:20210920005133j:plain

反対の壁(机前)はこうである やべー壁になってきたぜ!

kaigo.homes.co.jp

 

 

まぁ、がんばってみます。

 

 

 

*1:これは退勤後や休日は全く仕事のことを考えなくていいのが大きい。うれしい

*2:完全に親の援助下だったので感謝しかないのだが

*3:そうではないのは玄関の靴箱だけである

*4:ワクチンの副反応をおそれてその週は買い出しをせずにおいたら、びっくりするくらい元気だった。基本的に健康すぎる。アイスとゼリーはおやつとして食べている

Trickleのすすめーすこし閉じた、思うままに連ねられるアプリ

昼休み、なんかTLがざわざわしているなと思ったら、どうやらツイッターに新しく、24時間で投稿が消える「フリート」という機能が実装されたようだとの報が流れてきました。

news.livedoor.com

 
記事の中では、以下のような実装理由が述べられています。
 
日常ツイートがしづらくなった
「今は『渋谷なう』というような日常のツイートが、しにくくなっている声を聞きます」

こう解説するのは、Twitter Japanでユーザーの動向を調べている山内清稔さんです。アカウントが、趣味や特定の分野に関することを発信している場合、「日常をつぶやいて、フォロワーのタイムラインを乱したくない。みんなが読みたがっていることを発信しなければ、という意識のユーザーが多い」と山内さん。その結果、自分の生活や、日常のふとしたことがツイートしにくくなっていると分析します。
 
これを読んで咄嗟に出てきたのが2つ。1つは「遅いインターネット」というサイトに上がっていた浅生鴨さん(NHKツイアカの中の人だった方)の、「11年の震災頃を機に、ツイッターは世間そのものになってしまった」という所感。そして2つめが、
えっ、そんな!そんな、Trickleを使えば解決するよみんな?!?!!
 
 
大声。いやマジで大声。
 
これはつまりTrickleというすごくすごくすごくお世話になっているアプリを、ヘビーユーザー(自称)が勝手にダイマするための記事です。

今のツイッターというものの話

何経由でこれを読んだのかはっきり覚えてはいませんが、今年の4月、随所随所に、そうなぁと思いながら眺めていました。(以下は適宜抜粋で飛び飛びなのでご注意ください)
 
宇野 さっそくですが、ちょうどNHK_PRのTwitterが有名になっていった震災の前後でインターネットにどういう変化があったように思いますか?
浅生 震災の前後で大きく変わったのは、SNSを使う人が爆発的に増えたっていうことだと思うんです。震災以前は、SNSって遊びの、サブカルチャーの一端で、そういったものを面白がれる、一部のリテラシーのある人たちが使っていた。それが震災以降、あまりリテラシーのないような人までもが使うようになって、世間そのものになってしまった。そうなると、当然、使いかたがガラリと変わるし、それまでは通用していたはずのことが通用しなくなっていった。
 
浅生 インターネットにはいろんなことが書いてあるけど、それが本当のことであるとは限らない。でも、そこに真実があると無自覚に受け入れてしまうような人たちが急激に増えたのが、2010年、11年ぐらいだったような印象があります。
 
宇野 140文字の限られた中で言うんだから、大まかにはAである、という視点をとりあえず述べただけなのに、そのことを責められてしまう。このロジックで行くと、宇宙のすべての知識体系を140字に詰めこんでツイートしない限り責められてしまうことになる。
 
浅生 SNSはしょせん人間を拡張しているだけで、のめり込み過ぎてはいけないんです。ただ酒場の隅っこで話していたことが、遠くに届くようになっただけで、内容が立派になったわけじゃない。

 ところが、届く範囲が拡張されただけなのに、自分の話している内容までが、語り口までがレベルアップしたと無自覚に勘違いしてしまう。

 
以上のような話の核が、「世間そのものになってしまったという言葉なのだと思います。別に自分は世間一般とは違うリテラシーがあるとか高いとか言えるものでもありませんが*1、なんというかツイッターにいて、「自分とは生活の姿勢が違う人がここには存在しててできればスルーしたい」みたいな気持ちを感じることはあるわけです。なんかよく分からんののRTばっかりしてる人とか推しと推しの会話に割ってリプ飛ばす人とかなんとかかんとか(各々想定してください)。FF外から失礼されたって別にそれ自体で拒絶はしないけど、その中にはまぁ二度と絡まれたくないな、という気持ちが生じる人がいたりもすると。
 
で、そこまでは行かなくても現状、「人の目があるのがツイッターなんだと思います。それで立ち返るのが冒頭の新機能記事。たとえ友達同士のみの繋がりだとしても、これって人前に流すとどうかな、人が見る場所に置くんだからこの書き方だとどう読まれるかな、どこか自分の手が及ばないところにも流れちゃってそうなるとどうなるかな、等々、そういうノイズが入りかねない場所になっている。
まぁそんな嫌だったらフォロイーフォロワー0/0の鍵アカでもつくっとけばって話なんでしょうが、それはそれで「それが本懐なわけじゃない!」という希求が出てくる。その解決の最適解が果たして此度の「フリート」なのかは分かりませんが*2、「思うままに呟きたいな」という気持ちを持った人が一定層いるにはいるんじゃないか、というところです。垂れ流したい。
 
 

そんなときにTrickleだよ!!!!!

本題です。本題です。本題です!!! 私はTrickleを勧めにやってまいりました!!!!!
 
Trickleは丸山さん*3という方が開発・運営されていて詳しいことはご本人のリリースブログに紹介されていますが、「気兼ねなくアクティビティを書き留められるサービス」であることが念頭に置かれたアプリです。
というのはTrickleが、
①属人的ではなく「属トピック的」に構成されている
そして
②主軸が「自他」ではなく「自」に寄っている
ことで示されています。
 
 
 
 
*
①は、ツイッターで言うところの「ジャンルごとのアカ分け」を、アカウント下に複数のトピックを立てて行き来することで成立させるようなイメージ。またそこに「見る側」の立場が発生したとしても、サブスクライブ(いわゆるフォロー)する先は人全体ではなくトピックなのです*4。これが肝。
参考までに、当初と現在の私のトピック群がこれ。

f:id:bookmared:20201111214116j:image

f:id:bookmared:20201111214105j:image
去年の11/13にアカウントをつくってちょうど明日で丸1年、合計10000弱の言葉をだらだら流しているのはなかなかのヘビーユーザーではなかろうかと自負しています。で、見る側は、お前の全部に興味はないけどこのトピックは追おうかな?という選択ができるというわけです(サブスクライブしなくても覗くことはできます)。
個人的に結構使い勝手よく使ってるのは「☆」と名前を付けたトピックで、店頭やネット、ツイッター等で見かけて気になった服、アクセサリー、文具、本、その他もろもろを何でも雑多に放り込んでいっている場所です。
Trickleのほしいものトピックの呟きが366になった しばらく同じものに言及してたり一度に複数並べたりあるので必ずしも1呟き1アイテムではないのと実際購入済みのものもいくらかあるのだが、今私にはおおよそ1年毎日分のほしいものがあるということだ とても良いと思う 
(10/29ツイ)
 
 
 
以下丸山さんのブログから、また適宜抜粋してみます。
 

TwitterとTrickleの紹介文を端的にまとめると、違いがはっきりします。

  • Twitter: みんなの発信を見る → 参加 → 自分も発信
  • Trickle: 書き留める → サブスクライブ → 相互の影響

Twitterは発信を見る参加というワードからもわかるように、主体はネットワークです。 「自分」はサブ的な要素という構造です。 それに対して、Trickleは書き留めるサブスクライブというワードで表されるように主体は自分です。 ネットワークはサブ的な要素という構造です。

表面的にはTrickleでできることはTwitterと似ています。ですが、目指す構造(コンセプト)が違います。

この目指す構造が違うので、サービス上での体験も細かいところで変わってきます。例えば以下のような違いがあります。

  • Twitter
    • アプリを起動すると、フォローしている人も含めたツイートのタイムラインが表示される
    • いいねやメンションがあるとプッシュ通知が送られてくる
  • Trickle
    • アプリを起動すると、自分が書き留めたアクティビティが表示される
    • 自分のトピックをサブスクライブされたり、アクティビティをリンクされてもプッシュ通知はこない(アプリ内の通知はある)

※ ここでまとめたのはあくまでも「Twitterがどのような構造を目指して作られているか」であり、 もちろんTwitterを「自分を主体」として使っているユーザもたくさんいると思います。 (というか僕の周りはそっちのほうが多い気がする)

 

僕はTwitterが好きで2007年から利用していますが、2つ困ったことがあります

  • (1) その人のツイートについて、見たいものもあるけど、見たくないものもある
    • 例:技術的な話はみたいけど、普段の雑談や愚痴はあまりみたくない
  • (2) これをツイートしたいけど、興味ない人がいたり、マウンティングみたいに思われないだろうか・・・
    • 僕はソフトウェア開発に加えて、料理やM:tGなどが趣味なのですが、そういうのをツイートしづらい

これらが悪化すると、見たくないツイートを見せつけられ、他人の事を考えてツイートするようになり、結果として「徐々に自分が削られていく」ことになります。 でもそんなに辛いなら、Twitterやめれば?という話なんですが、なかなか踏ん切りも付きませんでした。 それと、僕は「記録していく」というのが好きな性格なので、自分の行動や思考を何かしらに書き残したいとも思っており、これがさらに事態をややこしくしています。

僕はここから、「自分が主体でありたい、自分への影響をコントロールしたい。でも一人は寂しい」というインサイトにたどり着きました。

ただ、インサイトは発見したけど、どうすれば解消できるか分からずもやもやしていたんですが、去年の初めに「トピック」というアイデアを思いつきました。 これがあれば僕が困っていたことは解決されるかもしれないと思い、すぐにプロトタイプを作って自分で使ってみることに。 そしたら(今のところは)思った通りに使えているので、このたびリリースすることにしました。

 

さてもう一度。もう一度冒頭記事の引用に戻ってみましょう。

 

アカウントが、趣味や特定の分野に関することを発信している場合、「日常をつぶやいて、フォロワーのタイムラインを乱したくない。みんなが読みたがっていることを発信しなければ、という意識のユーザーが多い」と山内さん。その結果、自分の生活や、日常のふとしたことがツイートしにくくなっていると分析します。

 

これですよ。これなんですよ。それ、Trickleで解決できますね?!?!!

ドンピシャじゃん。

 

②で言う「自が主軸」というのも、ホームが自分のアカウントに設定されていて、他人の言葉は覗きに行かないと視界に入らないから(それはサブスクライブしていてもそう)(なんならデスクトップ版には余所を見に行く機能はありません*5)。ただただ自分が放流したいように放流する、もしまぁ見ている人がいたとしてもそれは「この話題が流れてくると知って選択して見てくれている」ことが推定されるのでさほど気に留める必要はないと、こういうことなのです*6*7

 

どうですか、気になりませんか。気になってきませんですか。ということで以下、1年使ってきた個人からの推しポイントを挙げておきます。

 

 

トピックの設立閉鎖が簡便

先述したようにアカウント下にトピックを立てていく形、ということはツイッターのアカ分けのようにそれぞれにメアドやパスワードを用意する必要がないので、 パッと思い立ったらすぐにトピックの増減ができます。ツイアカはあんまり放置してると乗っ取りとか心配だけど、トピックについてはほっといたとしてもアカウント自体を動かしていれば管理下にある状態にはおさめられる。まぁそんなことしてるので私の140字(字書きトピック)は打ち捨てられて久しいわけですが…がんばろ…。

 


◆誤字脱字等修正ができる、字数制限がない(たぶん)

これは、最初はどうかなーと思っていました。というのも、私の言葉は冗長になりがちなので「140字という絶妙な制限があることで、言葉を削いでより的確にしていく訓練ができる」、また編集ができることは事後的な修正≒改変、改ざんを行ないうるということなので逆にツイッターの編集不可という点において「ツイは過去の私のその時点の確固とした言葉、思考、ゆえに損なうことのできない一定の価値がある」といったツイッターなりの利点があると思っていたからです(それはそれで今でも思っています)。いやでもマジ、編集できるのマっっっっジでいい。

言語化、他の物事を安易な比喩に用いることの問題とか、気の逸りのまま合う型を求めきれていないのに違う型を突貫で嵌め込んで置いてしまった自分への腹立たしさ、 かつそのときの実感が薄れてしまった後にその「固まった言葉」が事実だと、思ってしまうことの危険とかはあるけど

ちゃんとできるようになりたいと思ってはいる

というのは以前流したツイですが、 逸ってガコガコって形の合わない箱に無理やり入れた言葉、マジでいつまでもおさまりが悪くてぬぁぁぁぁぁ~~~ってなるんですよ。違う、この途中のここが違う、でもこれをやりなおそうとするとそこまでの連ツイ全部消してまた投稿しなおさないといけない、となると投稿日時というその感情の証左もまたずれこんでいく、1回やるぐらいならいいけど1回直してもまだやっぱりこれ違うなってなるとそうなってももうさすがにやりなおせない、クソっ、クソ、…ぬぁぁぁぁぁぁ

ということによく陥るので、見直してちょっとした一字二字や接続詞、表現等の差し替えができるのはほんとうに精神に良いです*8。もちろんそれで必ずしも自分の中の曖昧な正解と合致する言葉を探し出せるわけではありませんが、非常に便利な点です。

 

またこれは上のトピックの話と絡みますが、例えば心が離れてしまったジャンルがあったときにすべてが一線上に混在しているとどうにも避けるのが困難です。それを予めトピック分けしていた場合それだけを簡便に閉鎖することもできますし、合間のこの言葉だけは残しておきたいなというものを編集で他のトピックの所属に変更して避難させる、といった流れも可能です。これは好悪が反転してしまいがちなオタクには良い仕様なのでは…と遠くを見ながら…思うなど…

 

あと字数制限がない(※200字でたたまれはする)( ので200字分スペースを打ってから本題に入ることでネタバレ防止になるというテクニックもある)というのはさすがに限界を試したことはありませんが、今のとこ字数で弾かれたことはありません*9。勉強トピックでは解説を長々とコピペすることもあるので、長文を残せるのはすごいありがたいです。検索もできるので、前もここで悩んだな、という論点があるときにパッと引っ張ってこられるのでその辺りも 、ノートに書き付ける勉強ともまた差のある利点だなと思います。

 

 

◆程良いクローズドの空気

Trickleには鍵やブロック等の機能は(現状)ないので厳密にクローズドな空間というわけではないのですが、基本コンセプトがこれまでにお話したような感じなので他の存在を積極的には欲してない、意識に入れるつもりがそんなにないユーザーたちが集っている結果、疑似クローズドのような環境が保たれているように思います*10

仕事や勉強中の分野であったり何かを論じる語り口だったりって、「あんまり垂れ流してるとこいつしゃらくせぇなって思われないだろうか…(´・ω・`)」という気持ちと「一家言ありますよ的なよく分からん人には絶っっっっ対に絡まれたくねぇな!!!(💢°∀°)」という気持ちの両方が起こるのですが、トピックが分離されている・かつ疑似クローズドであるTrickleだとほんとうに思うようにそういった話がばんばんできます。とりとめなく自分1人の思考を連ねていくことができるのはとても良い点だと思っています。

 

 

 

と、こういったところでしょうか*11

 


どうしてもツイッターと比較する形で紹介する面が多くはなってしまいましたが、私はこの1年ツイッターとTrickleとを並行して使用して、やっぱりそれぞれはそれぞれで必要だなー、と思っています。

Trickleでは排他的(とまでは行かなくてもまぁ接触について消極的)に1人で歩めど、例えばLINEに投げればどうしても反応を強いてしまうところをツイッターに投げ込むことでゆるやかに人との繋がりを誘発できる 。あとやっぱりクローズドな環境では布教はできないので、一時ツイッターを休んでいた間にものすごい情熱で以てハマったものができてしまったときはめっちゃ困りました。そういうのはツイッターが向いてる。少年マガジンで連載中『獣の六番』本日発売最新10話、センターカラーのポッキー&プリッツ仕様トトニカめっちゃかわいい!!!1巻がもうすぐ11/17に出ます!!!!!「子どもと大人」で「生徒と先生」で「戦い方をコーチする側とされる側」で「少年と少女」で、このキーワードにどれか引っ掛かるものはないか、全部がちぐはぐに噛み合ったトトノくんとニカちゃんもうほんと好き、あのさぁぁぁ、私の源流はすべて麻宮サキだって言ってるじゃないですか、望むに関わらずやさしさを引きちぎって戦わざるを得ない人、戦いに出てしまう人、それでもどこかで普通に生きたいと願う気持ちがない混ぜになる心、力は強くて身体だってそれなりに大きくて普段は見えなくたって彼の心はまだ幼くて、そこに共にあろうとする大人、あぁ、あぁ!!!(発作)

 

 

『獣の六番』よろしくお願いします。 1話と1巻とポッキー&プリッツのトトニカ貼っておきます。

獣の六番 - 永椎晃平 / 【第1話】のけもののけもの | マガジンポケットpocket.shonenmagazine.com

 

 

 

 

 

 


というとち狂いはまぁさておいて。

きっとこういう「気兼ねない」使い方でものを書き付けられる場を欲している人たちは結構いると思うので、 いちユーザーの勝手ですが、 Trickleがそういった方の手元に届いて広まって、ずっと続いてくれるといいなぁ、と願いここに記します。

 

 

 

ちなみにこれ先月の朝のやつなんですが、 これTrickleをおすすめする中でも高位の利点だと思いますね!(*゚∀゚)


f:id:bookmared:20201111220420j:image


おしまい

 *12

 

 

 

*1:私自身は前アカで09年ぐらいから?と、12年に今のアカに移行してツイッターを使っていますが、あんまり環境の変遷の有無や程度は覚えていません。前のが鍵アカ(今は暫定鍵アカ)だったからかもしれないし、単純に物心がついていないだけの気がしないでもない

*2:みんな「ツイッターお前は!インスタグラムにはなれないんだよ!」と言ってる我がTL

*3:一度不躾ながらツイッターで直接問い合わせるという所業をしてしまいましたが、丁寧にご回答いただいてしまいました。その節はありがとうございました…

*4:このようにTrickleにおける用語はあるのでできる限りそれに倣うつもりなのですが、「呟き」だけは個人的に他に代替させることができませんでした。呟き、呟く、と表現してしまうことがあります。申し訳ありません…

*5:デスクトップ版を利用するには、まずandroidないしiOS版でアカウントをつくっておく必要があります

*6:個人的には、サブスクライブされてるとちょっと意識に上ったりはします。現在友人1人と繋がっていますが(私も相手もお互いの一部のトピックだけとりあえず見ています)、会ったときに私が流していたことが話に上るとフヒョッとしますちょっとこそばゆい。ツイッターよりちょっと閉じたところだからでしょうね

*7:もしもの話ですが、この先、悪意を持ってヲチったり、閉じたところに置いておくつもりのものを殊更に外に晒して持ち出したりするような人に入り込まれてしまうと、ツイッターが変質したと言われたようにまたTrickleも、世間と地続きにされてしまうのかもしれません。どうかそれは避けられたら、この場が守られたらと願っています

*8:体感としては、結局あんまり昔のを直すことはないです。せいぜい1日内のやつぐらいかな? あんまり考えが違ってきてたらむしろ引用でツッコむかな

*9:問い合わせをしたときは、書き込みができなくなってしまって、1つ1つの分量は問題なくてもアカウント全体でデータ量が重たくなりすぎてしまったなどあるのだろうか?という素人考えによるもので、ひとまず再インストールを試すに当たってこれまでのログは消えてしまいますか?というお尋ねをしました。結果としてはちゃんとアカウントにログインすればログは残っているとのことで再インストール、無事に調子も戻って書き込みができています。それにしても累計かなりの文字量が嵩んでいるので、この先もよろしくね…!という気持ち…バックアップって残せないかな…

*10:丸山さんは「ゆるやかに影響を与え合う」ことも効能の1つとして挙げられているので、どの程度他を摂取するかは個人のさじ加減かなとは思います

*11:敢えて要望を出すのであれば、

・引用元の日時も表示されるとうれしい

・アクティビティタイルが月単位でも選択できるとうれしい(週単位だと、呟きの少ないトピックはちょっと手間なので)

・リンクや画像の共有ができるとうれしい

等のところです(強欲)。個人的には1つめが一番かな…

*12:1つ前の記事でもTrickle布教してます

bookmared.hatenablog.com