一度や二度の悲しみじゃなくて

だいたい野澤と真田の話をしています

Drink undrinkable ーーシノギ(Dead Pools)につき一説

水はどういった容器に入れどれだけ傾けようと自ら水平を保つ。だからこそ一見無関係でありそうな「法」という字の部首はさんずいなのだという説を昔聞いてなるほどなぁと思ったことがある*1。平らかにあれ、平等にあれ、公平にあるための寄る辺となれと。

この記憶が引きずり出されたのは、MAD TRIGGER CREW『シノギ(Dead Pools)』の全体があまりにも、暗々とした海/液体のイメージで一貫し作り上げられていたからだった。



ヒプノシスマイクにおいてヨコハマとカナに開かれた地名そのものに最早表意は読み取れないが、現実の私たちはそれが海に開けた地であることを知っている(また作中でもそこが「みなとみらい」と冠されていることは明らかにされている)。これは他の3ディビジョンにはない特徴であり、だからこそその情景を描く上で有意に働く。
単純な背景セットの話ではない。言葉の選択、引いてはそれらが立ち上げる匂いと感触の話だ。


左馬刻が声にする「泳いでる」「プール」は連なったイメージとして分かりやすいだろう。水中を行き交うように自由にすれ違う人々。好きなだけ「泳が」された対象たちが住む場は、理鶯に「なみなみと注がれた欲望のプール」と再起されることで個体/固体ではなくやはり液体のイメージを提示する。それをMTCが「飲み干す」のだ。
そうして銃兎のイメージ形成は更に作為的である。「金と暴力にまみれ溺れ」るという一定程度の定型の後に「毒も皿まで飲み込める」と続けられたそれは、“毒を食らわば皿まで”という成句を捻り切っているのだから。*2



この曲において“食う”というのは左馬刻冒頭の「顔で食ってる商売」と銃兎の「正義とやらでおまんまが食えてるならば」の2箇所のみで、それらは両者とも、典型的な字義ではなく転じた“生活をする”という意味合いに絞って使われている*3。もっと平たく言えばそれは“生きる”、である。


彼らの生き方はきっと"飲む"ことなのだ。噛んで千切って吐き出す好悪選択の余地はない、「全て」を「飲み干」して、生きる。*4





頭の一説を思い出した後軽い気持ちで、ヤクザと警察というある意味法に近しい者、「ドクトリン」を掲げる軍人をヨコハマに配置するのもなるほどかなぁ、などと思ったりした。



左馬刻がいちばん初めに提示した言葉は「Life is not fair.(公平なものなど存在しない)」である。*5
海の街ヨコハマで「全て」を「飲み干」して強くあろうと生きる君とMTCは、ある意味公平かもしれないね。




.

*1:そもそも「法」の元の形はかなり複雑で右上に霊獣を表すパーツがついており、字義の成り立ちにはそれを踏まえる必要があるとする http://kanjibunka.com/kanji-faq/mean/q0302/ ただ一応やはり一説として水の性質を考慮に入れたものもあるようである http://kanjibunka.com/kanji-faq/mean/q0342/

*2:https://kotobank.jp/word/%E6%AF%92%E3%82%92%E9%A3%9F%E3%82%89%E3%82%8F%E3%81%B0%E7%9A%BF%E3%81%BE%E3%81%A7-582415

*3:https://kotobank.jp/word/%E9%A3%9F%E3%81%86-482263

*4:https://kotobank.jp/word/%E9%A3%B2%E3%82%80-597428

*5:https://hypnosismic.com/character/yokohama/mr_hc/

お前はその愛を外から見たかーー劇団番町ボーイズ☆×10神ACTORコラボ公演『甘くはないぜ!3』<ウラ>

お前はその愛を外から見たかーー劇団番町ボーイズ☆×10神ACTORコラボ公演『甘くはないぜ!3』<オモテ> - 一度や二度の悲しみじゃなくて
<オモテ>で澄ましたブログも書いています


舞台『甘くはないぜ!3』の千秋楽ほぼラスト、それまで見たことのなかった緑色のライティングが縦横に走った瞬間はハテナマークを大量に浮かべたのだが、そこから喜界先生が喋りだしたところで「あーーーー!!!あーーーーっ!そう、そう来るか!!!そう寄越すか!!あーーーーうわーーーー!!!」とボイスレスで絶叫してしまった。


何が起こったか。そもそもそこは幕末に来てしまった千代太を喜界先生がタイムマシンで現代に送り届ける場面だったのだが、最終日に辿り着いたのは恐竜の時代だった*1「訳の分からない時代に飛んだことに」混乱する千代太と「いつもと違うことを見せられている衝撃に」混乱する私たちの前で喜界先生は話し始める。
「わしはずっとタイムリープをしているんだ。誰がどんなことを言うかもう全部分かっている」
「けれど流れを変えちゃいけないからね、同じような感じで相槌を返している」
「わしとお客さんだけが同じスタンスなんだ。あー、意味が分からないよな」
「でも毎日毎日おんなじだとつまんないからね。大喜利とか、投票の結果とか、わしがいじってたの」
「今日が最後だから、ネタバラシのスペシャルエンディングにしたんだよ」


…こんな、こんな展開をぶちこまれてオタク叫ばずにいられようか(しかも我が推しがその役目を担っている)。というかそんなことを突然言われたので記憶が混濁しすぎてセリフがあやしい。もはや喜界先生の一人称からして自信がなさすぎるがコラボ公演であったおかげでDVDが出ますありがとう。


確かにまぁ、喜界先生はアドリブしないなぁと思ってはいたのだ。冒頭の常吉くんに始まりパワフルな客演の方々の暴走もあって結構みんなアドリブをしまくっていた印象なのだが(振り返ってみるとあとは餡之丞・柚之介組とか饅次はあんまりなかった?かな?)、そのため10神の中でも不動の演技の馬越くんが歯がゆくて、そういうお遊びが!私も見たいよう!などと思っていたのだ。それが。それがだ。それがだよ!!!浅はかなオタクめ!!!



などと殊更に反応するのも、以前私自身がこういうことを言ってしまっていたせいだった。
以下は、昨年8月の10神ACTOR人狼TLPT公演に寄せて残したブログの一節である。

与えられる1。それはこの舞台の全であると同時に10に基づく欠片である。
これは上記のような本家ースピンオフといった関係から言えることだが、私個人の感想を言えば、それだけではない。
繰り返すようにTLPTの要は「今をおいて他にない、たった一度の物語」と銘打った脚本なしのアドリブ芝居に拠るのだが、その日々の、毎回のズレが見ている私に奇異を感じさせたのだ。
ナナに召集されC7ユニットの強奪に乗り出すメンバー。成功から一転、人狼ドラッグの服用者が出たことで互いを疑い合うデスゲームが始まる。その都度役割は違う。また違う者が死ぬ。何度めかの朝に人か、人狼か、どちらかが勝利宣言を下し幕は降り、――そうしてまた初めから物語が繰り返される。それはまるで、ループ世界を踊らされているようにも見えたのだ。

私達はそれを外から見る。別の世界線の彼らを知っている。まぁ演劇というのは公演を重ねる反復活動ではあるしちょっとした日替わり要素があるのはよくあることだが、至る結末が全く違うという舞台を見るというのは初めての経験だった。にもかかわらずだ。明くる日の舞台はまた、もう一度、何度でも、そう繰り返し何食わぬ顔で幕を開ける。これが奇異でなくなんだというのか。
(中略)
あるいは、「ナナがこのループを楽しんでいるのだということこそ、この舞台の大枠なのかもしれない」などと思い至った日さえある。

bookmared.hatenablog.com


この話なのだ。まさにこの話なのだ。なんというかそれなりの文が書けたと思って満足していたら作り手からまんまとリバースカードオープンされたような気分である。楽しい。オタク!めっちゃ楽しい!!!
我々は、外から見る高揚をも許されている。

ちなみにこの間のリリイベ握手会に参加できたので馬越くんに「喜界先生のタイムリープ設定っていつから決まってたんですか!」と一生懸命聞こうとしたのだけれど(かわいくて眩しくて直視できないし非常にテンパっている)、剥がされたので質問を投げたところで終わってしまった。隣の坂田くんが笑っていたような記憶だけがうっすらとある。握手会強者になりたい。無理。




そもそもこの『甘くはないぜ!3』という舞台について、果たして観客ってどのスタンスでいればよいのだろう?というハテナを抱えて現場に入っていた。みんなどうやって投票してるんだろう。本当に単純にチョコの好みで?どの役かに感情移入して?好きなメンバー(役ではなく本人)を勝たせたいからとハナから決めていて?あるいは、これまでの戦績に押されて?
観客の投票結果による二択のエンディング。実際のところはエピソードの順序が少し入れ替わるぐらいだったので、二択の持つ意味とは実質「餡之丞が勝つか天使郎が勝つか」だった。おそらく福岡に限ってこと極端に言えば客席のその関心事は「『天使郎が』勝つか負けるか」だと言い換えてもいい。そこで注視されるのは大局ではなくもはや「主語」だ。天使郎が、それを演じる坂田隆一郎が、彼が背負う10神ACTORの看板が、どうであるか。この現場に観客は、単純な演劇だけではなくその外に纏うものを込みにして見にやってくる。

まぁ私がTLで「天使郎さま勝たせたい」という人を多く見ていただけなのかもしれなくてそうした人が実際どれくらいの比率なのか分からないし、あとは観劇のスタンスには優劣があるかとかそういう話はしていない。ただ持っているのは、何があの戦局を左右したんだろう、どうやってあの舞台は成り立っていたんだろう、という興味である。
劇団番町ボーイズ☆×10神ACTORコラボ公演であり先方の糸川くん、こちらの坂田くんとをトップに立てた陣営ではあるが、チーム分けは番ボVS10神、というわけではなく、というかそもそも人数の偏りがものすごく大きい(餡之丞☆チームで対戦に当たるのが千代太☆、柚之介☆、喜界先生◎、常吉☆、寺数◎+応援する益兵衛☆、饅次☆。対して天使郎◎チームにいるのは藤次◎のみである。☆が番ボで◎が10神)。上述の何が投票要因にせよ、天使郎チームが通算イーブンにまで持っていったのは結構大変な事態だったのではなかろうか。
とりあえず、天使郎さまを福岡初日1票差の負けで迎えさせてしまってからの2日めダブルスコアは修羅の民総力戦って感じで個人的にはめちゃくちゃ興奮した。えぇ私も投じましたけども。




日替わり要素、対決、通算成績。そこにはリピーターを呼び込み購買に繋げる興行的側面も当然あるだろうし喜界先生の言葉はある意味その措置を立てることへのエクスキューズかもしれない。だから何だ。それまでを包含して仕立てられた物語は尚、尚面白い。
大阪一緒に入ってくれた友達に「栞さんがよく言ってる『まごりゅう』絡みなかったね?」と言われたがその通りで気付いてみれば作中喜界先生と天使郎さまは本当に絡みがなかったのだが、喜界先生のタイムリープ(+タイムマシンによる時間跳躍)と天使郎さまの「うまれかわり」はどちらが強いのかとか、そういうのを考え出すとオタクの頭はフルスロットルでもう煙が立ちそうである。天使郎さまおいくつであらせられますかチャレンジin握手会も失敗した。無理。





全か欠片か中のみか外を乗せるか、どうやって見るも正解はなくすべては同時に成立する。ただしすべてにおいて言えるのは「閉じたループに再現性はない」ということだ。『甘くはないぜ!3』を幾度も繰り返したループ、それをリアルタイムで体感できた興奮がただ残る。
己の目ですべてを見る。レイヤーは自分で選ぶ。渦中に身を投げ出し自ら目撃することの放つ抗いがたい魔力が、私を再び現場へと走らせるのだ。


f:id:bookmared:20190311220039j:plain
4も待ってます

*1:その後ちゃんと現代には帰れました

お前はその愛を外から見たかーー劇団番町ボーイズ☆×10神ACTORコラボ公演『甘くはないぜ!3』<オモテ>

初めての大阪公演!と福岡に入ってきました。
まずはあらすじをと思ったのですが自分で書いてたら2500字とかまた長くなってきたのと解禁時の公式と実際がちょっとずれているので、公式をもじる形で初めにちょっくら。


<あらすじ>

激動の時代の中、日本で初めてチョコレートを作った(!?)サムライたちの物語。
……時は幕末。世の中が大きく変わろうとしていた時代。
ひょんなきっかけで、その時代にタイムスリップしてしまったショコラティエの主人公。

そこで出くわしたのは、長崎を追われた侍や騒がしい長屋の住人たち、愛を謳うキリシタン旧幕府軍を掃討せんとする新政府。
それぞれの決意や守りたいものが、立場が異なるなら力を持って争うしかないのか? いいや違う。行なわれることになったのは「しょこらとる」対決。
「茶の席での友好を」と願いを込めて。死ぬことを厭わず武器を向け合うのではなく、思うまま自由に生きようという気持ちを胸に。

激動の時代の渦にのみこまれつつ、主人公は最高のチョコを作り上げ、元の時代に戻ることが出来るのか……!?
壮大な歴史ロマンを、甘ーいチョコレートでコーティングした、 日本初、幕末スイーツバトル演劇。


自分で書いた細かい方も最後に置いときます。



f:id:bookmared:20190309111849j:plain
よい顔。


ーーーー
1853年黒船来航を始期とする「幕末」の終わりの定義には67大政奉還、68江戸開城、69箱館戦争終結、71廃藩置県等々揺らぎがあるらしく、新旧統治陣営が混在していた時期を単純に二分することはできないのだろう。だからこそこれらの流れは視点を変えれば「明治維新」の端緒とも言える。
それでも確かに『甘くはないぜ!3』は、「維新」ではなく「幕末」の物語だった。
これは、過去を切り捨て袂を分かっていくのではなく、残した思いを引き連れて、自分を見つめ共に行く人々の話だったのだから。




導入の語り部として常吉が顔を出しはしたが、実質的なストーリーテラーはスコーン卿であっただろう。スイーツバトルを提案したのも彼であるが、OP前には葛切に向けよりよい未来への期待を投げ掛け、そうしてまた大団円ののちに「新しい風が吹くでしょう!」と言葉を残したその導き手としての態度は一貫している。

反面、俯瞰、というのは渦中の人間には難しいことだ。もやもやしたものを抱えて、自分に自信がなくて、でもこんな自分でもいいんだ、と実際に思えるようになるには結局「自分が」何かに直面することでしか叶わない。現代からタイムスリップしてきた千代太はショコラティエを選んだ道筋に迷っていたが、幕末の仲間と共に得た体験(それは勝っても負けても)を越えて自分を取り戻していく。侍でありながら剣術が不得手であった餡之丞も、場を戦ではなく友好の一歩へと転換することで刀を有用とすることができた。スイーツバトルへ向け奮闘する中で千代太は興奮して声を上げるのだ。「ようやく役に立つときが来たんですよ!僕も、その刀も!!」

また対決後のエンディングでは、いくつかの縁が結び付き直す。
新旧軍勢として過去に斬り結んだことのある葛切と饅次は酒仲間として。弾圧を挟んでいた政府の聖護院とキリシタンの天使郎は「仲直り」を。そうして慕情故に嫉妬に苦しむ寺数は同じく天使郎から愛を教わった藤次に、他の考え方を示してくれる喜多衛門に、"推し"を支える益兵衛に、多くの手を向けられて歩き出す。柚之介もまた、戦うことも死ぬことも選べなかった幼さから抜け出し、「生きる」道を拓く姿を見つけていた。

あるいはその契機となった饅次と柚之介のシーンで明確に言葉にされるが、この物語の彼らは決して完璧ではない。それどころかちょっとおかしいくらいに自由で、それこそ芝居役者にのめり込み"推し活"に多大なエネルギーを注ぎ込む益兵衛であれ、他人の評価がどうであろうと好きに生きる喜界であれ、彼らは歪で、だからこそどこか愛おしい。



スコーン卿が初めに未来を示唆し葛切が応えたタイミングで「現代の」悩める千代太の登場が交差し、千代太が神頼みする場面から「神様の子」天使郎と寺数のくだりが映るなど、この舞台は数多くのシーンが同時に折り重なる。そうした舞台の手前と奥、上手下手の構成の絡まり具合は、座組の人数の多さも相まって一見での陣営の整理がなかなかに難しかった(己の理解力はひとまず置いて)。またその整理の立ちゆかなさは、千代太の置きどころが埋もれてしまっていたせいではないかな、などとも思う。例えば影が薄いなら影が薄い、頼りないなら頼りないという面こそを強調しなければ主人公としての演出は事足りないわけで、本当に影が薄くては話を引っ張る存在としては認識しづらい。この場合、千代太の影が薄いわけではなくて他のキャラが濃すぎるというのが正しいだろうけども…!
この物語の雑多さは、千代太ー餡之丞ー天使郎という三角形が決して綺麗に出来上がってはいないことによったのだろうな、と思う*1

ただし、私は批判として述べているわけではない。先も言った通りだ。
「歪だからこそ愛おしい」。
これが明確に「千代太が主人公の」物語として練られあまりにすっきりしすぎていては、おそらく物足りなかったのではないだろうか*2。雑多で、それぞれが己の人生を暴れまわって、皆が涙が出るほど笑ってしまうような。そんな物語だった。




私がよく引く本に、こうした言葉がある。

「愛」というのは、もともとはっきりと対象をみさだめて、その存在をたいせつにし、いとおしむことである。目のまえに存在しない対象への渇望感とは、かなりちがう。いま、ここに、存在している対象の、美点も欠点もわきまえて、それでもなおその対象をたいせつにする行為だろう。
*3


みんな、みんなおかしくてかわいくて大好きでした。
だとすれば、私がこの舞台で得たのは紛れもなく「愛」なのです。








<あらすじ長文版>

新政府軍と旧幕府軍の戦火が続く明治元年戊辰戦争の端緒である鳥羽・伏見においては新政府が勝利を収め、その形勢は次第に傾きつつあった。

幕府軍の大敗より数日。ただでさえ旗色の悪い長崎奉行所に、奉行・河津祐邦が出奔したとの報が入った。しかし残された侍・天見餡之丞(糸川)は、指導者を失う状況にも関わらず軽快に受け止め、遊撃隊士・胡桃柚之介(矢代)の非難もかわし後追いで長崎を出ようとする始末。2人は薩摩の追手である葛切黒蜜(佐藤)、織吾藤次(三岳)や兵(青木)らから逃げ切るも、そこにはタフィー・ナッツ将軍(南米)、クロテッド・スコーン卿(関岡)等米英の思惑も絡む。世情は混迷を極めていた。
「あなた方新政府に投資するのは、未来をよりよいものにするためです」
「もちろんつくってみせますよ。この国の輝かしい未来を!」
残された卿の台詞に一人返す葛切。
時は幕末。
世の中が大きく変わろうとしていた時代。

<OP>

時が流れた現代。
ショコラティエの青年・加賀尾千代太(二葉要)は頭を抱えていた。一大イベントであるバレンタインへのプレッシャー、店長としての責任、それらのせいで自ら買い込んでしまうチョコレートと反比例して減っていくお金…。おかしな両親も当てにならず、なぜこの職業を選んでしまったのかとまで悩み始める千代太は、偶然出会った有名パティシエ・天見団護(糸川二役)に激励を受け、傍らのお稲荷様に願を懸ける。先祖の代から自分の仕事は決まっていたような気がする、そう力強く言う団護を思うと頼りなくもへたれた気持ちだけれども、どうか、どうか、バレンタインがうまく行きますようにと。

神への願いが重なるように、場面は再び幕末へと戻る。
新政府からの苛烈な弾圧の中にあるキリシタンたち。甘草天使郎(坂田)、埴井寺数(松島)もその難の例外ではなく、殊に”天草四郎のうまわかわり”とされる天使郎への追撃は鋭いものであった。天使郎は敵にすらも愛を向け、寺数を逃がしてひとり投降することを選ぶ。成す術もなく、世の不条理な有りように憤る寺数。彼は力尽きたところを商人・番町屋喜多衛門(佐田※福岡公演)に拾われ、急速に金の力に目を眩ませていく。

そうして。
いつの間に眠ってしまっていたのか、千代太が目を覚ますと辺りは様変わりしていた。現代の東京にいたはずが、ここは明治元年、博多改め福岡だという。訳も分からず行く当てもない千代太は、神社で出会った飴売りの常吉(西原)からひとまずの宿として長屋を紹介される。
折しも長屋では、大家の加賀尾益兵衛(二葉勇)が喜多衛門、寺数から借金の返済を迫られていたところだった。和菓子屋の傍ら勤しむ歌舞伎役者への”推し活"と、借金との天秤に嘆く益兵衛。店子と言えば謎の発明家・安納喜界(馬越)に酒と博打ばかりの侍・酒蒸饅次(堂本)、誰もかれもちゃらんぽらんで普通でないし、そこへ常吉がまた得体のしれない千代太を勝手に連れてくるものだから悩みが尽きるわけもない。
その喧騒の中で話題に上がった「しょこらとる」。南蛮渡来の甘い菓子だという。千代太はそれがチョコレートであることに気が付くものの、自分がショコラティエであること含め、アクの強い面々の前では流されうやむやになってしまうのだった。


その頃、長崎を発った餡之丞と柚之介、彼らを追う葛切と藤次にナッツ将軍とスコーン卿、また捕らえたキリシタンの視察に下ってきた公家・聖護院是清(織部)らもまたそれぞれ、福岡に集っていた。餡之丞とスコーン卿は別々の場所で、尚、異口同音に願いを謳う。「武力ではなく、茶の席での友好を」と。
また新政府のキリシタン弾圧に難色を示すスコーン卿は、新聞記者・小倉羹羊(梶原)をうまく使い、天使郎の解放及び日本との交渉を立ち行かせる案を巡らせはじめる。

その夜はちょうど祭り。皆が浮かれる音を遠くに聞きながら、藤次は牢中の天使郎と邂逅を果たしていた。百姓の出であり、力を求めるために自ら刀を持った藤次は、"天草四郎のうまれかわり"に何を武器として戦ったのかを問うも、それは愛だと言われ思わず悪態をつく。そんなもので勝てるわけがない。愛など、そんなもので強くなれるわけが。反発する藤次に天使郎は、ただ当たり前のことのように、愛の強さを諭していく。

一方長屋の面々は、寺数の発案による新ビジネスとして「しょこらとる」の開発を言い渡されていた。ここに至っても千代太は取り合ってもらえないまま。またもや常吉が連れ込んだ"訳あり"餡之丞、柚之介も巻き込みつつ、喜界主導の「しょこらとる」づくりは大混乱である。
満足そうに賑やかさから離れる饅次。派手な着物で酒に浸る様を柚之介から批判された饅次は、仲間は武士の誇りを胸に2年前の戦場で皆死んでしまったと明かし、これからは自分で自分のことを自由に決められる時代が来る、そのためには真正面から頑なに向き合うだけではない、生き延びて楽しむことが先決だと説く。この長屋の連中がいい手本だと笑いながら。
そこへ葛切、藤次が現れた。長屋に餡之丞たちがいることを探し当てたのだ。やはり真っ向から向かっていく柚之介を引き止め逃がす饅次。騒ぎを収めてくれと益兵衛に請われ渦中に餡之丞が登場するも、いざ刀を抜いてみれば剣術の腕は一同が呆気にとられるほどの間抜けさで場は混乱するばかり。

これ以上迷惑はかけられないと身柄を差し出す餡之丞と柚之介、2人を突き出して得た金を"推し”に遣うことなどできないと引き止める益兵衛、一方で金がなければ借金も返せず長屋が立ち行かないと収拾のつかない事態に、スコーン卿、ナッツ将軍が揚々と躍り出る。2人を捕らえるか見逃すかのその処遇、新政府と旧幕府の争いを、「しょこらとる」の対決で決めようと言うのだ。
武器を向け合うのではなく、誰かを殺すのではなく、菓子による勝負を。


餡之丞や長屋の住人たちの命運は、この国の未来をつくりたいと願う大人たちの思いは、天使郎が諭す愛の行方は。
そうして千代太はショコラティエとしての自分を取戻し、現代に帰れるのか。
かくして、ここに幕末スイーツバトルが決せられるのであった。

*1:本当に要くん云々の役者の話じゃなくて、単純に演出側のバランスとして。対決という趣旨もあるので餡之丞さまと天使郎も前に立てないといけないし、番手のつくり方の問題だろうなぁ

*2:コミカライズとかするなら千代太の一本線通した方が読みやすいと思うけど

*3:I call your nameless name now./ジャニヲタ英語部投稿の日本語版 - 一度や二度の悲しみじゃなくて http://bookmared.hatenablog.com/entry/2016/05/01/001525

被爆マリア像とくまモンと真田佑馬と私

 

前置き。私はこんな感じでらぶ担ではないのはご承知おきください。(別にこの記事において害意はないのですが念のため)

bookmared.hatenablog.com

 

あと、別に結論はなくて前から呟きたかったことをこの機にただつらつらと書き留めた雑記です。

 

****

 

 

去年の10アクツアーで長崎に行ったときに泊まったお宿に、オプションでミサ体験というのがあったんですね。家も学校も専攻も特定の宗教に拠ったところではなかったので、そもそも「信仰」というものが自分の中に根っこがなくて、それでも一生をかけて自分の中に軸を建てて生きていく人たちに感じるある種の憧憬というか興味があって、参加することにしました。

そこは長崎でも有数の教会で、平日のその日も朝6時という時間から数十人がいたと思います。登壇する人のお話に合わせてするすると誰も戸惑うことなく進む場。備え付けの長机に忍ばされた讃美歌集は私たち部外者でも手にとって良くて、次に歌う歌の番号は左右前方に銀行の呼び出し表示みたいにデジタルで映されていて少しおかしかった。親切。

 

終わりしなには外の公園のラジオ体操の声が混じる。ここは日常なのだ。私が知らない、日常。元々私の見識も狭いのは知っているけど、違う世界に来たみたいだった。いろいろな言葉が、今私の前方にいる人々には、なんなら宿から引率してくれた少ししょぼくれたようなおいさんにも、私とはまるで違う血肉を持ったものとして吸収されていくのだ、と思うと、不思議な気持ちがしてしょうがなかった。彼は私ともう一人の参加者がはぁほぉとページをめくる横で、着席するなり目を閉じて、皆と同じように小さな声を紡ぎ始めていたのだから。

大きな教会だけあって、正面に掲げられたキリストもおそらく人よりも大きかった。

磔刑に処された姿を眼前に居並ぶのは、彼らにとって後ろめたくとか、ないのだろうか。きちんと信仰について修めたことがかけらもない私は、そんなことばかりを考えていた。

 

 

7時前にミサが終わってステンドグラスの説明を受けた後に、入り口近くに残された像へと連れられた。被爆マリア像という。長崎の爆心地に程近かった教会は破壊され、その瓦礫の中から見つかったものだ。

 

 

実をいうと、それがどんな風に損壊していたか、どんな表情をしていたかはあまり覚えていない。ただ、磔のキリスト像を見上げた後にこのような言葉が綴られていたことに私は粟立ったのだ。

私には、その像を「それ」と呼んでいいのか、「彼女」と呼ぶべきなのかすら判断の基準がない。一方でこの言葉を連ねた誰かにとっては、「彼女」は一部となっても尚信仰すべき対象なのだ。おそろしくなったのは、「その痛ましさこそがその価値を高めさせている」とも考えられてしまうからだった。

 

「これは石像であって確実に人がつくったものだからそういう心配はないけど、例えば『人は理解していないけれど言葉を発している生き物』をこの位置に据えていたとしたら?活け作りにされる動物や魚の鳴き声をさておいて人は傷をつけて締めてしまうけれど、例えば他の人には分からない声で痛みや悲鳴を上げる存在を、『尊いですね、それでこそ』って言ってたらめちゃくちゃ怖くない?」などということを考えたりした。芋虫のようにもがれた生け贄を想像してしまってひとりでめっちゃ怖かった。

 

 

ただ一応、こわい、というような言い草は無知識による無理解、曲解であるとは分かっているつもりなので、ちゃんと勉強してみたいなぁ、というところで終わっていたのだ。

 

 

ところで次のツイートは、それから5日後のものである。

 

 

くまモンの話だ。ちょうど先日NHKのプロフェッショナルでも特集されていた通り彼(?)については伝記も描かれていて、熊本県庁のプロジェクトチームの紹介、というわけではなくてモノローグも彼のものとして構成され彼のくま生が綴られている。東日本大震災が、見開き一面を黒くベタ塗りされたページで再現される。熊本地震の後、できることはないと自分の意義を見失う姿が描かれる。それでもそこから、「みんなを元気付けてあげて」という声に後押しされて出向いた避難所において、彼は歓声を以て出迎えられる。キャラクターが、エンタテインメントがだからこそ非常時に必要とされるのだという話は10アクにハマったときからも考えていて、その力の大きさを思うと読んでいて素直に涙が出た。侮るなかれ、良い本です。

 

 

これもこのときはフォロワー諸氏と少し話して、終わっていた。

けれどしばらくして思い至ったのだ。

「これって同じ構図じゃないの?」と。

人ではないものに人のような役割を見出だして、かつ、それはただの人というものではなくて有事の際の心の頼りとされる。損壊したマリア像だからこそなおさらに信仰を集める。二度の震災を乗り越えたことを含めて、物語化される。

繰り返す通り私は信仰を危険なものだとして考えたいわけではないし、ましてや災害を物語に含むことを安易などとは決して言うつもりではない。二者はどちらも拠り所としてその折その折に確かに成立してきた。だけれど私の感情は分岐したのだ。被爆マリア像への言葉を見たときに粟立ったことも、一方でくまモンの伝記に涙ぐんだことも、両方ともが事実だった。

そのおそろしさと感銘の線引きはどこにあるのか。冒頭にも書いた通り結論はない。というか仮説もない。ただ私が今この話を引きたいのは、私の担当がこの世界に帰ってきたからだ。

などという言い方をするとちょっと電波だが。

 

真田佑馬が、ツイッターに現れたのだ。

正直、音楽を携えて戻ってきたことに心はもやもやした。それは私が彼の事務所での最後のユニットにヘイトを抱えていたからだし、彼のお芝居をずっと見たい、そちらの世界に生きていてほしい、と思ったからだ。けれど、そう思った後に声が響く。「芝居なら、まだ彼にフィルターをかけていられるからじゃないのか?」。自作曲であれば、(もちろんフィクションを手掛けるのに長けた人もいるだろうが)そこにはかなりの純度で「彼本人が」透けて手に取れるだろう。それを厭んでいるんだろう?、私が思って願って望んでいた彼とはもう違うかもしれない、けれど芝居ならそこにある彼の声は、彼の姿は、「私が解釈できる」。そうであってほしいから、私は歌う彼をまだ遠ざけているんだろう?と。

私の目の前のマリア像は私の理解と違う声を上げているかもしれないというのに。

今これを書いていて悲鳴を上げそうだ。だって、そうじゃないって誰が言い切れる? ついでにいうと、歌を厭う、ということそのものもしんどい。去年の行ってよかった現場にライブを挙げて歌の力に涙したのも事実だし、彼が在籍中最後に立った舞台は『ダニー・ボーイズ~いつも笑顔で歌を~』だ。歌うことで愛されたい、歌うことで幸せでいたい。そのメッセージに反してしまってここに立っている自分がつらい。

 

 

以前のブログで「私の源流はスケバン刑事麻宮サキで」、なんていう話をしていて、その短いからこそ華のように鮮やかに生きそうして散っていった彼女のような姿を三次元においても求めているのだとしたらしんどいなぁという話をその頃にもしていた。

 

bookmared.hatenablog.com

 

スケバン刑事には原型とも言える(実際作品自体は同じ時系列にある)『大逃亡』という話があって、サキはその主人公たる少女と生き様がまるで似ているようだ、と言われる場面がある。皮肉にも、彼女の名は、マリアという。

 

 

 

言うまでもなく、刹那性は三次元コンテンツの専売特許ではありえない。

この点において三次元のアイドルが固有の意義を持ちうるとすれば、刹那の高揚が消費された余韻の「その後」の生と消滅を、アイドルとして生きた身体が引き受けるという重さによってである。

 

bookmared.hatenablog.com

 

 

 

彼は生きている。

私は、これからの彼を自分の思う石型にはめていきはしないだろうか。

そうしないようにありたい。

元気でいてくれる彼を、自分の言葉を届けようとしてくれる彼を、受け止められるようになりたい。

誰かを一心に見つめるということは時に危うさを孕むだろうけども、せめて、その危うさを自覚して、どうにか正しく生きていきたい。いやまぁ正しいって言葉も危ないけどね。

 

どうにか晴れやかに、真田担シーズン2としてありたいものです。 

 

「変える」は「変わる」--2018年振り返り

年末休みに入ったらその足でブログまとめようと思っていたのにこのていたらく。とはいえしかしこのタイミングで書き残さないとそのまま一生書きそびれるので、2018年分も決算ということで書いておきたいと思います。今年(もはや去年)は~してよかったものくくりです。
 
 

◆買ってよかったもの

・ミルボン リンバーセラム

 

ミルボン ディーセス エルジューダ リンバーセラム 120ml

ミルボン ディーセス エルジューダ リンバーセラム 120ml

 

 

ヘアオイルです。誰が覚えているんだろうか。去年の総括ブログで「髪についての自尊心を誕生させたい」と言っていたことを。そもそも何が悩みかというと、細い、少ない、力がない。要はとても貧相。自意識が芽生えたのが最近なのでずっとこうだったのかおろそかにしていたからこうなったのかもよく分からないていたらくなのですが、ともあれそれが現在のコンプレックスです。イザナギイザナミのやりとりみたいに1000本抜けたら1500本生えて結果的に増毛ということになってくれやしないものか。 

しかしかといって抜本的に何をしたというわけでもなく、なぜなら、本当に美容院に対する苦手意識が抜けない。去年(もはや一昨年)コスメカウンターに行ってみてから対比で気付いたんですけど、だって、美容院って不作為であることでつけられた傷を癒やしてもらえないんですよ。いやね?!そもそもこの年でなんにもしてない方があれだしもらえないって言い草どんだけっていうのは分かりますけどね?! カウンターだと「あ、肌の手入れですか…?いや、なかなか、ちゃんとはできてなくて…」みたいにうぇへ…とさもしい笑みをごまかしごまかし言ったとしても「じゃあ今現状がこうなのでこうしましょうねー!やり方はこうでですねー!」ってその場で教えて引っ張ってくれるけど、美容師さんって違くないですか。実例。以前縮毛矯正をかけているか、という問いをかけられてその後会話が発展しなかったことがあるんですけど、あるんですけどね?!重ね重ねあれですけど意味分からなくない?!!?!あなたの出したその言葉は、私の髪がその縮毛矯正とやらがかかってい(るように見え)て現在いい感じなのか最悪なのかそういうのしないとヤバいですよって暗に反吐出してるのかただの間もたせなのか?!どういうつもりなのか?!!?!ハァ?!!?!
まぁこの差異が商品営業を含むBAさんの力なのかこちらが美容師さんに対して非協力的すぎるのか単なる個人の相性なのか分かりませんが、ともあれ、未だに美容室との和解は相成っていない。ダメな大人。
 
でですよ。ミルボンです。名前と評判は聞いたことがあったのですがそれこそ美容室専売とのことで手を出すというか、足を踏み入れるに至っていませんでした。が、秋のこと、ちょっとした悲劇に直面し髪と顔をどうにかしたいという思いが募り。端的に言えば自分の写真写りの悪さにショックを受けただけなのですが、いやでも、自分の目で鏡越しに見たものより写真に縫い止められたその姿の方が現実じゃないですか。今日はちょっとまともにナリが完成したぞーと思って意気揚々と出歩いていたらその後に嘲笑レベルの現実に気付くのって相当しんどいじゃないですか。
そこでまだ客観的な人の手を頼りにいけてないのがダメなんですが、ともかくも情報集めをやりなおして、買おうと思えば買える、っていうか普通にアマゾンで買える、というところまで行き着きました。問題が解決しないのは、解決法がないからじゃなくて、解決法を知りに行かないからなんすよね…たいていのことはね…。
 
結果、今使って3ヶ月ほどになりますが、なるほど確かに違う。濡れた髪につけてから乾かすという使い方なのですが、乾かした後こんなにむわってボリュームが出た己の髪をいまだかつて見たことがない。まぁそれも、「よいものを使って治そうとして」シャンプーやドライヤーの工程を丁寧に扱おうとする気持ちが多少なり発生して寄与しているのかもしれないし、まだまだ自分の目の錯覚かもしれません。それでもまぁ、自分に対する解像度が上がって、気に留める点を意識できて変えていけるようになる一途と思えばぎりぎり及第点なのではないでしょうか。願わくは。
 
しかしまぁ顔面についてもそうだけど、私はベテランあんこ炊き職人とかではないので日毎の仕上がりの差の原因がどの工程にあるのか、温度とか湿度とか外的環境にあるのか分からずコントロールが全くままならない。職人。さういふものに…わたしはなりたい…。
とりあえずは、自分の髪が少し冷たく湿った上等な筆の穂先みたいな手触りになったのと、あとはとにかく、日中に前髪が濡れわかめにならなくなっただけでも今はうれしい。
 
ミルボンは全10種類あるとのことで、私が買ったのはリンバーセラム。こちらのサイトがとても参考になりました。
 
 
・KENT ヘアブラシ

 

 

髪の件つながりで、これはまだ12月に買ったばかり。その前にツイで「ヘアブラシ界のロールスロイスと称されているメイソンピアソンというブランドのブラシを知って(俗称ではなくてほんとにリーフレットに書いてあった…)、帝劇1回分みたいな値段におそれおののいてさすがに!さすがにそちらには手がでなかったのですが、それを機に、ブラシを変えるという選択肢に行き当たった。すごいね…世の中にはなんでもあるね…。
比較してどれがいいこれがいいと言えるほどの体感を備えてきてはいないのですが、ブラシ1本でも良いものに変えると変わるんだなぁー、というのは分かりました。絡まないだけでノーストレス。今度ヘアブラシクリーナーを買ってきて、ちゃんと手入れしようと思います。
ほら。ここから飛んで値段見てくださいよこれ。ほんとに櫛かよ。

 

メイソンピアソン(MASON PEARSON) ハンディミックス ダークルビー(クリーニングブラシ付)

メイソンピアソン(MASON PEARSON) ハンディミックス ダークルビー(クリーニングブラシ付)

 

 

 
 
 
 
・fondan 着る毛布
少しやることのために夜まで起きていたいのだけど、毎晩暖房をつけっぱなしにするのは電気代も乾燥もなぁ、と思っていて探した。お手軽価格だったところ、秋に観た『おっす!川中島ッ』楽天チケット扱いだったのでそのときのポイントでさらにちょっと値引きになった。ありがとう川中島おかげで今とてもあたたかい。
さすがに底冷えするような寒さには太刀打ちが難しいですが、首元まで閉まっているので、ブランケットの隙間を手繰って外気を避ける動作がなくなったり(その度に少しでも体に触れていた箇所がずれて冷たさを感じるのって、地味にストレスではないですか)、トイレとかで部屋の外に出るのが億劫でなくなったり、というちょっとしたことがありがたい。
柄物は欠品が多く、私の図体なぞチャイロイクマとしてリラックマシリーズに並べられてしまうのでは…と心配しながらブラウンを頼みましたが、届いてみたら木のボタンが合ってかわいかったのでかなり満足でした。はげしいいかり肩が目立ってなんだかロシア人のコートみたいだが(概念)。着方は旅館の浴衣みたいな感じで、161の私でベルトがほどけるとちょうどぞろびいてしまうくらいの丈なので、だいたいの人はMサイズで良いかと思います。みんな毛布に包まれようぜ。
あと、レビューを書いたら特典ということで同色のネックウォーマーをいただきました。やったー!まさか年内に届くとは思わなかった。ありがとうございます。
 
 
 
おまけ
UHA味覚糖 グミサプリ

 

UHAグミサプリ ビタミンC レモン味 スタンドパウチ 40粒 20日分

UHAグミサプリ ビタミンC レモン味 スタンドパウチ 40粒 20日分

 

 

上記が三選だとすると小粒なので次点といったところですが(といっても三選にしても全部2~3000円代なのでそう大きな買い物ではない…)。去年思ったのは「大層なことをするよりとにかく続けたことの方が効果がある」ということで、自室での運動も踏み台やラジオ体操などもなかなか続かず、結局一番続いたのは腹筋で上げた足先で1~15を辿るというやつでした。運動が続かない原因、こと私に限っては「ツイ廃である」ということに尽きるんですよ。元々見る予定のアニメ見ながら踏み台しても、3分でいいからって体操しても、携帯が手元にないと落ち着かない。重症。反して例の腹筋だと、上半身は寝転がったいつものままでいいんですよね…。まったくクソみたいな理由ですが、それでも続けた効果か多少体重も落ちたので、それが正義なのだと思うことにしてます。
で、サプリ。元々肌が弱いのもあって(皮膚科にも行ってますが)ビタミンを取ろうと思っていっとき錠剤飲んでみてたんですが、薬と似たようなもので別に楽しかないし、習慣として根付かなかったんですよね…。先日の大掃除でとうとう処分した。という辺りで始めたのがこれ。UHA味覚糖だし、ビタミンCならレモン味で間違いなかろうということで買ってみたらほんとに普通のおいしいグミなのでめっちゃ続いてます。見た目は銀杏。下手すると多めに食べそうになって良くない。もしかしたら、コスパとか効能的にはもっといいものが世にはあるかもしれないけど、ひとまずは「続くことが正義」をモットーにこれを食べていきます。
ちなみに、母が元々DHAをサプリで摂っているのでおいしいんならこれ買ってあげようかな~と思ってレビュー見たら「これだけは魚が勝ってクソまずい」ってめっちゃ書かれてて笑った。
 
 
 
 
 

◆見てよかったもの

・『プリパラ』 『アイドルタイムプリパラ

 

www.tv-tokyo.co.jp

プリパラ、説明文が3期のになってるのでいきなりなんのこっちゃって感じですね。あとできるだけ配信サイトに繋げようと思ったらあったりなかったりでぐだぐだになってしまった。
7月に試験が終わって(落ちました)(ので受験生継続です)、そこから溜め込んでいたアニメを一気にばーーーっと見ました。唯一、以前から継続していたのがプリパラ。今総括してプリパラについて何かを言えることってなくて、私にとっては「リアルタイムで彼女たちの時間を追いかけられたこと」が大きい。前職の隙間、初期の放送時間が土曜午前じゃなかったらあの日のらぁらとみれぃに、ま~ぶるMake up a-ha-ha!に出会えてなかったかもしれない、そうしたら私の3、4年はもっとだいぶ、無味乾燥としたものになっていたかもしれない。彼女たちがチームを組んで、ステージに立って、誰かと向かい合って誰かを助けて助けられて、キャラのどぎつさに辟易したこともあったりしたけどそれでも、一貫して「み~んなともだち!み~んなアイドル!」という夢を掲げていく姿は楽しかった。見終わったときにアイドルタイムはらぁらたちが神アイドルになったあとの一つの奇跡の結実という話をしたけども、少し時間を置いてから追いついても、プリパラは輝いていた。「プリパラは好きぷり?」という問いに、「大好き!」という答えを今でも返したい。
 
 

・『DEVILMAN crybaby』 『キルラキル
てっきりリメイクのオリジナル作品だと思い込んでふせったーまで使って感想打ってたら普通に原作準拠で、「栞さんデビルマン履修してなかったんだなぁと思ってツイ見てました」「デビルマンの結末、犯人はヤスくらいみんな知ってるものと思ってた」と友人に言われた件。
デビルマンについてはネトフリオリジナル配信作品で、配信当初の1月くらいかな?に流れてくる感想ツイで、いや、絶対私好きなやつやん…と思っていたら案の定だった。キルラキルもそうですが、わぁい、栞けれんみ大好き。いやそれもう死ぬやんみたいな誇張されたアクション超好き…。
あとはまぁ、「美形クール系の男が熱血純粋荒くれ系主人公(種々オプション)にやたら執着している」セットの類型とか(スクライドで育ってきたので…)不良っぽい女の子とか(スケバン刑事で育ってきたので…)が元々好みどストライクなので、明と了とか流子ちゃんとかもうキャラクターがめっちゃ好きなのはあるんですが、通して見るとどちらも「異能・異形+人の心」なんですよね。もちろんモチーフとして多くの物語で語り尽くされてきたものかもしれませんが、「自分が自分の意のないところで力を得てしまった」ことで生まれる物語性って大きいと思ってて、それは前にコインロッカー・ベイビーズ(初演)の感想で触れたような「兄より大きく成長してしまった身体」とかでもいいんですけど、それでも優しくしたい、優しくありたい、守りたい、守りきれない、それでも自分は己を引きちぎって生きるやり方しかできない、自分は!こう生きていく!!!みたいなのに非常に…弱い…。その分真剣に向き合うと見るのもまた大変なんですが、またそのうち周回したい。
 
 
 
・『トーキョーエイリアンブラザーズ』
この流れで来るとこれも異形+人の心と言えばそうなのだろうか…。というよりかはとっつーと伊野尾さんのー、あと真造さんってあれだな…?『おしゃべりは、朝ごはんのあとで。』に登場した人だな…?という謎の親近感からわりとライトな気持ちで手をつけたら「ま…まさかこんな丁寧につくられた愚兄賢弟ものをここで見せられるのか…?!」という衝撃が大きかった。器用だけれど心の機微は分からない弟と、よく言えば愚直、素直に言えば本当に世俗の知恵のない兄(共に宇宙人)とがお互いにショックを与えながら地球で少しずつ新たに織られていく様、また周りの登場人物がみんないい子たちばっかりで、そういう場所じゃないと成り立たない、運のいい夢みたいな物語だったかもしれないけど、夢を見たっていいじゃないか。良いお話でした。
どうでもいいけど私、とっつーとシゲアキでなんか絡むドラマやってほしいんですけど、日テレさんどうにかなりませんかね。教養で繋がる顔の美しい男たちが、けれど決定的に出自で繋がりあえないところからの愛憎の話。どんなやねん。
 おしゃべりは、朝ごはんのあとで。 2 (ビッグ コミックス)

 

おしゃべりは、朝ごはんのあとで。 2 (ビッグ コミックス)

 

 真造さんは2巻に出てくるよ。

 
 
・『少女☆歌劇 レヴュースタァライト
ミュージカルとアニメーションの二層展開式ということで、夏にアニメが終わった後もライブのディレイビューイング、オーケストラライブ、舞台#2の再演がまだまだ控えているというもりもりコンテンツ。
けれんみという意味でもめちゃくちゃ心踊るのですが(こないだ少し見せた友人に「ケガしないの?」と根本的な問いを受けた…)、やはり三次元の生きている人を担当に、推しにしてきたオタクには刺さるのではないだろうか。応援するにせよアンチ態勢をとってしまうにせよ、いやもしかしたら推すという形で自分の望む姿と道行きを押し付けてしまうことの方が根深いかもしれない、誰かを「見て」「消費する」ことの罪深さをキリンの姿で最後私たちは自覚的にまなざしてしまうけれど、その一方で彼女たち舞台少女が互いに撃ち合う剣戟できらめきを再生産すること、それこそを自分の望みとして確かに自分の足で舞台に立ってくれていることの尊さは計り知れないのだから。
あとキャラクターがみんなかわいい。一人ひとりもかわいいし、あと「おっ~?こういうキャラの組み合わせ私のヘキに刺さるやつだなっ~?」とか呑気にしてるとあちこちから爆風が来るからな。覚悟決めとけよ。私の推しはまひるちゃんです。レヴュー曲『恋の魔球』のさぁ、「運命」の「い」よ。こんなかわいく「い」が口から出ることある?私が恋に落ちた。いやほんとに。ほんとに!!! キャストの岩田陽葵(はるきと読む)さんもマジでかわいい。
6日までつべで全話公式無料配信やってるしレヴュー曲ダイジェストはずっと公開してるからみんな見てください。
 
 
で。
二層展開式というのはミュージカル先行のこのコンテンツにおいてキャストたちがそのままアニメ版の声優も務め、要は媒体を通じて中の人が一貫しているということなんですけども、これって、ヒプマイとかでも同じことだと思うんですよね。「男性声優12人によるラッププロジェクト」という冠もあるだけあって初めから彼らが顔出ししてコンテンツは展開しているし、アニメにこそなっていないけれど二次元のキャラ絵を想起させたCDにおいてもライブという生身の場においても、中の人が一貫している。それがどういうことかっていうのは「二次三次双方からの好きの相乗効果」とでもいうか。もちろん一丸となってつくりあげられた「キャラクター」も好きの対象なんだけど、そこに紐付いた「中の人」について得られる情報や媒体が今ってものすごく多い。前にブログで挙げたユリイカ・アイドルアニメ特集で、「テレビという時間的制約のある枠に入ることができないアイドルにも活躍の場が出来、」っていう文があってそれに対して、いやー、そうは言っても端的な「売れる」って結局テレビでしょ、テレビがないと受動層に届かないでしょ、などとぐちぐち言ってたんですが、別の見方をすれば、深掘りするタイプの人間には今こんな好環境ないわけですよ。各々ツイッターとかインスタとかやってるし、スタァライトではつべでの放送局(各回1時間以上、キャストが4人ほど登場していろいろな企画をする)があるしヒプマイではニコ生がある。どっちも、キャラを透かしたような、それでもキャストの元来の人となりも見せるような場が用意されていて、しかも本人たちがとても楽しそうにいるものだからどんどん好き!となってしまうし、そこからまた余計にそのキャラクターが好きになってしまう。さっきの引用文、あの後は「ファンもまたテレビを介さない情報収集によって現場に赴くことが可能になった。こうした状況で、アイドルをめぐる生態系がそこかしこで出来上がっている。」って続くんですよ。オタクって箱推し好きだしさ…1人でももちろん好きだけど、素の関係性を与えられると加速度的に楽しみを見いだしてしまう。楽しい!好き!はぁー好き!で私というネズミは勢いよく滑車を回してしまうのだ…。
 
また中の人に興味が湧くとそこから別の仕事への興味に繋がっていくわけで、神尾さん*1のナレーション目当てに『世界はほしいモノにあふれてる』そのものにはまった友人がいれば、小泉さん*2主演の舞台チケをとろうとする友人もいる…。私はといえば木島さん*3の別配信番組をこないだとうとう見てしまって笑い声を聞いては「かわいい…」と零していた。木島さん、私の中では久々に年上の方なんですけど、なんでしょうね、あの「えっ…この人…この人を守らなきゃ…」みたいな気持ちが湧くの…いや当たり前ながら私などより全くしっかり仕事されている成人男性なんですけど…。ちなみにキルラキル1話には木島さんがモブで出ていて、そのことを知らなかったのに声で気付いてしまったときは自分にビビった。エンドロールで答え合わせをした。まどマギの新編にも出ているらしいので(劇場で当時見たときはそもそも存じ上げなかった…なんたる…)、今度木島チャレンジをしたいと思っている。
 
 
 

◆行ってよかったもの

・草ケ谷遥海×サカタケント ツーマンライブ
年が明けたのでもうアーティスト名義は「遥海」ちゃんですね。10アクの現場はだいたい感想を残しているというのもありますが遥海ちゃんのお話で。
歌に圧倒される、という経験を初めてした。遥海ちゃんという人は私が一度ライブで見た程度の理解では、喋り出すとうにゃうにゃした猫みたいな、小さくて、かわいくて、かわいらしい人だったのだけれど、1曲目、背後から逆光のように照らされて影のまま歌う姿、それから白く灼くようなライトに堂々と浮かび上がってマイクに、その先に声をぶつける力、その途方もなさに、思わず涙を流してしまった(後々セットリストを見ると、映画『グレイテストショーマン』の『Never Enough』だったとのこと。洋楽に疎い…)。
ツーマン、というのは良い契機のようなもので、未熟な好奇心で行ったものでも不意に頭を殴られる経験をしてしまう。これは決して悪く言いたいのではなくて、準備をしていってその通りに感動が得られて満足、というものもあるけど一方で、「不意打ちの衝撃」に出会いたい欲っていうのもあるじゃないですか。目撃、とか体感、とかとも言い換えられるかもしれないけど。それを受けたのが、去年の遥海ちゃんでした。
 
あとほんとにどうでもいいんですけど、遥海ちゃんとマイクの場を体感して、あっ、マイクってこうやって使うんだって距離感が分かって、自分の歌い方が変わったんです。何言ってんだって当社比の話ですけど。外的に人が聞いて差があるとは思わないですけど、あぁ、こうやって前に出せばいいのかぁって、自分の中では確実に変わった。別に歌手になるでもないただのカラオケ好き芸人ですが、声の出し方と、言葉という肉について考えるようになった。それも、あの現場に行ってよかったなぁーと思う一端です。
 



先日10神ACTORから慎さんと坂田氏と健登、赤坂BOY安くんも選出されて遥海ちゃんも加わったソニーミュージックエンタテインメントのユニット、Love Harmony's, Inc.が始動しました。はぁぁぁぁ歌上手くなりたくて滂沱の涙。
今年も10神ACTORもよろしくね!!!
 
 
 
 
 
 
さて2018年、駆け込みつつよいものに出会いました。今年もがんばりましょ。




*1:ヒプマイ・毒島メイソン理鴬役、神尾晋一郎さん。一度81プロデュース公式ページの人を食ったボイスサンプルを聞いてほしい

*2:スタァライト・大場なな役、小泉萌香さん。九九組最終兵器と呼ばれ、先日のライブのレヴュー曲レポツイでは魔王という声も飛び出した

*3:ヒプマイ・伊弉冉一二三役、木島隆一さん。インタビューなど読むと本当に真面目な人なのだなぁと思って好き…ってなる…好き…

起きて半畳寝て一畳、己の日々など一片の上

お題「手帳」

あんなことを書いていたらその矢先にまたイヤリングを、しかも東京の地に落とした。最近当地にもできた貴和製作所チェコビーズが綺麗でその色に頼っただけの5分でつくったフープだったが、水色というよりも水のように薄まった色と透過した黄色のビーズを連ねた取り合わせを朝のようだと思って用意したものだからわりと気に入っていた。1ヶ月の命である。右につけることにしていた、ひとさじだけ濃いピンクが入った方は残っている。犬が西向きゃ尾は東、体を前に向ければ右が東な気がするものでなんとなくそう決めていた。さてどうしようか。

 

今回のスロットお題は「手帳」だった。先日友人で集まったときにうち1人が出したのはパスポートサイズだったかそれより一回り違うか、ともかく「小さい」と言われていたのだけれど、今私が使っているのは更に小さい、と声を上げたがそのとき携帯しておらずまぁその時点で見せるほどでもなかった。公式ページを見ると95mm×95mm。体感的には四折りのハンカチ程度だ。塩ビのカバーの下に、数年前に買ったミドリの紙シリーズの封筒が口を折ったらちょうど収まったので表紙にしている。濃いピンクの百日紅柄だ。あのちりめんみたいに縮れた小さな花が咲き盛っているのが好きで、この色が一等好きだ。四季と新春ごとに新柄を出すシリーズで去年か今年かようやく百日紅が復活したが白で落胆した。もう今年はあと2ヶ月で終わるらしいというおそろしい日付にもなったが、ガワは盛夏のまま来年を迎えるのだろう。第一季節ごとに変えるなどしてしまったら、買い損ねた雪の結晶を求めて訪ね歩かなくてはならなくなる。

話を戻して手帳である。学生時代の方が使いこなしていたかもしれない。ここ数年は、プロジェクトを立ち上げては早々に頓挫していた。上下にインデックスが分かれていて、仕事とプライベートでページが使い分けられる2way手帳。何種類もあるノートと専属のカバーを組み合わせて作る手帳。たしかマンスリーとガントチャートとあともう1つ、リストが書きやすそうなものを買い揃えた。初めの1ヶ月ほどは張り切った跡もあるが、次第に鞄から放り投げてしまう。続かない。例年のようにほぼ日手帳やらMDノートやら、手帳強者たちの特集を見ては我も我もと夢を見追従するが、まぁ、平たく言って、身の丈に合っていないのである。私は努力目標を設定すればそこに見合うように己を奮わせる、目を輝かせられるようなタイプの人間ではないということをこの数年で自覚した。がんばりたくもない。何か言われようがそこのあんたが気力をくれるわけでもなしただ生きるから放っておいてくれという次第だ。そうして楽になった身の内を思うと、これで十分なのだ。マンスリーの日毎で割った1マスは1cm強×2cm強か。そこには1日の予定を3つ4つも書けばいっぱいになる。そこに遊びの予定を水色で、進めた問題の数を濃いピンクのペンで、ページに1つでもシールを貼ればそれは枠をはみ出た書き込みぶりで、ものすごく充実したような紙面が出来上がる。大きな余白を使いきれずに放るより、私はよっぽど満足だ。

 

しかしハイタイドの「レプレ」という手帳が異様に手触りが良かった。ミドリの「日の長さを感じる手帳」の夏至冬至を並べたときの美しさには身が震えた。メモに、来年使いたい手帳として永岡書店、と残っていて、記憶を頼って検索したところ「結果を残す人のビジネス手帳」らしかった。私はいつ懲りた真人間になるのだろうか。

君に歌え僕に歌え見えぬ道はただ往け――10神ACTOR歌詞分析其の一

 

以前オタクの間でたくさん上がっていた「歌詞分析」の記事。自分の好きなグループが私たちに渡してくれる歌にはどんな言葉が多く使われて、どんな物語を描いているのか。そこからどんな思いを歌って、まばゆい景色を映し出しているのか。いかにも「らしい」と思うものもあれば、見渡すことで見えることもある。それらの記事を読むのがとても面白かったので、10神ACTORにハマってからはいつか自分でもやる!と思っていたのでした。
2018九州ツアー真っ最中、そうして2019年夏の福岡サンパレスさえ決まったこのタイミングで、微力だろうがなんだろうが彼らのことを知らしめたい! 言って回りたい!! 叫んでやりたいですね!!! という気持ちでいやようやく筆を(?)とった次第です。
 
 
 
~ふとどこかからこのブログに迷い込んできてくれたあなたへ~
やったね! 今から10神ACTORっていうとびっきりのいいやつらを知れるなんてあんたマジでついてるぜ!!!
囲い込み漁の網に入ってきた初見の方もいらっしゃるかもしれないので簡単に彼らの説明を。
10神ACTORは、2014年、福岡の日テレ系列局FBS制作の番組オーディションから誕生した男性10人組の総合エンタテインメント集団*1ところで読めますか。
\僕たち!てんじんあくたーです!/
地元民以外が果たして天神と博多をどれだけ区別しているのか分かりませんがてんじんです。*2
14年末放送の全員出演のSPドラマに始まり、その後も冠番組、舞台、ライブ、朝のお天気アシスタントやリポーター、他種々地元のイベント等多岐に渡って活動中。上述の通り現在は九州ツアー中、来年は既に、2月に東京・大阪・福岡を回る舞台公演(メンバー5人が出演*3劇団番町ボーイズ☆との共演。昨日ビジュアルが出ました!やったー!*4 )及び8月16日の福岡サンパレスライブが決まっています。すごくない?!えっすごくないサンパレスですよ?!!?!
現時点で上は27から最年少19歳なりたてまで*5、地元に根付きながら成長しながら、飛躍を続けている青年たちです。
 
あと細かいことは見た方が早いのでこの辺り見てください。(ここまで書いた意味)
みんなこういうわやわやしてるの好きでしょ
  
キャラクターが掴みやすいのはポンコツ闇鍋
 
えっ最後に告知してた舞台『ピボットターンで振り向いて』はラブコメって女の子はどうするのかって? 私の推しがやりました。

f:id:bookmared:20181103100816j:plain

ちゃんとした写真が残ってない。いや闇写じゃないですちゃんと雑誌に載ったやつですやつなんですけど
 
熱くてバカみたいで泣けてしまういす-1
 
 
他過去の番組はYoutube公式チャンネルで見られます。見て。ほんとはここでライブ映像貼りたいから運営さんはライブ映像も世に流してください
 
あとまぁ拙ブログも参考になれば
 
 
 

◆前提の話

こっからちゃんと本題しかし前提の整理だよ!!!
初っぱなから恣意的な感じもするのですが、今回は楽曲をA~D群に分け、うちA群を対象として分析を行ないました。群の分け方はこんな感じ。

f:id:bookmared:20181102125927p:plain

f:id:bookmared:20181102125936p:plain

 
A~Cが10神ACTOR名義でうちCはユニット及びソロ曲(ユニットでもソロでもそれぞれにfrom 10神ACTORとついてるのがとても好き)。サカタケント(1人ではなく2人です)は別個にシングルアルバムも出しているのでD群として分けています。
ではAとBの違いは何かというと、Bが福岡!っていうか愛しとるばい!!!っていうか君ととんこつ麺みたいな恋愛がしたいっていうかまぁわりと恋の歌っていうのをこっちにまとめた結果です。えっなんですか?パクチー・ヘブンですか?パクチーに身を捧げたあまり世界に広めたい歌だから間違ってないんじゃないですか?
 
そうして今回取り扱うA群が、彼らのまばゆさとか、夢を歌った歌たちだなぁ、という感覚なのです。(まぁ『君と~』と『栄光の明日へ』はちょっと個の絆っぽい面もあるけども)
 
 
ということで対象楽曲はA群の8曲。分析に使う歌詞テキストの用意は、先駆者のブログにはLyrics Masterとかいろいろ書いてあるんですが、10神ACTORさん、うたまっぷとかああいう類いのネット上には歌詞が出ていないので悲しいかなイチから手打ちしました。
運営さんお願いだからどうにか世に広める手段をとらせて。私ごときのブログでも万が一気にかけて興味を持ってくださった方に歌詞の全体像がお届けできない…!あと欲を言えばカラオケに曲入れてください…!(カラオケ芸人の弁) 気にかけてくださった方は言ってもらえれば歌詞送ります。俺は己で広めてやるぞ。
まぁさした嘆きは置いといて、分析にはKH coderを使わせていただきました。テキストマイニング多量のテキストデータから有用な情報を採掘する(mine、マインクラフトのマインですね)分野で使われているソフトです。多機能で視覚的にも面白く使えながらもフリーソフトなのでこれを読んでいるあなたもすぐ分析に取りかかれる。趣味の深追いはいいぞ。
 

 

文章を科学する

文章を科学する

 

 

 
 
 
さて早速。見た目で面白いのはこんなものができあがります。共起ネットワーク。

f:id:bookmared:20181102125639p:plain

これは名詞・動詞・副詞・形容詞の上位に限って取り出した図
丸の大きいものほどよく出てくる語で、線でつながっているもの同士が共起=一緒に現れることが多い、ということになります。
楽曲が分かる方は見てるとなんとなく元の歌が浮かぶかもしれません。例えばど真ん中のオレンジ辺りは『Chase Your Dream』の「止まらず進めば 明かりが差す」によるまとまりでしょうし、右肩の緑辺りは『Dear Friends~未来へ~』の「僕らが生きている今日は 明日のために あるって いつまでも いつまでも 信じているよ」に当たるかと思います。この…この歌詞がめっちゃ好きなんですよ…ウッ…。
その一方で、左肩青の【手】という語は実は複数の楽曲にまたがって現れているもので、【伸ばす】【繋ぐ】【選ぶ】などのいろいろな動詞と連なっています。
 
で。ここで問題なのが、いかんせんサンプル曲数が8と少ないために、ある語が多く出てたとしてもそれはサビを繰り返したもん勝ちってなこともあり、というやつです。いや自分が曲絞ってるせいなのであれなんですが。いやだって♪どうやって~夢を叶えたいか\ラクサラクサラクサラクサラクラ/とか混線したらもう訳分かんない
例えばこれが、先ほどと同じように品詞を整理した上で、出てきた回数の多い語の上位*6

f:id:bookmared:20181102130055p:plain

さっきのネットワークの丸が大きいものと一致しているかと思います。  
ここで3つめの【進む】についてKWIC(KeyWord In Contextの略。指定したキーワードと前後の文脈を一緒に表示する形式で、ネットの検索結果表示でも使われています)を見てみると

f:id:bookmared:20181102130144p:plain

お分かりでしょうか。24回中22回が『Chase Your Dream』サビです。
9つめの【届く】、11番めの【いつまでも】なども同様に偏った状況でした(【届く】も14回中12回が『Chase~【いつまでも】は12回全部が『ディアフレ』)
 
というような事情から、以下ようやく本当に本筋としては、
・語について、単純な出現回数ではなく多くの曲へのまたがりから見える傾向を探
・その語が文脈の中でどういうものと繋がっているかを探る
ことを目標としたいと思います。
 
 
 

◆本題の話

 
先程の上位語を曲ごとにばらしたのがこちら。

f:id:bookmared:20181102131232p:plain

その中で6曲以上にまたがって現れているものをオレンジで、回数に対して広がりが少ないものを灰色で塗っています。
 
また【僕】+【 I 】+【my】のように英語を足した場合がこちら。

f:id:bookmared:20181102132638p:plain

顔ぶれがガラッと変わるということはなさそうですが順位は多少変動。【追いかける/chase】が上の方に来ています。そりゃあまぁ…デビューシングルのタイトルだし…。
 
これらの表を下地に、これはと思った点を追っていきます。
 
 

1.【僕】は僕だけじゃなくて【君】はひとりじゃなくて

いきなりめちゃくちゃ面白いと思うのが、【僕】の現れ方。
一個人、主観的存在の【僕】ではなくて、そのほとんどが【僕ら/たち】という形で現れていることです。(ちなみにA群では【俺】はまったく出てこない。パッと思いつくのはB群『ひたむきチェイサー』かなぁ。)

f:id:bookmared:20181103093025j:plain

\身長俺のが勝ってるし顔もたぶんね?/
 
【僕】のKWICがこちら。

f:id:bookmared:20181102132710p:plain

それこそ繰り返しになりますがサビの計上が多いのは多目に見て…ほら重言と同じだって…何度も言うのは大事さの指標だよ…)
『君と叶えたい夢があるから』『栄光の明日へ』では【僕】の形も多めですが、全体的にこれは【僕ら】の声だと、個の集まりだということを自称するフレーズが想定以上に多いように思います。
『ディアフレ』及び『もっともっと~』はそれぞれ別離からの再会の願いを心にしまう曲、卒業式ソングといったテイストで、当時をリアルタイムで知らない身としては (゜д゜)2、3枚めにしてこんなお別れソングを提示されてファンはどんな気持ちだったんだ…などと思ったりするのですが、ともあれ『ディアフレ』では「僕らのストーリー」が紡がれる。ひとりきりそれぞれの道はそれでも確かにいっとき交錯し、ここから旅立っても「僕たちの約束」「僕たちの未来」はまた繋がるのだと、そういう明日にするために今日を生きるのだと決め、それは僕らが生きている 今日は 明日のために あるって いつまでも いつまでも 信じているよ」という歌詞で総括される。そこには確かに、自分の生を行きながらも支えのように根付く、【僕ら】の結び付きが見えます。『もっともっと~』においても、「目を閉じれば 映る記憶 僕らの影」と思い出=過去を描写しながらも「時が過ぎていっても 僕たちは一緒だよと はるか はるか 遠い日まで」とこの先の日々へ思いを繋げている。
 
その次に少し転換し、共に前に進む集団として【僕ら】を描くのが『フロンティア』『Carry on~』『Zeals』。「僕らは今日も夢見る」「僕らの世界線 描く airship」「僕らは僕らが抱いた 情熱を叫べばいいんだ」。また『栄光の明日へ』でも「栄光の明日へ 僕らは全力疾走」と歌う。
あるいは【僕ら】というのは彼ら10人自身。ですが、時にそれは私たちを共に巻き込んでくれる言葉ではないかと思ってしまうこともある。情熱を叫べばいい、僕も、君もというような。
 
というところで【君】KWIC。

f:id:bookmared:20181102132720p:plain

こうしてみると、「君も連れて行くから」「君もおいでよ」「君も乗せて行くよ」と、『フロンティア』や『Carry on~』では何度も呼び掛けてくれるのが分かる。君も僕らと一緒だと。同じ夢を見て、踊って、はにかんで笑っていようと。
あるいは「君は信じて進めば良い」と送り出されても、君がどうしようもないくらいのピンチも 仲間連れて助けに行くよ」と彼らはそこに軸としていてくれる。この辺りのメッセージは、『ディアフレ』『もっともっと~』の中の【僕ら】が互いに向けた姿にダブるような感覚もある。
 
 __
私ですね。現場で聞く『君と叶えたい夢があるから』がものすごく好きなんですよ。以前のブログでもツアー長崎後のツイッターでもめちゃくちゃ書き散らしたんですけど、言葉は陳腐かもしれないけど、ただ、ただひたすらに、「夢を見ることを諦めないでいいよ」と言われている気がして。聞く度にメンバーと一緒に泣いてしまう。ワンマンで涙のあまり「my life」の声が裏返った馬越くんは伝説。長崎では慎さんも泣いちゃうしさ…!
すいませんネットの海に歌詞が上がってないのでちょっとだけ、ちょっとだけサビを引用させてください。 
 
夢に向かう僕を見ててくれ
きっと君がいれば
何度だってさ 立ち上がれるから
まだしっかりと 誇れるようなもの
この手にはなくても
強く握った その手だけは 離さないから
I believe in my way, my life
 
夢ばかり追いかけてくことを
他人がどう言っても
君の笑顔が 僕を支えてる
まだ真っ白な 未来しかないけど
どうかわかってほしい
君の明日と 僕の明日を重ねたいんだ
 
不器用すぎる僕だけど
君を絶対守ると誓うからさ
 
夢を掴む僕を見てほしい
きっと君がいれば
何度だってさ 立ち上がれるから
まだしっかりと 誇れるようなもの
この手にはなくても
心を込めて… 君のことが大好きなんだ
I believe in my way, my life
ずっと
I believe in my way, my life
 
初めてラジオ解禁でフルで聞いたときは、一対一の歌のような、ものすごく平たく言えば内助の功を求められているかのような…?という印象を持ってしまって違和感があったのですが、その2日後のリリイベで目の前で聞いて、全く印象が変わりました。
この歌って、「君を絶対守ると誓うからさ」って、単なる身上の庇護じゃなくて、「君が夢見ることを守るよ」って言うための歌だと思ってるんですよ。人が夢を叶えられる存在であると示してみせるよ、僕らが夢を叶える姿を夢に見てもそれをきっと叶えてみせるよ、何かを好きでいていいよ、追いかけていていいよ、明日を願っていていいよ、一緒に願っていたいよって。
 
なんというか、夢と現実っていう言葉の対比はあって、俗に言う夢って、実にならない、金(食い扶持)にならない、何かしらの形も残さない、っていうようなものを表すために使われることが多くて、確かにこの曲でも一義的にはそういう意味で使われてるんですよね。「夢ばかり追いかけてくことを 他人がどう言っても」のところとか。だけど、そんな絵空事みたいな扱いじゃなくても、例えば「明日は幸せだといいなぁ」って生きようと思うことだって、何らかの形で明日を願うということが夢であって、その願いを捨てないでいいよ、僕らは夢を見ていいんだよっていう曲だと思うんですよ。それは、何度も繰り返しで出すけど、『ディアフレ』の「僕らが生きている 今日は 明日のために あるって いつまでも いつまでも 信じているよ」と根幹は同じで、「君が生きた今日は消えないよ」っていうようなことであって。それを「夢見ることだ」と言うのであれば、私たちだって彼らが夢見ることを支えたいじゃないですか。見続けていたいじゃないですか。
だから決してそれは片面的に「わーーー10神ACTORキラキラーーー特別な男の子たちーーー」って眺めるものではなくて、双方向に、あぁ、もがいてるね、輝いてるね、生きようとしてる、君はちゃんと明日を願えているねって見つめ合うような曲だと思うんですよ。ほんっとうにこの曲好きなんですよ。
 
なんかもう分析じゃなくてただの心の叫びになってきたぞ…。
 
 
 

2.見えなくともその手は上へ、前へ

ちょっと戻ろう。
先程ネットワークのところで少し出しましたが、【手】は様々な動詞と共起しています。

f:id:bookmared:20181102133110p:plain

これも、前を向こうっていう系統と、君と僕の繋がりを示す系統とあるのかな。前者が「答えを探すと 手を伸ばして」「この手で選ぶんだ」とかで、後者が「手と手 繋ごう」。ちなみにこれが「一緒に行こう」と続く。手をとったからには、君と僕とは共に夢を見ようと。
 
ただちょっと異色なのが、先程わめいた『君と~』での出方で。
「まだしっかりと誇れるようなもの この手にはなくても」
ややネガティブなニュアンスです。
 
ここで一緒に引いておきたいのが【見える】です。分布は8曲中4曲ととりわけ多いわけではないですが、その文脈に一定の傾向が伺えます。

f:id:bookmared:20181102133132p:plain

「何か見える日まで」「一人きりで 何も 見えず 手探りの闇も」「まだ 始まったばかりの 僕らの形 ハッキリ 見えてないけど」
「今はまだ見えてない」という文脈が非常に多いのです。
 
ではこれらの表現が本当にネガティブなのか?というとたぶんそれは違っていて
『フロンティア』ではこんな風に歌います。
「誰もがきっと 先は見えない だから探していくフロンティア」
そう、今の自分に不足を感じるのは、「この手にはまだ何もない」と言えるのは、前を、上を見据えているから。先のことなんて誰にも分かりようがなくて、ただ、ただ今を積み重ねていった先でしか答えは出ない。だから「見えない壁のBuilder」「見えない羽の操縦者」いつだって自分だろう」と掲げ、「周りから 滑稽に見えるくらいでそう 努力と呼べるんじゃないか?」と自分を奮わせる。跳躍の前の助走と踏み切りのように、前へ進むための今だと歌うために。
 
重ねておくと【見る】【見せる】のKWICはこう。

f:id:bookmared:20181102133305p:plain

f:id:bookmared:20181102133254p:plain

【見る】に関しては「あの空に見ていた夢 今もまだ 胸の中 残っている」「見たこともない 明日を探そう」「見たこともない世界 不安もあるけど 僕らならば 超えて行けるから」と、【見える】同様まだ実現していない様相があるのだけれど、「見たこともない」からこそそこには想像以上の自分になれるかもしれない、と期待ができる。「真っ白な未来」をどう捉えるかは自分次第なのだから。

 
なおかつ、それでも彼らは【見せる】。「見せてあげたいよ 連れて行くよ キセキ広げよう」「君に見せる大きな夢」「連れて行くよ どこまでも 栄光の ステージを 見せてあげるから」
それはきっと、見る人と見せる人が双方にいて初めて成り立つ、エンタテインメントの根幹だ。もしかしたらライトの下にいる彼らの中にも不安があっても、一心に「見せる」ことで私たちの中には輝きを残し、それを成したことがきっと彼らの自信の積み重ねになる。
人狼TLPTのときに「やり通せたことで自信になった」というような挨拶が、すごく印象に残ったんですよ。「大きくなる」というのは、広さ=数も確かに客観的な指標になるしサンパレス…サンパレス…?!って実際いまだにがたがたしてるけど、自信を積み重ねる、自分の中の主観的な価値を得て積み上げられる、自分を高められたって自分で認められることも他方でものすごく大事だと思うんですよ。
 
 
また、ここで【明日】【未来】について見るとおおよそ似通った意味で使われてるのかなと思うんですけど、1曲だけ異色なのがあって、

f:id:bookmared:20181102133148p:plain

f:id:bookmared:20181102133201p:plain

それが『Zeals』の「だから この手で選ぶんだ 綺麗な明日よりも 傷ついたって自由な未来を」。2つの言葉は対比されて使われていて、直近でやってくる【明日】を取り繕うよりも、踏みしめる道を重ねて重ねて積み上げていった先の【未来】を手に入れたいと宣言する。これもここまでの、「積み重ね」に通じるかなと思うんですよね。
 
 
もっと重ねて言うと、1回しか出てこないので表には上がってきていないんですが、『栄光の明日へ』の「一瞬一瞬に 僕らは賭けていく」も、案外その象徴だと思います。『栄光の明日へ』は舞台『ピボットターンで振り向いて』でED的に使われた楽曲で、バスケを交えたような振りがかわいいしそもそも舞台とあいまって本当に尊いんですが、そうして音だけで聞いてたとき、ここの表記って「駆けていく」、もしくは言っても「懸けていく」だと思ってたんですね。僕らは全力疾走、という最後のフレーズもあいまって、いつだってひたむきで、全身全霊なんだって。それが蓋を開けたら「賭けていく」ってハァ?!お前何ギャンブルみたいな気持ちを歌わせてんのかこの作詞者は?!ハァ?!とひとりで勝手にめっっっちゃキレてたんですけど、しばらくその問いを寝かせてみて思い至ったんですよね。これはD群サカタケントの自作曲になるんですけど、『負けんな!!』で2人は歌う。「懸命にやっても 報われないのは よくある話」と。でもそれでも、「弱音吐いて 苦しいときも あるだろう だけど まだ知らない 自分に会うため 僕は僕の決めた道を行くんだ」と。
 
前に引いた阿久悠の甲子園の詩で「努力は怠惰で ぼくらの努力を見落とそうとする」っていうフレーズがあって、「賭け」っていうのはそういうことなんですよね。誰もががんばって、もがいて、努力していて、それでもどこかで巡り合わせっていうのはあってそれが必ず報われるとは誰も保証してくれない。実際に打ちのめされたことだってある。
だけどそれでも、僕らは歌うのだと。傷ついたって、自由な未来のために。
 
 
 
 
 
英語を足した方の表を見返してもらえたらと思うんですけど、2つだけ、8曲全部に入ってた言葉ってなんだと思いますか。
【夢】【信じる】です。
 
「描いた通り 君は信じて進めば良い」
「僕らが生きている 今日は 明日のために あるって いつまでも いつまでも 信じているよ」
「コンビニの駐車場で 語り合ってた夢を信じてる」
「迷っていないで 信じたい 未来を」
「信じていて 大丈夫」
「僕らは僕らをもっと 信じて目指したらいいんだ」
I believe in my way, my life」
「必ず勝ち上がってみせる 信じていてほしいんだ」
 
 
繰り返し、繰り返し、君に、僕に語りかける言葉。
そう歌う彼らが、大好きです。
これからも楽しいことが、いっぱい、いっぱいありますように。
 
 

 

 

f:id:bookmared:20181102141242p:plain

f:id:bookmared:20181102141330p:plain

 

 

*1:16年5月に1人加入、17年3月に1人卒業しているため結果現在も10人

*2:天神と博多の話はひいては西鉄とJR(によって終着する周辺都市圏の形成)、商業とビジネスみたいな市政の発展にも絡むので、いずれちゃんと学習してまとめたい

*3:まだ公式アナウンスはないけども、チケットサイトを見る限り福岡公演では残り5人も日替わりゲストとの情報もあり

*4:

*5:間はほぼ年子なのですが、最年長と最年少が同学年2人ずつっていうのがめっちゃ好き。また卒業したさわりょうも坂田氏とは同学年というかほんとに大学の同級生です(学部違い) 

*6:【僕】【君】は初期設定では出てこないので、事前に手動で強制抽出という処置をします