一度や二度の悲しみじゃなくて

だいたい野澤と真田の話をしています

指輪を買った

「文章が支離滅裂であることは、分かっていることとして」

 

 

タイトル通りだが、指輪を買った。

これまでも指輪というものは買ってきたし買うからにはかわいい、ほしいと思ってのものでは違いないしそれら今まで求めてきたものが劣っているという訳ではないのだが、これまでと明らかに「違う」ものを買った感覚がある。それはありていに言えば価格帯の話かもしれないし買うに至るまでのその半日の強圧縮された時間が加味されるのもまたひとつ違いないのだけれど、手に入れて一月、この感覚の主題は「私から浮かない指輪を手に入れた」ということだった。

 

アクセサリーを、過度のオプションだと思うきらいがあった。だからかも知れない。ゴージャスにいくつもの指輪もネックレスもピアスもしているマダムには自分との隔たりを感じたし、アンクレットをしている男性の足を見て気持ち悪い、と思ったこともあった。キモ、という嘲りや好みの範囲外という話ではなく、悍ましさに近かった。社会生活に必要な衣服以上のオプションを男性が選択して付けるということに、性を感じてしまって気持ち悪かった(ここで対男女やあるいは女性の中でも年齢に応じて感じ方の違いがあることについては、私自身のバイアスがあろうものなので問題としてはおかねばならないのだが)。

だから、おそらく私が今まで身に付けてきたアクセサリーは、浮いていた。ライブ、イベント、そうした非日常で付けるものであって、そういうものしか持っていない。買えていない。無論どれもかわいいし、かわいいし、かわいいのだが、それはそれらを身に付けた私ごとを「社会にきちんと溶け込めない」存在として浮かび上がらせているようだった。日常の延長線上として非日常を楽しむのではなく、ちぐはぐと分断された様でしかない。別にそこに己の意思として切り替えスイッチを置くとか、そもそも切り替えて別存在になってこそでしょ、という自己発信の肯定のもとに動いている人は当然それでよくて、私の場合はそうではなかった。ずっとずっと、周回遅れのちぐはぐ人生。私の生き方はただ、スポット的なものでしかないのだ。

 

ところで、私は3月イベントのために東京に行く手配をしていた。前回行ったときに観光時間を持て余してしまったため、前乗りとはいえ昼過ぎにゆっくり出て夕方前着、当日もイベントを少し早めに撤収をしたら即空港へ、という流れだった。そこにふと、あそこに行ってみたいな、という場所を思い付いた。とあるジュエリーショップだ。たぶん数年前にツイッターで見かけて、東京、しかも松濤かぁ~、と眺め、その後も折に触れ目に入れていた。松濤の旗艦店に併せて、近年、新宿と有楽町にもショップができている。上京する日はあいにく旗艦店は予約制(フリーオープンの日と予約制の日がある)、また別口で奇跡的に開催のタイミングが合った個展にも先に行きたいなとなったので(幸い高倍率を超えて当選した!)*1、そこから宿への動線を考えて新宿の店舗に行くことにした。小雨の微妙な中谷根千を抜けて新宿へ。かつて東京にしばらく住んでいた割に土地勘のないままの私は、そもそも比較的新しい商業施設であるニュウマン新宿への動線はよく分からないまま、その上先にルミネ新宿へ寄り道をした。こちらに入っているお店も気になっていたから、本命前に見ておこうという算段だ。そちらで見たパールのイヤリングもとても良かった。耳たぶが厚いのとイベント前の大荷物のせいで大いにもたもたする私に店員さんが手ずから付けてくださるという申し訳ない場面を経ながらも(イヤリングの手伝いってたぶんあんまりない)、この後の本命の予算を考え、最悪諦めきれなかったら通販にしよう、とその場を振り切り、そのままフロア半周先の服屋さんへ立ち戻った。戻った(・・・)、である。エスカレーターを降りてこのフロアに立ち入った一歩目、そのお店のマネキンの着ていた服一式がとても良かったのである。物欲しげにマネキンを眺めるもたもたした女など、ルミネ新宿などという激戦区も激戦区であろう商業施設で働いてあるトップクラスの店員さんが掴まえるには容易すぎただろう。わざとらしさも何もないテンションとホスピタリティによりあれよあれよと2セットくらい全身分試着をし、ほしい、ほしいと焦れながらも、この後の予算が、と振り切って今度こそルミネを後にした。そこからニュウマンまでは駅前の大通りを横切るのだが、そのタイミングで山本太郎を先頭にしたれいわの練り歩きエレクトリカルパレードに遭遇してしまい、やっぱ芸能人だけあってリズム感っつーか謎の舞台強さが…あるよな…と謎の納得をした(なんというか一定のベースに乗っておそらく即興で税金や米の主張を繰り出し続け、間で一度音が止まったときには即座にスタイルを変え語りに入っており、…その慣れの技術とは…となった)。

 

閑話はいい。かくしてようやくニュウマン新宿に辿り着いたときには、19時をしばらく過ぎていた。閉館前1時間を切っている。この階だ、と歩き出したところから逆に一周して遠回りの上で来たそこは、目を見張るような景色だった。

波打つ、砂のようなディスプレイ。

普段見かける、四角いショーケースの中に収められたジュエリーショップとはまるで違っていた。その波の上にいくつものジュエリーがそのままで置かれている。区切られたショップの中に立ち入るのではなく、エスカレーター脇の通路沿いの立地だったことも、元々見ていたお客さんが他にも数人いたこともとても心理的ハードルを下げてくれた(謎の新宿テンションも大いにあったのだろうが)。目星を付けていたタンザナイトの、あるいは同じデザインのトパーズのエタニティを眺める。他の方がしていたので私も比較的気後れなく、試着してみてもいいですか、という言葉が自然と口を出た。予算的にも、飛び込んでこれくらい。石によって数千円の差はあるけれどこのどちらかで決めよう、と思って付けてみた指輪は、──なぜだかしっくりこなくて瞬間ヒュッと息が漏れた。そもそもこのショップは、オンラインでのバーチャルトライができる。化粧品とかでもよくある、カメラを起動すると実際に付けているように試せるというあれだ。だからそれで事前にいくつか気になったものを比べ、想定していた、にも関わらずだ。なにか。何かが。どうして。それでも、「そもそも東京に来なければ実際に見て買えない」「閉館まであと数十分」「ここの指輪が、ほしい」という熱に頭を焼かれて、その奥にあった別のエタニティの試着をお願いした。これもバーチャルでやってみて、目立ちすぎるかな、と考えていたそれ。

今度は息を呑んだ。これしかない、というくらいにそれは、私の手に馴染んでいた。

これだ、と思った。*2

 

 

週明けの月曜日から、職場に付けていった。誰にも、何も言われなかった。すごく、すごくうれしかった。あなたおかしいよって言われないんだ。あなたには変じゃない?って言われないんだ。私が付けてても、いいんだ。指輪って、いつもの私がしてていいんだ。

これは、私の指輪なんだ。

 

 

 

かくして、その指輪は普段は左手の中指に収まっている。非利き手のそこが、いちばん障りがなくそして目に入る。休みの日にするときは人差し指か親指にする。スマホを扱ってるときに目に入るので(ツイ廃だから…)*3

別に表に出さないだけで、似合わない指輪してんな、とか思われてるのかもしれない。そもそもあなた社会に入れてないよお荷物、って思われているかもしれない。でもそんなことはどうでもいい。この指輪のことだけは。私に似合っているという確信があるから。

 

 

先日、QuizKnockの志賀さんが、以前書かれたnoteを再度タイムラインに上げられていた*4。それはおそらくは、カウンセラーによる今炎上している著書の話題を契機としてなのだろうと勝手に思っているのだけれど、そうして改めて彼の文章を読んで、「自分は人に迷惑をかける存在だと感じて生きることのつらさ」、それと相反しても同時に存在する「自分をそういう存在だと規定する周囲への抵抗」にまた実感を覚える(無論、違う人間として存在し誠実に紡がれた人の言葉を勝手にこんな短い羅列にまとめることも、暴力じみた行為なのだが)(承知していると言いながらやること自体が既に暴力よ)。

そのカウンセラー曰く「困った人」に当たる私はけれどその一方で、「どうして世の中の人はそんなに臆面もなく(・・・・・)生きているのだろう」と心から不思議に思う。どうしてそう臆面もなく喋り、集まり、自分が正しいと言う態度で仕事や生活とやらを行なえるのか。『はいよろこんで』や『君と宇宙を歩くために』が共感を持って迎えられているのなら、世の中のどこにそんな人たちは隠れているのだろうか?

その前者たる臆面のない人々をぶん殴りたいと思いながら、一方で自分は確かに落伍者ですと感じて生きている。その両方を反復横跳びして。

そこにひとすじ光りが灯ったことだけは、確かに抱えていたい。

 

 

 

https://www.artidaoud.com/

 

 

 

*1:鷹山 真彩さん『きらきらいきもの展~わくわくパーティーのまき~』

https://www.white-gallery.tokyo/2025/03/03/3658/

*2:その後、ずっと繰り返してきた「予算」よりも倍以上の金額であることに一瞬躊躇ったが、すかさず「ちょうど来月から(つまりあと2週間ほどで)11,000円お値段上がっちゃうんです」と挟み込まれた店員さんの言葉に「じゃあ今じゃん」と即断し、あげく5,500円のネイルリングを買い足し、私の買い物は幕を閉じた。もはや誤差だろ。

*3:買ったときは完全にハイだったのだが、左手中指に白い指輪を付けることで、ホワイトリングの意味をも持ちうることに後から気が付いた。以前、アセクシュアルであることを表現する右中指のブラックリングのことを知ってこれだ!と買った指輪があるのだが、それは今に至るまで、デザイン上か気持ち上か、私の指から浮いているように思う。私が本当に当事者なのか分からないままなぞることはその意味合いの簒奪であり当然良くはないのだが、左中指のこの白い石の指輪は、ホワイトリングとしてすごく私に似合っている。今自分で思うのであれば、「性嫌悪のあるアロマンティック」がいちばん近いのではないだろうかと考えている。

*4:病葉|志賀玲太 / シガレータ