一度や二度の悲しみじゃなくて

だいたい野澤と真田の話をしています

キイロとピンクとグレー

おととい、読みさしだった小説版『ピンクとグレー』を読み直し、それから昨日映画版『ピンクとグレー』を観に行ってきた。例の“62分後”から後については多くの方がそれぞれに感想を書かれているのでそちらに任せるとして、この場ではひとまず62分描かれた劇中劇『ピンクとグレー』に焦点を当てて感じたことを書いてみたいと思う。


「ごっちが特別」だったことが描かれていた小説版に対して、映画版は「りばちゃんが凡人」ということに視点が注がれていたように思う。凡人というのも違う。映画版のりばちゃんは明確に、「クズ」と言って差し支えのない人間だと思う。
なんといっても菅田りばがサリーを襲うところ。あれはない…。あの1シーンひとつで、りばちゃんの人間性の根底がクズのまま固定されてしまった。

というのはまぁ憤り*1として置いておいて。
そうして「ごっちが純度が高い人間で、だからこそ自分との解離に焦ったり一方で守りたいような存在として書かれていた」小説版と比べて「姉を自ら抱えていた面なりカリスマ性はあるにせよ、そういったごっちに対して、あるいは世間一般に対して、大きな口ばかりでプライドも劣等感も大きくて」っていう映画版のりばちゃんを見ながら私が思い出したのは嵐がかつて主演した『黄色い涙』だった。


黄色い涙』は本当に大好きで、公開当時東京にいた私はグローブ座で3回、それから11年に恵比寿ガーデンプレイスで再度上映された際に1回と劇場で見たのだけれど、なんというのか、劇中客席が笑うタイミングというのが同じだな、と感じたのだ。要は、「痛々しいほどに世間から置いていかれている瞬間」を、世間は笑う。

私は栄介さん(ニノ。漫画家としてきちんと労働している)の部屋にダメ人間3人(章一くん/相葉ちゃん。歌手志望、圭くん/大野さん。画家志望、向井竜三/翔さん。小説家志望)がたむろして、っていう酒盛りの場面で*2、酔っぱらった章一くんが泣きながら「やるよ…?ちゃんとやるよう…」っていうところで笑いが起きるのが本当に解せなかった。それは私も努力ができない人間の側だからなのかもしれないけど、突き抜けた努力ができないことを笑われるっていうのが嫌で、言うたらあれだけど、えっみんなそんなSHOCKコウイチの側にいるの?章一くんはそんな笑われる側なの?みたいな。あとね!あとほんと終盤の章一くんがのど自慢に出ててカーン!って鐘が鳴るところで笑いが起きるのもほんと解せないの!あそこ泣くところじゃないの?!!?!ねぇ?!!?!



という個人的感覚はともあれ。それと同じことが出てきたのが、売れてきたゆとごっちと菅田りばが初めて絡みのシーンをできることになり(原作ではそれはごっちの意図や配慮で用意されたものだと明言されている)、現場でりばちゃんがごっちにいつもの調子で挨拶をしようとするも無視され、「おはようございまーす…」と小さく呟いたところだ。確かに劇場は笑っていた。
大人の、社会人としての対応を問えば、確かにりばちゃんの気楽すぎる呼び掛けは場に沿うものではなかったろうが、そこからの撮影シーンはどんどんどんどん、ごっちとりばちゃんの距離を明確にしていく。
端正な裕翔くんの顔も相俟って、そこに「白木蓮吾」として現場を背負い立つ姿の正しさは、力は圧倒的で、自分の力のなさを、小ささを痛感したりばちゃんの目には、堪えきれない涙がたまってゆく。台詞も喉につっかえる。言えない。ここの泣きの演技がアドリブだと知ってものすごく驚いたのだけど(本当に、全編通して菅田将暉の演技はものすごい技量だった)、前述のサリー事件も一旦置いて、これはあんまりにもりばちゃんの、「自分の存在価値の喪失」とまで言える悲しみや悲痛さに同情的になった。
そこから挟まれる再びクズのターン(サリーんちに行ってまた襲いかけたり、数年経って養われてるような辺り)はもう言い募るのもあれだから再度置いとくとして、(劇中劇の)最後、首を吊った白木蓮吾の、ごっちの足元に縋りつくシーンは圧巻だった。その膝下、立派な靴を履いたままの足元を閉じ、二本の足を手にその間に縋る様は、その足を使ってりばちゃんもまた首を吊っているようにも見えた。だから、映画版『ピンクとグレー』、その“ピンク”の間の出来事は、りばちゃんをあまりにクズとして描いたことはともかくとして、終わり方としてはよくできていたのだと思うのだ。




監督が「映画にするにあたっては、男と女じゃ越えられないような、つき合っていた女たちですら嫉妬するような2人の関係を描くか、あるいはそこにもたどりつかない少年の解り合えなかった想い、死を分かっている人間と分かっていない人間の話にするか、どちらか。で、後者だったんだよね。」と語っている以上*3、そこから更に本来のりばちゃん=中島裕翔を更に本来のごっち=柳楽優弥から突き放す必要があった。死んだごっちを姉と絡めることで更に異質な存在に高め、りばちゃんは世俗のできごとと絡めることで自身の卑俗さを種々露にさせた。


これは紛れもなく、りばちゃん=中島裕翔主演の物語であり、これはあくまで加藤シゲアキの『ピンクとグレー』を原案とする二次創作だ。こういった意見は他にも散見されるものと思う。


ただ、あの劇中劇を1本の作品として膨らませたとき、そこに見えるのはやるせない黄色なのではないかと、私は思っているのだ。*4



*1:小説が改変されていることに対してではなくて、男が急に女を襲う描写が差し込まれることなり、その後も女側がわだかまりなさそうに描写されていることなりに対して

*2:潤くんは本当に全うに働いているお米屋の祐二くんです。ほんとに、ほんとにかわいかった…
ノノ*`∀´ルしょういっつぁん、またしょういっつぁんの曲、聞かせてけらや。オラ、章一めろでーのファンですから
おにぎりつくってきちゃう祐二くん…生活に困ってるみんなにお米あげちゃう祐二くん…しかし最終的に、章一さんと付き合ってた時江ちゃん(香椎由宇)と結婚して農家やってるラストシーン。すごい。

*3:劇場パンフレット

*4:あとは、小説ほどさほど「渋谷っぽさ」を感じなかったのも、『黄色い涙』を想起した一因かもしれない。幼少期の団地が横浜から埼玉になっていたこと、どうも中学受験をしたような描写がなく高校生活が非常にふつうの公立高のそれのように見受けられたこと、2人のルームシェア先、あるいはサリーと住む場所の沿線の描写。どれもが比較的「郊外」を思わせるもので、だからこそ小説のりばちゃん以上に「同じところにいたのに」という感覚がそもそも映画版では失われていたように思う。

カウントダウンを繰り返して(前記事「before "Ignition"」日本語版)

というわけで、いよいよ英語部さん企画の本番に参加させていただくことにしました。と言って書いたのが前記事です。以下日本語の原本を置いておきます。
こないだよりも英語ができてない感覚があって、なんでかっていうと句動詞がうまく使えてなかったり語順があんまり腑に落ちてないからです。(そもそも日本語が不自由だと言ってはいけない)
まぁそれでもとりあえず。




ーーーー


カウントダウンという題目に臨むに当たって、まずは辞書をひくところから始めてみた。
ダウン、という語にはやはり下がる、後退するというようなイメージがあるので一度「8、2、1」*1をテーマにしようかとも思ったが、そもそものカウントダウンの項を引いて気が付いた。

countdown [ロケット発射の時などの]秒読み

そう。
カウントダウンとは点火を直前にしての行為なのだ。

暗闇の中飛び出す瞬間を見据える。
震えるとすればそれはおそれではなく武者震いだ。*2
そうして、一瞬で目の前の視界を塗り替えると、そう体現して。



一瞬で世界が一変するようなことなどというのは、現実にはそうそう起こらないだろう。二十歳になれば、三十になれば大人になると思っていた私たちが結局何も変わらないのと同じように。


結局カウントダウン、そうしてそののちの世界を変えるというのは、そのひとりの覚悟によるものなのではないか。


そうして彼らは、幾度もそれを繰り返す。1つのステージごとに、1つのパフォーマンスごとに、一度の帰路ごとに。俺はこうしてやる、俺はこうなってやると決意を掲げ、その毎日を繰り返す。

それを自分に課し、実行し、その姿を見せてくれるから、彼らは尊いのだ。




真田の話をしよう。

「2016年も良いことだらけの年にしたいと思います」

他の方も話に上げていたが、ここで「も」とつけているということは、今年1年は良いことにあふれていた、という気持ちがあると思ってよいのだと思う。そう思ってくれることが、うれしいと思う。


突然のジャニーズワールド投入に始まりDREAM BOYSへの出演もあり、ここ数年になく板の上に立つ時間が多くとれたことも一因かもしれない。
また今年はガムシャラサマーステーションへの中盤からのMC参加、菊地風磨のソロコンサート“風 is a doll?”のメンバーとしての登場もあり、こちらもやはり「他のジャニーズJr.との関わりを多く持った」ということで、これまでと違う変化を感じたのかもしれない。


ただしここで私が特別に言っておきたいのはやはり、他のJr.が成し遂げたわけではないものーー主演舞台の経験ということだ。


私は結局真田を唯一だと思っているから、ものの言い方が偏重していてもそういうものだと思ってほしい。彼が主演舞台を成し遂げ一定の評価を得たことは事実だ。


直近の女性誌で真田はこう話している。

主演舞台「TABU」をやらせていただけたことが大きかったです。素晴らしい役者さんとご一緒させていただき、外の世界で揉まれることの大切さを学ばせていただけたおかげで、役者としても人としてもひとつ抜けられたかなって感じます。*3


日を数え秒を数え明けた2016年に、真田がどこに向かっていくかはまだわからない。

より役者専業に近付いていくのか、とうとう、名前がついてしまうのか。あるいはこのままか。おそらく本人も預かり知ることはできない環境もあるだろう。


ただ。どういった道になったとしても、彼のいく先を応援していたいとは思っている。彼の繰り返すカウントダウンに、彼の繰り返す覚悟に、何度でも付き合って。
そういう2016年にできたら、幸せだと思う。






英語版にも載せておりますが再度。こちらの企画に参加させていただきました。

*1:みすの、ぬんぼ、今の話

*2:「怖いのか」「いいや。武者震いさ」っていうこの流れは昔漫画で読んだ覚えがあって、私の遍歴からいって和田慎二だとは思うんだけど詳細が思い出せない

*3:女性セブン15年12月24日号

before "Ignition"



First, for this theme "Count Down", I look up the word in the dictionary.

I think that the word "down" means "lower" or "decrease" vaguely, so at first I started to put my thoughts about "8, 2, 1" *1 in the shape.

But I found the essence of "countdown".

countdown [countable noun]
; such as a spacecraft being launched, when someone counts backwards until the event happens *2


I found.
Countdown is the act directly before ignition.



In the dark he looks the moment he breaks out the silence in the eyes.
He trembles not for fear but with excitement.
Then, he does his intention he changes our world.




In fact, it doesn't happen so often that the world changes momentarily.
Like us, we don't change much even if we reach at age 20 or 30.


Eventually, maybe we can think countdown and change are born of his determination, can't we?



Then they repeat it again, again and again.
Each stage, each performance, each his way home.

He decides to do, decides to be, and he goes repeatedly.


They give them determination, do and show his act, so they are precious.




Start for Sanada.

I want to have a year full of good things in 2016, too.*3

Like the others also mention, we may think he had a good time this year because there is the word "too".
I'm glad if he thinks so.


This year began with "Johnny's World" suddenly, and he appeared on the stage "DREAM BOYS", so he had much time on the stage than before.
That may be one of reason he thinks he had a good time.


And he appeared on "GAMUSHARA summer station" as MC and Fuma Kikuchi's solo concert "風 is a doll?". (*「風」is the character of "Fu" in his name and has a same pronunciation with "who".).
It may make Sanada have feeling of change.



However, I treat him especially because there is a special event the other Jr. don't have ーー he stared in the stage.



Even if you feel my state is partial, I am I.
I think Sanada is my only earnest, you should let me alone.

It is fact that he achieved his starring stage and got a evaluation. *4*5



In recent magazine, Sanada talked like this.

It was important that I stared "TABU" thankfully.
I worked with great actors and I learned the importance of the hardness in the outside.
Thanks to this, I feel I can improve myself as an actor and as one person.



After we count down every day and second, we welcome the new year, but we can't know where he goes yet.

He specializes on act?
At last, he is given their name?
Or he spends the same time as this year?
Well, maybe there are surroundings even he can't grasp.



Still, I hope to follow him wherever he goes.
With his repeated countdowns, his repeated determination, I go.
I think it is happy if I go like that in 2016.

let him go補足

もうちょっと、原本と英文を比べながらでやりたかったことや思ったことの補足を。
ちなみに和英、英和ともに三省堂のTHE GRAND CENTURYを使用しています。手持ちは02年の第8刷と01年の第4刷。


I just hope I let him go

最初はjust入れてなかったんだけど、最後の段と合わせる意味と、あとこの方が拍が良くなるなと思って。


On November 24, 2015, one of the idol announced his intention to resign.
15年11月24日。ひとりのアイドルが辞意を表明した。

そもそも日付を書き出すところから辞書引いた。なんたる。


Various opinions overflowed twitter.
ツイッター上にはいろいろな意見があふれかえった。

overflow。イメージが分かりやすくて気に入った。


They should not be called 'opinions', but bare 'emotion'.
それらは意見と呼ぶべきものではなくて、さらした感情、そのものが露になったものだろうと思う。


I'm not in the infield for him, so I refrain from mention. (First, I may not have the right to mention at all.)
彼自身のことについては私は語れるほど内野の人間ではないのでそれ以上の言及は控えておく(そういったことを言えば誰に対したって「口出しの権利を誰が認可するのか」という話にはなるけれど)。

内野という言い方は(`^3^´)外野の言葉はシカトする!ハッハー!から来ている。言わずもがなか。しかし前置詞が全然分からん。


However, I took it up because it reminds me of the words that Sanada, my earnest talent, said before.
私がこの話を持ってきたのは、そのときに自担のこの言葉を思い出したからだ。

ここに来て「担当」、という言葉をいかに訳すかが肝だな、と強く感じた。単純に訳すだけで終わればそこでこの記事は一瞥一笑のもので終わるなというくらいに。
結局、切実な気持ちを抱えていることからearnestを引き、単にpersonとかmanとかboyじゃダメだな、私は真田の天賦の努力する才が好きなんだな、と思って、talentを持ってきた。現状、この訳は結構気に入っている。
今回の英語部さんの企画の中で他の方が「担当」をどう訳すのか、とても楽しみである。


"I think the person who can sacrifice himself is hero."
「今オレが思うヒーローの定義は自己犠牲ができる人。」

himselfというここで性別を指定しないといけないのも英語だよね。いや他に言い方があるかもしれないけど。


Sacrifice himself. It's a serious word.
自己犠牲。非常に重たい言葉だ。

マジそれな


His talk continued;
"We are not a little showered with thoughtless remarks. But I think I can overcome them if I keep confidence for efforts and selfrespect that I will surely be an attractive person."
Therefore we may think a hero and an idol are nearly same.
その後の言葉がこの通り続く以上、ここで言うヒーローとは、アイドルと同義だと言って差し支えないだろう。
「この活動をやってると心無い言葉を言われることも少なからずあるけど、でもここまで頑張ってきたことへの自信や最終的に大勢の人を魅了する人間になるんだって自分にプライドを持っていれば、乗り越えられると思うんだ。」

本人の言葉を訳するっていうのも面白いけど大変だね!しかし副詞を入れる位置も分から(二度目)


If an idol is one of jobs, there may be responsibility.
Like a doctor, like a law.
アイドルも一つの職業なのであれば、そこには顧客の需要を満たす義務もあるのだろう。医者が患者を救うように、法が犯罪者を裁くように。


But I wonder how much sacrifice we may demand from an idol, an individual.
だけれど。それは果たして、アイドルという人間である彼に、どこまでの「犠牲」を要求してもよいものなのだろう。

「という」という表現でつまずく。
あとsacrificeは可算としても不可算としても載っていたので、好みの問題で不可算として扱っている。


In short, who "forgives" him? What must he be "forgived" at all? What is he for?
つまりは、「誰が何を許すのか」ということであり、「アイドルは誰のためにあるのか」ということだ。


As for Sanada, I have had such a worry.
真田の発言でいうと、この以前からそうした懸念は持っていたのだ。


"Do you have a dream, don't you? I have.
The first is that I make my debut on CD. I think I must do so for my fan, too."
「今は夢持ってるだろ。オレはあるぜ?いちばんはやっぱりCDデビューだよ。これはね、応援してくれてるファンのためにもしなきゃいけないと思ってる。」

本記事内では、冒頭を野澤さんに宛てていることが分かるように言葉を足している。


The word "too" is hope. He says that his aim of debut is also for his fan.
「も」とついているのが救いか。デビューを目標とするのはファンのためにという言葉を出している。


Like this, he said the words for us, the others, several times.
こうして相手のことを口に出すことは他にもあった。

相手というのを訳すのにうまくいかなくてusと強調のためにthe others(あくまで他人)というのを並べて置いたのだけど、今見れば自己犠牲との対比としてうまく働いているのかもしれない。


I hope you are all fine.
「みんなが元気でいてくれますように」

I hope you all have good things.
「みんなにいい事がありますように!」

I hope I can give you energy! I work hard!
「今年もみんなに元気をあげれるように!がんばる!」

だからallの位置が(以下略)
あとがんばるの訳がwork hardになってしまったのはなかなか刺さっている。


There were the words for us in all of his New Year's messages in 2014.
彼の新年のメッセージのすべてに、私たちのことが
書かれていた。


He gives sacrifice, devotion or duty. Our demands are moderate or excessive. They may depend on our conscious.
Our thinking may be waste.
「犠牲」も「献身」も「当然の責務」も、要求の適度さも過度さも、意識ひとつの違いでしかないかもしれない。
ここで勝手に憂えていることも、本人はうっきうきやっているのかもしれないし、もしくは楽しい気持ちばかりでやっていそうに見えるその裏で、苦悩していることもあるのかもしれない。
結局考えるだけ無駄なのかもしれない。

中段はもう諦めてすっぱりと切っている。


About "Forgiveness", I want to mention the following.
許す、というと、彼のこの言葉選びも一緒に残しておきたい。


Sanada: There were many Johnny's Jr. members in my dream. Then we were told suddenly that our debut was decided.
真田:オレらをふくめたJr.がけっこうたくさんいるんだ。で、「お前たちのデビューが決定した!」っていきなり言われるの

Nozawa: Ah, about your dream. I heard.
野澤:あ~、その夢か!聞いたわ

Sanada: That's right. But I have things I don't tell you yet.
真田:そーなんだけど、まだ言ってないこともあるんだよ

Nozawa:...What?
野澤:…へっ?

Sanada: I was glad to hear that. But, including us, the members of "Baka-Leya" and the pairs as symmetry are all separated. Then two groups were made.
真田:デビューの話はうれしかったんだけど、オレらをふくめ、あの"バカレア"のメンバーも、いままでシンメで組んでたヤツらも、全部解体されて2組グループが作られたの

引用冒頭と合わせて、ここで受動態を使えたのがいかにもという感じでものすごく満足している。
あっしくったseparatedの前現在形のままやがな


Nozawa: Uh-huh.
野澤:うんうん

こっ…ここの野澤の相槌が好きで…私はどれだけ咽び泣いたら…


Sanada: But only one of them could make a debut... (Sanada glanced at Nozawa.)
真田:でも、結局1組しかデビューできなかった…っていう(と、野澤をチラ見)


Nozawa: I was in the group that couldn't make a debut, wasn't I?(Smiled bitterly) But this is the dream, so it's hard to complain. I excuse you because you don't look pleased!
野澤:ダメだったほうにオレがいるんだな?(苦笑)でも、夢なだけに『なんだとー!?』とも言いにくい。それで喜んでるわけじゃなさそうだから許す!

ほんとに、本当に、「許す」ってすごい言葉じゃないですか。ここで真田が見せた弱さ自体を受け入れてるんですよ。許してるんですよ。こんな男尊すぎやしませんか。真田の傍らに野澤がいてくれたことが、尊すぎやしませんか…(咽び)


Unfortunately, when our personal feelings can't forgive someone - unfortunately, him - , even so, will he forgive his way?
Please, I just hope everyone is happy. Needless to say, you are.
もし私たちの私情が彼を許せないと思ってしまうような時が来たとき、それでも彼は彼の選択を笑って許してくれるのだろうか。
ただ。どうか、みんなが幸せであるようにと。それは、あなたも。

だからまぁ、ここで言う「彼」っていうのは彼のことだし、ここで言う「あなた」っていうのも、そう、奴のことなんです。

あなたが自由でありますように(前記事「I just hope I let him go」日本語版)

昨日、突然全英文の記事「I just hope I let him go」を上げた。別に英語話者のオタ友ができたわけでも、野澤真田のことを学会で発表する機会に恵まれたわけでもない。というかそんな状況にこの英語力で挑んでたらやばい。

今回こんなことをしてみたのは、ゆりかさんの「ジャニヲタ文芸部×英語部コラボ企画」に参加させていただくためだ。

ゆりかさんは、「ジャニヲタ英語部」主催を始め「ジャニヲタ合唱部」などにも携わっていらっしゃる非常に精力的な方で、私がゆりかさんのトラジャ記事をツイッターで呟いたのがきっかけで親しくさせていただいている(と私は思っています…よ…!)*1


まぁコラボ企画の詳細は上記の引用に任せるとして、
企画では題目も決まっているのでそもそもそこに合う記事から考えなければならないけども、いきなりそこに乗り込むのも結構無謀や…!ということで、まずは練習をしてみることにしたのだ。
結論、すごく面白かった。
シニフィアン(ざっくり言えば音とか文字)とシニフィエ(ざっくり言えばそのものや概念)の結び付きが恣意的である以上、ある語を別の言語に直そうとすればまたその語がその言語の中で結び付く範囲を確認しなければならない。例えば今回の記事では「許す」という言葉をキーワードにしたかったのだけど、これを英語にしようとして和英辞書を引くと出るわ出るわ複数の語彙。それらの中から自分が意図したい意味に合うのはどれなのかを確認するために、今度は英和辞書で引き直して例文を辿る。そういった作業を繰り返して、ひとつの語に含まれた意味を掘り下げて気付いてゆく流れが、すごく楽しかった。


と前置きは一旦この辺りにしておいて、昨日の記事の元の日本語原稿を載せておきたいと思う。
英語だと読みづらいのもあるだろうし、あとはそもそも私の英文が間違っている可能性が大なので、こういうこと言って(るつもりだっ)たんだよ!というのがお見せできればと思ってですね。はい。

というわけで、ここからが原本です。



ーーーー

15年11月24日。ひとりのアイドルが辞意を表明した。
ツイッター上にはいろいろな意見があふれかえった。それらは意見と呼ぶべきものではなくて、さらした感情、そのものが露になったものだろうと思う。

彼自身のことについては私は語れるほど内野の人間ではないのでそれ以上の言及は控えておく(そういったことを言えば誰に対したって「口出しの権利を誰が認可するのか」という話にはなるけれど)。
私がこの話を持ってきたのは、そのときに自担のこの言葉を思い出したからだ。

今オレが思うヒーローの定義は自己犠牲ができる人。*2


自己犠牲。非常に重たい言葉だ。
その後の言葉がこの通り続く以上、ここで言うヒーローとは、アイドルと同義だと言って差し支えないだろう。

この活動をやってると心無い言葉を言われることも少なからずあるけど、でもここまで頑張ってきたことへの自信や最終的に大勢の人を魅了する人間になるんだって自分にプライドを持っていれば、乗り越えられると思うんだ。


アイドルも一つの職業なのであれば、そこには顧客の需要を満たす義務もあるのだろう。医者が患者を救うように、法が犯罪者を裁くように。

だけれど。それは果たして、アイドルという人間である彼に、どこまでの「犠牲」を要求してもよいものなのだろう。

つまりは、「誰が何を許すのか」ということであり、「アイドルは誰のためにあるのか」ということだ。


真田の発言でいうと、この以前からそうした懸念は持っていたのだ。

今は夢持ってるだろ。オレはあるぜ?いちばんはやっぱりCDデビューだよ。これはね、応援してくれてるファンのためにもしなきゃいけないと思ってる。*3

「も」とついているのが救いか。デビューを目標とするのはファンのためにという言葉を出している。

こうして相手のことを口に出すことは他にもあった。

「みんなが元気でいてくれますように」

「みんなにいい事がありますように!」

「今年もみんなに元気をあげれるように!がんばる!」

彼の新年のメッセージのすべてに、私たちのことが書かれていた。*4*5


「犠牲」も「献身」も「当然の責務」も、要求の適度さも過度さも、意識ひとつの違いでしかないかもしれない。
ここで勝手に憂えていることも、本人はうっきうきやっているのかもしれないし、もしくは楽しい気持ちばかりでやっていそうに見えるその裏で、苦悩していることもあるのかもしれない。
結局考えるだけ無駄なのかもしれない。


許す、というと、彼のこの言葉選びも一緒に残しておきたい。

真田:オレらをふくめたJr.がけっこうたくさんいるんだ。で、「お前たちのデビューが決定した!」っていきなり言われるの
野澤:あ~、その夢か!聞いたわ
真田:そーなんだけど、まだ言ってないこともあるんだよ
野澤:…へっ?
真田:デビューの話はうれしかったんだけど、オレらをふくめ、あの"バカレア"のメンバーも、いままでシンメで組んでたヤツらも、全部解体されて2組グループが作られたの
野澤:うんうん
真田:でも、結局1組しかデビューできなかった…っていう(と、野澤をチラ見)
野澤:ダメだったほうにオレがいるんだな?(苦笑)でも、夢なだけに『なんだとー!?』とも言いにくい。それで喜んでるわけじゃなさそうだから許す!*6

もし私たちの私情が彼を許せないと思ってしまうような時が来たとき、それでも彼は彼の選択を笑って許してくれるのだろうか。
ただ。どうか、みんなが幸せであるようにと。それは、あなたも。

*1:ゆりかさんは松本幸大くん担さんです

*2:P1506

*3:D1302

*4:上から順にW誌、D誌、P誌。いずれも1401

*5:ところでずっと真田のやつばっかり見すぎていて今気付いたのだけど、P誌の野澤さんメッセージには「I hope you will have a great year」と書いてあった。なぜ…!なぜお前もがんばった英語…!

*6:D1302

I just hope I let him go


On November 24, 2015, one of the idol announced his intention to resign.
Various opinions overflowed twitter. They should not be called 'opinions', but bare 'emotion'.

I'm not in the infield for him, so I refrain from mention. (First, I may not have the right to mention at all.)
However, I took it up because it reminds me of the words that Sanada, my earnest talent, said before.

"I think the person who can sacrifice himself is hero."


"Sacrifice himself". It's a serious word.
His talk continued;

We are not a little showered with thoughtless remarks. But I think I can overcome them if I have confidence for my efforts and selfrespect that I will surely be an attractive person.

Therefore we may think a hero and an idol are nearly same.


If an idol is one of jobs, there may be responsibility.
Like a doctor, like a law.

But I wonder how much sacrifice we may demand from an idol, an individual.

In short, who "forgives" him? What must he be "forgived" for at all? What is he for?


As for Sanada, I have had such a worry.

"[talking to Nozawa] Do you have a dream, don't you? I have.
The first is that I make my debut on CD. I think I must do so for my fan, too."

The word "too" is hope. He says that his aim of debut is also for his fan.

Like this, he said the words for us, the others, several times.

"I hope you are all fine."

"I hope you all have good things."

"I hope I can give you energy! I work hard!"

There were the words for us in all of his New Year's messages in 2014.


He gives sacrifice, devotion or duty. Our demands are moderate or excessive. They may just depend on our conscious.
Our thinking may be waste.



About "Forgiveness", I want to mention the following.

Sanada:
There were many Johnny's Jr. members in my dream. Then we were told suddenly that our debut was decided.

Nozawa:
Ah, about your dream. I heard.

Sanada:
That's right. But I still have things I don't tell you yet.

Nozawa:
...What?

Sanada:
I was glad to hear that. But, including us, the members of "Baka-Leya" and the pairs as symmetry were all separated. Then two groups were made.

Nozawa:
Uh-huh.

Sanada:
But only one of them could make a debut... (Sanada glanced at Nozawa.)

Nozawa:
I was in the group that couldn't make a debut, wasn't I?(Smiled bitterly) But this is the dream, so it's hard to complain. I excuse you because you don't look pleased!


Unfortunately, when our personal feelings can't forgive someone - unfortunately, him - , even so, will he forgive his way?
Please, I just hope everyone is happy. Needless to say, you are.

めめめめたふぁー


あなたは並み居るドル誌公式ツイートの中で、うっかりふぁぼRT数上位に入り込んでいるツイートが何かご存知ですか。*1

 

前振りはこちら。

(のωん)「イヌと撮りたい。うちも大型犬を飼ってるしネコよりイヌ派なの」(W1401) 

アイドルとしてはごくごく真っ当な、次のシューティングへのリクエストである。確かに犬と撮影しているという誌面というのはわりあい見かけるし、もふもふとした犬、それを触っていて破顔するアイドルのとりあわせというのも読者としてはよろこばしい絵面だろう。

 

それがだ。

発売日より5日後の13年12月12日、このツイートが公式から流れてくる。

 

[WiNKUP1月号・ジャニーズJr.お詫びと訂正]P118野澤祐樹さんの「うちも大型犬を飼ってる」という表現ですが、これは「近くに真田(佑馬)という大型犬みたいなヤツがいる」という意味であり、編集部の誤解で生じた誤った情報でした。ご迷惑をおかけし大変申し訳ございませんでした。 

 

うちも大型犬を飼ってる。


近くに真田という大型犬みたいなヤツがいる。


真田という大型犬みたいな


真田という大型犬

 

 

あ ほ か ! ! ! ! ! 
お前、お前ねぇ、やっぱりドル誌でいつだか出された胡瓜だか南瓜だかの読み分けも全問正解できなかったのにいきなりそんな高度な比喩表現繰り出すから誤解が生じるんでしょう?!!?!ご迷惑をおかけしたのも謝るのもお前さんだよ!!!!!聞いた方は普通にあぁー犬飼ってるんだー好きなのねーになるじゃん?!!そらあーいいとも犬回でバーニーズマウンテンドッグ抱っこしてて中居先輩にも「お前(犬に)似てきたなぁ」って頭撫でられたことのある真田ですけど!!!それ以来非常に狭い界隈でバーニーズ=真田みたいな扱いしてきましたけど!!!

それとこれとは話が違う!!!!!

まぁちょうど同日発売の別雑誌では「飼ってるのはカメだけ」とか「喘息持ちがいて毛のある動物飼えない」とか言ってるからおかしいなとは思いましたし、たぶん他にも違和感あった人が問い合わせて発覚したのだろうなぁとは思っていますが。マジ編集部さんにご迷惑かけてるこの人。

 


といったところで。
そもそも比喩とは、「聞き手にとって未知・不明瞭なものでも分かりやすくなるように」使う表現のことだ、と考えてよいのだと思います。「このせんべいは石のようにかたい」と表現すれば、聞き手は話題のせんべいそのものを食べたことはなくてもなんとなくかたさのイメージができる。
ただしそこには同時に別の側面があります。

 

この直喩は、「…のやうに」という結合表現によって、非常識的な類似性を読者に強制していることになる。

 

佐藤信夫『レトリック感覚』*2の一節ですが、要するに「「~のような」で物事をくっつけたら、それはそのふたつに類似性があるという認識で言ってるもんだと理解しなければならない」側面があるということです*3。ものすごく乱暴に言えば、もしある男が恋人を「彼女は天使(のよう)だ」などと言っていたら、どんなに傍目にそうは見えなくてもその男の中にはそういった認識とか思考回路があるのだとは認めてやらないといけない、とそういうことです。
要するに、少なくともこの時点では野澤さんの中に「真田と大型犬は似たようなものだ」という認識があることを我々は認めなければならないのです。

比喩とは、それによって説明されたものを知るのではない。私たちはその比喩を発した人の中身を知るのです。

 


というわけで、過去のドル誌(今回は10年~14年度)からこれは比喩表現だろうというものを少し拾ってみることにしました。野澤真田本人発言のものも、周囲が当人を指して言ったものもあります。個人の認識や感覚に関わるというより、物理的、客観的にそう言って差し支えないという、あまり面白みのないものもあります(前段落で言う「説明されたものの方を知る」というものに当たる)。
ドル誌の収集そのものにも穴がありますし、手作業と一個人の判断で拾ってきているので、そんなに高い信頼性などありませんが、それこそ個人の一関心事、暇つぶしにでも見ていただけたら良いかなーと。

 ってなわけで。

 


【真田を指しての表現】

 

「どっかのセールスマンみたいだね(笑)」(滝沢D1012)
この号で滝沢さんが直接言ったわけではなく、たきつばコンのMCの中で言われたものとのこと。当時の話しぶりは滝ちゃんねるで見た程度なので私からはさして何も言えないのだけども。続く本人の言葉、
「オレってそんなにカタそう?! おもしろいしゃべりができるようになりたいから、雑学を勉強中。」
というのも、重ねて真田自身の「セールスマン」というものに対する認識が透けて見える(まあその場で「カタいよ~」などと笑われたのかもしれないが)。いや私はセールスマンなんて業務をきちんと管理するのとは別でやわらかくてコミュ力が高くないとできないと思うよ…。「新人のセールスマン」とか言われたら本来の意図に近いのかもしれない。

 

「スノーマンの催眠術師」(渡辺D1102)
みすの時代にそれぞれのキャッチコピーをつける回にて。
渡辺「だってさなぴー見てると眠くならない?」
(*サ∀ナ)っ/*:.。゜・*ラリホー!!!
世界は平和。

 

「おまえはオレの彼女か!!」(野澤D1202)
例のドーナツ16こ事件である。そんなに買い込んできたのに「食べる?」「あげようか?」の一言もなくひとつもくれる気配のない野澤さんの態度に拗ねる真田の様を指して。

野澤「しかも何、そのスネ方!おまえはオレの彼女か!!」
真田「彼女ではない。」

ちゃんと否定はする。しかし別の誌面で
「俺が何か食べてると、ケモノのような視線を感じることがある(笑)」(野澤p1205)
という例えもしているので、野澤さんにとっていよいよ真田がなんなのかが窺い知れない。

 

「基本、サナピーはいくつになっても、中2なんだよね(笑)」(野澤W1203)
風邪引いたアピールの強さや買い物の戦利品を自慢げに見せてくる様を指して。
サーフィンとか筋トレとか都市伝説とか、おおよそ野澤さんからしたら興味のない話を延々と楽しそうにするのが真田である。せっかく野澤さんに合いそうなパワーストーンのおすすめトークをしても(のωん)長ったらしい名前だから忘れちゃった(笑)と返されるような報われなさっぷりであっても、今日も真田はかまってちゃんである。
(のωん)「母性本能がある人が合うんじゃないかな」
母性本能を通り越して孫本能のある子たちに囲まれていますが何か。

 

「真田のことは気まぐれなたまごっちだと思って育ててね!」(野澤p1205)
うん待とう。待とう野澤?

確かにこのページ、取扱説明の体裁で構成されてはいるが、誰も育てる前提で話してはいない。というかドル誌なんだから付き合うなら設定とかではないのか。その直前に話していたのも
(´サ∀ナ)口開けて寝ちゃうから加湿器が必要
とかいう内容である。育てるというか、さなじいじとして面倒を見てあげてね、がおそらく今のジュニアたちに残されたメッセージなのかもしれない。

 

「わかりやすく言うと、真田って学校の給食みたいな感じ」(野澤W1402)
真田のテンションが日替わりで高低差が激しいことを指して。

真田「むしろ、わかりにくいわ!(笑)」

その通りである。これこそ、時々野澤さんの言語選択って不思議だなぁーと思うものの一端だという気もする。

野澤「なんか、"お、今日はこれか"ってワクワクする日と、"うーん、イマイチ"っていう日があるじゃん。ホント、一定じゃないんだよなぁ」
真田「ちなみに、ごちそうの日のオレってどんな感じ?」
野澤「『いいとも』の楽屋に入ってきて、いきなり、"昨日さ、ジム行ったんだよね。どう、ついたと思わない?"ってゴキゲンで胸筋とか見せてくる。これが給食の麻婆豆腐に匹敵するくらい、いい感じの日」
真田「じゃ、イマイチの日は?」
野澤「オレが話しかけても、こっちも見ないで"(めちゃめちゃ小さい声で)おぅ、おぅ、おぅ…"、これくらい薄いリアクション」

図らずも野澤さんのイチオシ給食メニューまで知ることのできる会話である。っていうか楽屋に入るなり胸見せてくる(語弊)ってゆるゆるすぎやしないか。

 

「うちも大型犬を飼ってるしネコよりイヌ派なの」(W1401)
これな。出たこれな。
ほんとに高度すぎる。なんたってこれ、脈絡がなさすぎるのである。話題はその年度のベストショットからの今後やりたい撮影のことだったので、それまでに真田のさの字も出てきていない上でのこの発言なわけである。もしかしたら現場では一昔前の演出のようにドヤ顔しながら真田をサムズアップで指していたりしたのかもしれないが、我々にそんなことは分からない。そもそも編集の方に伝わっていないのである。なんたる。なんたる。
というかそもそも、真田が犬か猫かというのは野澤真田の間の認識に隔たりがあって、野澤さんにとってはこの通り犬扱いなのだけど、真田自身はたびたび「自分は猫っぽい」という主旨の発言をしている。それを、真田が見せないようにしているのか、どちらかと言えば犬成分が多いってことなのか、野澤さんが分かっていないのか、分かっていて犬としてしか見せないようにしているのかは、それこそそんなもの私たちには一生分かり得ないことではあるが。


「番組のおかげでサナピーの誤作動が減った(笑)」(野澤P1010)
これは直接に比喩表現と呼べるものかはきわどいが、本来は機械類に使うべき「(誤)作動」という言葉を持ち出しているのが面白いので持ってきたもの。やっぱり野澤さんの言葉選びってとても面白い。
この辺りから、上述の「真田は犬か猫か論争」に付随して、「真田はオンのときの本体と別に電源オフったときのコピーロボットちゃんがいる」という定説が持ち出されている(私の中で)。
お鼻をぽちっとな( サдナ)っ (サ∀ナ*)"゜わーいただいま起動中!

 


【野澤さんを指しての表現】

 

「歩く大型電気店」(渡辺W0908)
野澤さんは荷物が多くて、持ってる?と聞くとたいてい持っているという話から。

真田「あと、いつも何持ってる?」
野澤「ドライヤー、ヘアアイロン、音楽携帯プレイヤーの充電器、小さなスピーカー、スピーカー用電池、ゲームの充電器…あとケータイの充電器はひとつの会社用が3つに…」

いやうん電気屋さんや。
ちなみにほぼ同内容の「歩く家電量販店」というキャッチコピーをD1102(上述の催眠術師真田の号)にて改めて拝命している。更にちなみに言うとこの回決められたなべしょちゃんのキャッチコピー第一案は「歩くブブゼラ」。

 

「客観性があるっていうのかな、バスケでいうなら司令塔、つまり、ポイントガードのようだ…。」(阿部D1010)
クリエでコントを一緒にやることになったときに、野澤さんが頼りになったという話から。
私は生徒の中体連で何回か見に行ったことはあるのだが、まさに今年「別言語」という言葉を持ち出したくらい今目の前で何事が起こってるのか分からん、というのがバスケだ。というわけで、ポイントガードという言葉を出されると却って内容が掴めなくなる。なんにもつまりじゃない…。要するに周りを冷静に見てるよ、ってことでいいのだろうか。
「自分のことで頭いっぱいになってるとき、野澤は企画案をいろいろ出しててさ。しかもMCで、あまりしゃべってないオレにもちゃんと話を振ってくれた。」というのがこの前にくっついている。学年的には野澤さんが1つ上、事務所的には阿部くんが1年先、という事情を踏まえてのふたりのフラットな呼び捨て具合が非常に好きです。

 

「第二の薮くん」(野澤W1109)
自身の身長の伸び率を指して。
06年に三宅健主演の「親指さがし」に健くんの子ども時代役で出たときには肩くらいしかなかったというものが、現状あの通りなわけである。
この発言は同時に、この事務所が薮さんや野澤さんをはじめとして年端もいかないくらいの年齢から少年たちを擁していることだったり、その幼少期からの成長が画像であれ映像であれ配信され周囲(オタクに対しても)に認識されている、という前提の上で成り立っているものである。

 

「楽屋ではこの子が看守長だからね」(真田W1111)
舞台『少年たち』共用の楽屋(この年はTheyはやえだも一緒)で野澤さんが音楽(というかV6)を好き放題に鳴らしている様を表して。
12年に担降りしてきた私は10年のDVDを友人に見せていただいた程度なのだけど、それでも真田看守長は殴ったり罵ったり欺いたり相当なものである。この年はトラックで突っ込んだとも聞く。その己(の役)の所業と、野澤さんが楽屋で(*のωん)V6流しまくり!!!をしているのとは、果たして同等に並べられるものなのだろうか。並べられるんだろう。真田の中では。
っていうか!!!真田からのこの子呼びが好きだって言ってんだろ!!!!!

 


【両者の関係を指しての表現】

 

「オレと野澤って『電車と信号』みたいな関係」(真田W1211)
これね…ほんと好きだったんですよ…当時も長々つぶやいたものがあるから、ちょっと引用します。

その下に「ブレーキ」って単語があったわけだし、「電車(加速するもの。言うなればアクセル)とブレーキ」っていう例えじゃないんだ?って思ったわけです。最初は。でも、あぁ、電車に対して信号っていうのは、それとは違うなぁって。電車に対してブレーキをかけて減速停止させるっていうのは、ある意味抵抗をかける一方的な作用で、言うなれば力で無理にそうさせるものだけど、信号は、「あぁ、見てるとスピード配分が間違ってる。心配」って思うから合図を出して、電車の方はそれを視界に認めて、そうして「あぁ、」って自分と周りのことに気付いて、自分の走りに調整をかけるわけでしょう。

要するに、電車と信号の関係って、その間には気づきと意思のワンクッションがお互いにあるわけで、それが「電車とブレーキ」という例えでは出なかったニュアンスじゃないなかなぁと思って。すごく、自分と野澤さんを示してそう言った真田がすごく好き。
で、これは加えて思ったことなんだけど、電車に対するブレーキはその中の一機関だけど、電車と信号は全然別個にあるものだよなぁって。自分と野澤さんが全然違うタイプっていうのは常日頃から思ってるにしてもどれだけこの例えが意識的に行なわれたかは分からないけど、これ含めすごく好きってなってる。(121010) 

 

前ーの、夏虹の頃かに潤くんが出た番組*4で、占いの方が嵐のメンバーを、アクセル二宮相葉、ブレーキ櫻井松本、仲裁役大野、って仕分けたことがあったんですよね。占いと比喩表現もまた別のものではあるけども、こことの比較もちょっとそのうち考えてみたい。
あとはこれだな。私買ってるわさすが。13年6月のMOREに翔さんの10000字インタビューが載ってるんですが、こんな風に述べているわけです。

松潤は、いつも意見を言う人だし、さまざまな活動の中で”嵐をどう見せるべきか”を考える人なの。オレは、どう見せるべきかより、”嵐はどうあるべきか”を考えるタイプ。嵐について、別なベクトルから言いあえる、両輪っていう感じはしますよね。

真田が野澤さんを別個のものとして例えたのとどっちがいい悪いの話はないんだけど、とにかくこの2つだけをとってみても、「嵐」というのはそれが1つの個体だっていう捉え方があるんだろうなと思う。「ARASHI is back」だしなぁ。

noon boyzが単数か複数かっていう話は延々と考えていたい。双数であるのは確実だけど)

オレがガーッと走ってるとき、あいつがいい感じにブレーキかけてくれるんだよ。オレは突っ走るところがあるから、逆にあいつに常に余裕を持っていてほしいんだよね。

いや結局ブレーキ扱いなのかもしれないけど。ブレーキかけさせてくれる、くらいの意味でとっておきたい。

 


【感覚を指しての表現】

 

「嫁入りの覚悟」(真田W1201)
未だによく分からない深刻度の、ドル誌で通常進行であるところの「くっついての撮影」に対する真田の例え。

野澤「オレらふたりでの撮影ってなると、”くっつく”っていう写真があったりするじゃん。オレは別にいいんだけど、サナピーはやけに時間がかかるんだよ(笑)」
真田「それ!”え~っと、ちょっと待ってくださいね”って、気持ちを切り替える時間が必要(笑)。だってさ、普通男どうしでそんなくっついて写真撮らないだろう(笑)!」
野澤「いや、それはそうだけどさ。そんな”気持ちの整理”まで必要か(笑)?!」
真田「嫁入りの覚悟(笑)。オレ、ホントにこの人でいいのかしら…的な(笑)」

そんなにか。いやまあ確かにドル誌のそれは日常生活で想定する以上の密着を強いられるかもしれないが、真田の場合小学生のときからこの仕事をしていて芸能生活もわりと日常のはずなんだけども、それでも気持ちの整理が必要らしい。
本当に、私は真田の性自認が男性性しかないっていう考え方が本当に好きなんだけど、だからこそ自分が他の男と密着しなければならないときには女性性のレッテルをはりつけないとやっていかれないんだろうなぁって、そういうことを3年前から延々と考えている。


「ステージ上って、渋谷のスクランブル交差点で、渡っている人の視線が一斉に集まるくらいの感覚」(野澤P0909)
「ヒヤッというか、気管が全部閉じちゃったような、なんともいえないドキドキ感だったよ(笑)」(野澤W1208)

この2つは、野澤さん独特の表現だなぁと拾ってきたもの。またそこで渋谷のスクランブル交差点を持ち出すっていうのは関東中心部の人間にしかできない感覚で面白いよね。地方民だって映像で見る機会はあるだろうけど、実際に「渋谷のスクランブル交差点」と「ステージ」のただ中に立ったことのある人間にはそこに共通した感覚があるんだって考えるとすごく面白い。

そして下の方は、MarchingJのイベントでうっかりV6の待機エリアに入ってしまっていたときの感覚を指して言ったもので、「ほんと…ほんとこの人…」って気持ちになるやつ。

「あいさつはできたけど、自分から話しかける勇気はない」
「"そうか!ここはV6エリアなのか!どうしよう…でも、いきなりどくのは失礼かな。このまま近くで見ていたい気も…"って頭の中はパニック。」

この男、ガチである。

 


今回は14年の頭の方で力尽きてしまったので(誌面が別くくりになってきた辺りで)、そのうちもうちょっとがんばりたいなぁーっていうのと*5、自担さんが作詞活動されている方には作詞分含めてこういうまとめやってみてほしいなぁーと思っています。個人的には光くんのまとめが見たい。どなたかどうぞ、どうぞよろしく。

 

 

*1:W誌ツイートをFavstarで見た結果。15年7月6日時点で1340ふぁぼ、1796RTで総合15番目の位置を陣取っている。
いつの間にか有料版じゃないと上位順に入れ替えができなくなっていたので、最新情報ではない。

*2:p.81

*3:本文中では、「駒子の唇は美しい蛭の輪のやうに滑らかであった。」にあるような、川端康成『雪国』に見られる比喩が引用されている

*4:検索したら、やっぱり「くちこみっ」という番組の10年7月放送分のようだ

*5:というか、タイトルはメタファーだけど引用したのは直喩についてだし、その辺りの扱いがばらばらですみません…