前回の記事は「19日中に上げなきゃ…!」という気持ちで打つだけ打ったので、言葉が足りてないところや言い足りてないところ(この二者が意味合い違うの面白いわね)を修正したいなぁ~…と思い続けて盆休み。しかしいざ書き直そうとしてみるとそのときの衝動というかスピード感っぽいものが損なわれるな…という感じになったので、別記事として書き足すことにしました。自分の言いたいことばっか書き殴って見苦しいわね。とはいえ。まぁ自分のブログだし。
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縁を切った人のツイを未だに見に行くのほんとにやめた方がいいんだけど
この記事を書いてからというもの、未練が供養されたのか他の人に言い募って触れ回ることで満足したのか、つい見に行ってしまう癖がスッ…と消えた。後者が強いのでは? これは後の話にも繋がるんだけど、やめよう、距離を置こうと思っていても彼女のTLを見に行ってしまっていたのは、「さすがにこの話題には批判の色を出してくれるよね…?!」と縋るような気持ちで確かめたかった部分もあった。でも実際は全然そんなことなくて、嬉々として賞賛しているような感じだったのでそれこそその流れの初期、AVの話題のときなんかにはものすごく愕然としてショックを受けた。これに賛同するんだ、そんな人がこの世にいるんだ、くらいの感覚だった。
彼女は被害告発はすべてが売名で金儲けのためのまったくの虚偽で、韓国の団体と繋がった人々による事務所潰しの陰謀だという立場だった。
告発批判をしていた人たちは同時に、反韓感情を持っていることが多かったイメージがある。というか、どこへの悪感情がスタートなのかは分からないが、示し合わせたように日本の戦争責任や戦争犯罪に対しての”自虐史観批判”も併せて持っているのはいったいどういう理屈なんだろうか(そもそもそういう史観を持っていて事件とも結びついたのか、事件によって反感を持ち歴史的にもそうした態度を持つようになったのか)。まぁ、安易に感情的になっているのではなくそれぞれを個々に批判すべき事案だと判断していると言われたとしても、相容れないだけではあるのだが。
そのときすぐに言えば良かったのに今更言うんだから嘘、相手が生きているときに言わなかったから嘘、無名で売れてもいない人間が言うとか嘘w、親が気付かない訳ないんだから嘘、笑顔で写っている写真があるから嘘、時系列に矛盾があるから嘘、別のあの人はそんなことなかったって言ってるんだから嘘、その苦しみで死を選んだ訳でもなく今も生きてるんだから嘘。
まぁ、本当に全てが軒並み、典型的二次加害のオンパレードだった。どれだけ想像力がないのだろうと腹が立って仕方がなかった。ちなみに「彼女が選ぶ言葉」という言い方をしたのは彼女が自分自身の言葉でツイートするよりRTが多いタイプだったためだが、そのことを以て免罪符には絶対にされたくない(前段の「立場だった」という言い方にももしかしたら「RTしただけのものをこちらの思想として断定するなんてあたおかw」くらいの煽りを受けそうだなと思うけど、人が蒐集し構成するTLは如実にその人の思想を表していると思う)。
この他にも、「事務所のオタクのおかげで宿泊業界や商品の売り上げが潤ってただろうに」といった、金銭を出す立場としての自分たちの権威付け/悪影響が出たときその諸悪の原因は批判をしている人々のせいだとする姿勢であったり、「この件にはこんなに大騒ぎしているのに、他のあれとかそれにはだんまりなんですか? それって偽善だしつまりは(?)真実性がないですよね」というような論点ずらしなどもあった。
当時ずっとずっと腹が立っててそれでも自分に正しく言語化する気力がなくて、怒りの整理のために他の人々が上げているツイをふぁぼってエクセルにまとめるという良く分からん作業をしていたのだが、見返すといくつかカテゴリ分けした中では「誹謗中傷の話」がいちばん数が多かった。その次が「司法の話」とか「暴力、加害性の話」とか。
二次加害の具体例は、例えばこちらのブログに種々まとめられている。
(いくつかの抜粋にしているのは、落としたものは二次加害ではないと排除している訳ではなく、この話題により当てはまるかどうかをあくまで個人的に考えたため。例えば初めの「■加害者の弱さや、背景にある事情などを理由に、被害者に対して理解や配慮、許しを求める行為」は事件が起こったことは事実だとしたうえでの話であって、根本から虚偽だとして行なう二次加害というわけではないので。)
■あなたの被害はたいしたことがない、もっと大変な人はいるというたしなめ/傷つくのは未熟だという批判
■加害行為や、被害の訴えを黙設する/しかるべき対応をしない/なかったかのようにふるまう
■加害者の功績を持ちだして、加害行為を矮小化する
■公に加害者を応援する、励ます
■第三者の不快感と、当事者(被害者)の傷つきを同列に扱う
■刑事事件になっていないことで、たいした被害ではない、悪質性はない(のではないか)という主張
■年単位の時間が経過してからの訴えであることを理由に、被害者に下心があるのではないかというような勘繰り
■加害者(団体)が自分にとって善良であることから、加害者は悪意がない、誤解ではなどを憶測で語る
■被害者像を押し付ける/価値観の異なる被害当事者を利用する
それで、
「仮に名が売れていない、業績がないクセに?という嘲笑が正当なのだとすれば、おそらく世の大半であろう、ただ市井に生きるだけの私たちが、仮にそれを言った「あなたが」被害に遭ったときどうするつもりなの? ほんとうに意味が分からないし、もうほんとうに、ほんとうに我慢できない(2023/11/14)」
「これってずっと疑問だったんだけどあるときふいに、「あ、因果が逆なんだ」ってことに思い至ったんですよね いつか自分が何かの被害に遭う可能性をないものとして言ってるんじゃない、氷河期世代として世間の被害にあった「あなたは」他の弱者が救われることが許せないんだって/それが性被害者への、外国籍の居住者への攻撃理由になってるんだって 知らないよほんとうのところは 知りようがないよもうお話しすることはないから でもそう自分の中で繋がったらものすごく腑に落ちた(2024/10/20)」
この転回によって勝手にひとりで腑に落ちたのだけども、ここに至るまでに見た二次加害には本当に、本当に腹が立った。見るのをやめろ。あと二次加害というのは、例えば良かれと思って「大したことじゃないよ」と声をかけてしまうなどの例もあるが、この事件の場合は意思を持って加害に走っているというのが実状だ。自分たちの方こそが棄損されている側であり、だから加害する。今は政治の場でもこの動きが本当に多くて、ずっと腹が立っている(政治というかそれ以前の、政界という目立つでかい場を利用した広範な加害活動というべき)。
国際法からとらえるパレスチナQ&A/ステファニー・クープ|岩波ブックレット - 岩波書店
イスラエルのガザ侵攻等の動きを国際法を通して問うこの本に、以下のような記述がある。
「国際的な紛争がなくならず、またしばしば力による支配が続く状況に陥るのは、多くの場合、国際法の理念と概念が不十分だからではなく、とりわけ力を持っている国や地域が国際法に違反し、司法の判断を尊重しないためです。」
これは決して、紛争に限った話ではないと思う。人が亡くなろうと、被害を訴えようと、それさえを嘲笑、侮辱して更に加害する。そういう人間たちが想像以上に大勢いることに、どうか、どうにか世界の底が抜けないでほしいと繰り返し抗うしかない。
職場の飲み会で遠方の人が遅くなって、うちに泊まってもいいですよ、と言った男性にその人が、「ジャニーさんみたいなことせんやろなぁwww」と笑ったこと、私に向かって上司が「中居くんも、ちょっと誰かが1時間くらい巻き戻って引き止めてやったらこんな騒ぎにはならんかったやろうにねぇ」と世間話の流れで言ったこと、選択的夫婦別姓制度の講座で、「選択的夫婦別姓とか言っている奴らは勉強が足りてない」とアンケートに書いて寄越した男性のこと。
1つめは、その場では反応できなかったんだけど後からふつふつと、性加害を冗談にできる属性の人間に(属性というのは間違った言い方でその人間個人の資質の話だが)怒りが沸き上がったし、2つめは「いやなぜそれを私に言う?」という醒めしかない。彼こそが「うっかりで」「本来の責任以上の非難を不当に浴びて」「なんにも悪くないのに」「かわいそう」という視点。いやそれを私に言って共感が得られると思ったか? 腹が立つ。
「そんな人でない」「才能ある」 性加害男性に集まる「ヒムパシー」:朝日新聞
3つめは仕事関係の女性団体が主催していたもので、参加は女性に限りませんとのことだったので少数ながら男性もいたようなのだけども、事前アンケートでその発言。いやー、まぁそら、同調する人にしか参加資格がないというのは議論の場として正しくないのはそうなんだけど、わざわざ乗り込んでそれを投げ付けてくる意味?!そういうところだが?! 議論乃至自分の論にこういった正当性があるという説明ではなく、勉強が足りていない、という相手側に対する非難でうんざりした。
あと腹立ち列伝に並べ忘れたんだけど(まだあるのか…)、仕事の忘年会で行った店のトイレのドアのステッカーが「男性が女性を覗き見してるピクトグラム」で、それが商品として売られていることも、それが店舗に貼られていることも正気を疑った。何ひとつ冗談にならないんだが? しかもここ男女共用トイレなんだが?? ピクトグラム上仕切りがあってこの具合なら共用ならもっと明確な加害が示唆されないんですか??! 意味が分からん。今リンク貼るために検索したら、この柄のTシャツまであった。ふざけている。
【楽天市場】【送料無料】トイレステッカー 覗き見 ウォールステッカー 壁紙シール 転写式 18*25cm #426:DECOSTE
対価として体を差し出すなら良いと。
これ読み返しながら思ったんだけど、もし急病になったのが女性で男性の方が助力を請うたとしても、対価として要求されるのは男性の財産とかじゃなくて「じゃあその女が治ったらヤらせてください」で、男も了承するんじゃないかと想像してゲロゲロした。そんで勝手に受諾して勝手に物扱いして提供したのにゆくゆくは汚れてるとかなんだとか非を転嫁して女性を捨てる結末になりそうな気がする。被害妄想はやめろ男とは誠実でそんなことしないと言われたとしたって、「いやこちらの身体を物としてやりとりさせる問題設定つくったのそちらですよね? そもそもその加害性が必要なかったのにどういうことなんですか?」くらいのことは言いたい。
まなじりがかっとなったし口を開いたら怒鳴りそうだったけど、配信だったからなんとか画面前で耐えた。耐えたというか、自分の混乱や感情を必死で収めようとしていた。
メダリスト13巻の描き下ろし4コマを読んで「瞳先生の言語化がすごい」という感想を流したのだけど、なんというかかろうじて表に出せたのがそれで、正直に言うとそれ以上に心を抉られたのはその前のコマの司先生の方だった。自分の心情においてつらかった出来事を明かしたあとの「被害妄想してるって恥ずかしいやつかも」という思いに慌てふためいて口数多く周囲の善いところを、自分の非をまくしたててしまう姿。身に覚えがありすぎて、あまりのことにびっくりした。それはそれとして瞳先生はマジでずっっっとすごい。
我ながらお気持ちだなぁと思う。ここ何年かでフェミニズムへの興味関心を持ち始めてはいるが、私のこれは、何かに怒っていたいからなんじゃないか、怒りをぶつけて自分に正当性があると思っていたいからじゃないか、と思うこともある。だからきちんと語彙を、歴史を、実を備えて、言葉で表せるようになりたい、とは、思っている。
言葉が足りていないといったのはここの部分で、なんというかあまりに殊勝に書き過ぎている。この部分は正しく言えば、「フェミニズムに連帯しようとするのは「自分は謂れのないことで不当な扱いを受けている者なのだ」といかる立場を得ることが本旨で、自分の個の非や負の気質を脇に置きその批判から目を逸らし続けるためではないか」という内省がある。年齢も年齢となり、仕事についても幾度か転職をしてきたがおそらくこの先はこの職でのみやっていくのだろう、となればその中身の精度を、密度を上げていかなければならないというときに、自分の怠惰性であったり質の低さを突き付けられて尚、では建設的にと人生を、人間関係を積み上げていかなければならないことからの逃避。より大きな社会問題にいっちょかみすることで自尊心を保つ流れなんて、凡百の人間が踏んでいる。
女性の人権の制限、蔑視は事実謂れがないものでありそれへの抵抗は行なっていくべきだが、こと自分が盲目的にその主張にばかり走る前に「その前に正してやるべきことがあるだろう、家のこと、社会生活の中ですべき行動が」という段階を済ませる必要がある。人権の制限を主張する連中がよく言うような「権利があるのは義務を果たしている人間のみ」というのは全くの誤りだが、それとはまた別で、目の前の話に手を付けず社会問題に興味がある振りをしていい気になっていても馬鹿だよなという後ろめたさというか…。
あとは最後の文も、アンチフェミやミソジニスト、もっと平たく言ってしまえば件の彼女との争いになったとき「ぜってぇ論破()されたくねぇ冷静にガチギレして言葉で詰めまくりてぇ…!」という動機が多分に混じっているものなので、「だから」というのは前段落の後ろめたさと併せて「攻撃される隙をつくりたくねぇ論破してぇ…💢💢💢」という趣旨の接続だというのがより正しい。
そしてここにこそ自分自身の加害欲があるのは自覚しているので、せめて抑えていく努力をせねばならない。私の傷から生み出すものを加害ではないものにしなければ、同じ穴の狢なのだ。
(それこそ彼女のTLを中毒的に見ていたとき、妄執的に彼女への煽り文句が頭の中を駆け巡っていた。いつでもそう、癇癪で喧嘩をぶちまける妄想に駆られているときが、いちばん精神に良くない…。)
私は1年ぶりの中田裕二のライブを見ながら、「この歳になると(歳の話でもないが)、好きな人を政治性に怯えながら見なくちゃいけなくなるのか…」と無闇にびくびくする羽目になった。彼が最近ハマっているのは仏像とかで、無事杞憂に終わった。彼がASKAを敬愛しているのはもう魂の問題なのでそこは、もう私には。
まぁ、仏教がひろく膾炙しているとはいえその接続を無垢に捉えすぎるのも違う話ではあるなとは思うが。仏教もまた宗教であり思想なのは当然の話である。あとちょうどこの数日の間にASKAが核は安上がり発言に賛同していた。あーあ…。
私が椿屋四重奏、引いては中田裕二に捕らえられたのは2006年当時三軒茶屋のツタヤで聞いた紫陽花/螺旋階段の衝撃のせいだったが、その後書かれた彼のとある日のブログもまた、まぶしいような救いだった。
ほっと一息 : 椿屋四重奏・中田裕二「KIRISAME DIARY」
走行中の電車内ではたらかれた強姦事件のニュースの翌日だった。07年、今ほどSNSが広まってはおらず、ある程度ファンであったり興味を持った人間しか見に行かないブログという媒体だったとしても、音楽をやっている人間が表で触れなければならない事件では、ないかもしれない。けれど、声を上げて、こういう言い振りをしてくれる人間がいることが、当時の私にはあまりに救いだった。今読み直しても、彼自身の若さも見えるけれど、素直にまぶしくてうれしいと思った。
気付けば20年好きなのでちょっとビビる。
長くなり過ぎた。そら元記事の修正じゃ収まらんわい。
どうにかこうにか、負けないように。



































