一度や二度の悲しみじゃなくて

だいたい野澤と真田の話をしています

語れ読み取れ主なきコトを

 お題「最近知った言葉」

拾得物の管理の行きがかり上、届け出た人について「氏名等語らずの男」という言葉を使うらしい。「氏名等語らず」「氏名等語らずの男性」とパターンはあるらしく*1そちらだと幾分印象も変わりはするが、とかく「氏名等語らずの男」、という呼び名がやたらとものものしくて面白かった。一気に何かの物語的な雰囲気を醸してしまう。おそらくは「いえ!わたくしなど!名乗る程の者では!ハッハッハ!ハーッハッハッハッハ!」と言って去るようなものではなく、のちのちの権利の処理上尋ねられて「いや、届けただけなんで、…名前までは、…ちょっと…」っていうような感じなのを、便宜上一元化してつけているんだろうけども。おおよそこういったものは、日常の中の些末の交差である。

実際自分の場合どうだろう、と考えてみたけども、届け物をするよりも断然落し物をする方が多い。顕著なのがイヤリングで、あの東比恵の駅マークみたいなパーツは特にいつの間にか耳をすり抜けて落ちていく。その内の金属のやつがまぁ挟む痛みもないだけにダントツ落ちやすく、多少締まりのある同形状のプラスチックのやつは挟むのに広げようとしていくつばきりといっただろうか。5、6こ、片耳だけになった自作物が部屋の隅に掛かっている。夏よりも冬にダメになった場合が多いような気がするので、気温程度の差でも素材がやわらかくなったり硬くなったりというのがあるのだろうか。さてものすごくかわいかったハニカムが連なったイヤリング(これは買ったもの)は地下街で落として、帰りに気付いて探したところ父と弟との待ち合わせ場所で発見はできたのだけども誰かが踏んでしまったのか小さなパールはばらけてしまっていた。天神地下街は余所の単なる通路にとりあえず店舗を出しているようなところとは違って煉瓦通りと街燈ランプのかなり洒落た空間なので(自慢)、そこで無残になったイヤリングを見るというのもなんとなく、洒落た記憶になるのではという気持ちで乗り切ってはいるが。あるいは話題の骨格診断を、まだ受けてもいないのに「この永年にわたり備えてきた肩幅…足もわりあい大きい…俺はナチュラルというものに違いないッ…」などとハッスルした結果買い求めた大ぶりなイヤリングを、1週間か2週間かで落としたときは泣いた。逆にあれくらい大きければ片耳だけでもそういうものとしてやっていけるかもしれない。乗り切ろう。ところで結局いろいろイヤリングを宛がってみてとりあえず、ビジューが集まってきらきらしているようなきれいなのは見てるとうわぁーかわいー…!ってなるのに耳に掲げると途端に細々として存在感を失うし、あとガラスパーツをつけると本当におもちゃめいてしまうというような自己の性質は理解した。したのだが、そうなると結局診断のラベルはどうなるんだろう。そのうちちゃんと受けたい。
 
雑踏の中で破壊されてしまったものはともかく、片耳だけが別れ別れになったイヤリングはどこに行ってしまうのだろうか。もしかしたらカラスが持っていったりするのかもしれないが、世のどこかには片耳だけを拾い上げてまるでシーグラスのように眺めている人がいるのかもしれない。元の主の氏名等知らず、それでもなにがしかの記憶を持った石として愛おしく眺めて収集する人。まぁせめて、そういう人のところにでも飾られていればいいんじゃないかなぁと思ったりする。
 
 

*1:もちろん女性は女性としてあるだろうけども。あとふと思うに子どもにもこう呼ぶんだろうか。幼児にして「氏名等語らずの男」という名をつけられるとは…となるなど。男児とかにするのかな