一度や二度の悲しみじゃなくて

だいたい野澤と真田の話をしています

己のマイクで愛しい「ゆび」さえ照射せよ--『漢詩入門 はじめのはじめ』に引く「ことば」覚書

ヒプノシスマイク興隆してますね。かくいう私は去年の11月にぼんやりシンジュクのオンナになったと思ったら今年のGWを潔くバトルアンセムに溶かされかつ今もシブジュクの争いに思いきり精神干渉され続けているわけですが。そうやって沼に入り込む度に揺さぶられてしまうのがとかく「言葉の面白さ」です。

 

言葉は「特定化を許容するだけの融通性を内蔵している」といいます。

例えば三角形、と言えば四角形や丸や星といった他の形とは違う、これは三角形というものなのだ、との区別ができる一方で、その言葉は「正三角形でも二等辺でもなく、また不等辺でもなく、同時にこれらすべてでもあり、かつそのいずれでもないようなもの」すべてを一度に内包しています。*1

融通性、というのが大事です。何もかもを別々の言葉で完全に区別して指そう!私の持っているペンとあなたの持っているペンを区別して示すための言葉は10001字めが違います!とかなったらもう気が狂うわけで、ペン、という言葉さえあれば持ち主とか色とか太さとかにある程度幅があるものが一度に示せます(一方ではもちろん鉛筆や筆といった他の筆記具なりなんなりとを分けて特定する機能も備えたままである)(あるいはその特定性を前提として繋がりをずらす、時に逸脱するのが比喩とも言える。ペンは剣よりヒプノシスマイク。)。

 

言葉がそういうグラデーションの世界で成り立っているがために、人には創造/想像の余地があるわけです。独歩も「本当の世界は想像よりもはるかに小さい」て言うてます。ここで「想像できる世界は現実よりもはるかに大きい」とは言わない辺りが独歩なのでしょうが。乱数が言う通りだよ、ドーナツを見なよ独歩ぉ…焼きジャケ見えるんだから見えるって…。*2 

 

 

で。例えばバトルアンセム銃兎の

48時間勾留(ヨンパチ)喰らうか?臭い飯食うか?

鉛玉喰らうか?とばっちり食うか?

という畳み掛けなんかはまさに「食う」という言葉の多義性=グラデーションが詰め込まれた部分であって。

試しにコトバンクで「食う」を引いてみると、意味として17こもの説明が挙げられています。まぁこの場合はほぼ11の「望ましくない行為を受ける」に当たるんでしょうが。

https://kotobank.jp/word/%E9%A3%9F%E3%81%86-482263#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89

あと典型的な字義でありそうな「臭い飯食う」にしてもただそれだけではなく、このまとまり自体が刑務所行きを示す慣用句として既に機能している。そもそも48時間というのは逮捕直後の警察の取り調べ上限のことなので、歌詞の中では「捕」という漢字一文字さえ使わずにその表現をこなしていると。面白すぎるでしょうがよこんなん(「勾留」については警察から検察庁に送られた後の話というのがおそらく正確なところではありますが)。

他にも、一郎の放つ「Rest In Peace」は本来「安らかに眠れ」という弔いの言葉であるところ、敵に発しているという文脈ひとつでテメェ死んどけや殺すぞという皮肉に変わるわけです。グラデーション行き過ぎてドス黒くなってますけど。

 

そこに加えて、韻以上の音の遊び(ジゴロの意味を保ちつつ数字の語呂合わせを重ねかつ名前と連ねてきちんとカウントアップする「一二三GIGOLO一つづつを積み重ねる」とかマジでヤバい天才すぎる)*3表意文字である漢字を取り込んで使う日本語ならではの振り仮名による遊び(幻太郎の「謬錯(バグ)」。語謬の方がよく聞く気がするけどそちらではなくどちらも誤りという意味の漢字をわざわざ重ねた上で読みはバグというのはそれは、果たして自然発生か人為的か故意か過失か?とか考え込みはじめて沼にはまる)*4などなど楽しいことこの上ない。この上!なくて!!!めっちゃ楽しいんですよ!!!!!

 

 

という導入は盛り上がりつつともかくとして。

漢詩ということであればなおさら韻の話じゃねぇのかよというところですが*5、安藤信広『漢詩入門 はじめのはじめ』(東京美術)の随所がものすごい好きなので覚え書きをというのがここの本題です。特にp.101の文はこれまでにもツイッターであれブログであれ何度も引いてきたものなのですが、詩、リリックを生み出すこと、引いては人が言葉を尽くそうとすることの根源ともいえる憧憬だと思います。まずはそこから始めて、各所手元に控えておきます。

bookmared.hatenablog.com

 

 

 

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p.101
また、一人一人の世界のとらえかたの違いによっても、言葉は違ってあらわれます。「ゆび」と言ったとき、すらりとして細い指を思いうかべるか、ごつごつ力強い指を思うか、人によって違います。
なるほど、毎日の生活の中では、私たちは言葉のおおよそ共通している部分で、すませています。そうでなければ、くらしていけませんから。ごつごつしていても、すらりとしていても、手の先にあるあれ(文中傍点)は「ゆび」ということで、すませます。
けれど、日常の言葉では表現できない体験や思いを何とか言葉にしようとしたとき、私たちは真に新しい言葉を求めます。それは、たった一言である場合もあります。また、何千・何万という言葉をつらねた、長い文章になることもあります。
つまり、日々のくらしの中では、言葉はおおむね伝達の道具でしかありません。けれど、未知の体験や感覚や思想をあらわそうとしたとき、言葉はただの伝達の道具でなくなります。だいたい共通していることを伝達するだけでは、すまなくなっているからです。ごつごつしていても、すらりとしていても「ゆび」ですが、ある人のある指に心を動かされるという体験をしたとき、その指そのものを言葉にしようとしたら、ありきたりの言葉を失うでしょう。
日常の、単なる伝達の言葉を失ったとき、表現の言葉、詩が生まれ出てきます。そして言葉のほんとうの姿、そのほんとうの価値は、こちらにあるのです。なぜなら、言葉は、電話器にくっついている電話番号ではないからです。現実の世界をどう区切り、どのようにとらえるか、という人間の問いかけが、言葉の中にはふくまれているからです。
 
p.99
何百句をついやしても、実は、自分の指一つをえがきつくすことさえできません。
言葉は、どこまでいっても、物そのものであることはできません。現実そのものではないのです。
 
 p.105
言葉は現実そのものではない、と言いました。でも、言葉は、現実の物の全体像をとらえる力を持っています。「ゆび」と言えば、そこには、指紋でもない、爪でもない、関節でもない、骨でもない、肉でもない、皮膚でもない、そういう無数の要素を持ちながら、それらをばらばらに並べただけのものでもない、「指」というたしかな存在がうかびあがります。

 

p.103
見えたもの聞こえたものを、ただ描写しても、リアリズムとは言えないでしょう。それは、えがくというより、ただ伝達しているにすぎないのです。きまりきったものが、きまりきった名前で並んでいるだけなら、商品のカタログと同じでしょう。無数の見えたもの聞こえたものの中から、何を選び、どう表現するか。それを言葉に実現していったとき、ありありとした実在感を感じさせるもの、それがリアリズムだと思います。

 

p.4

詩というのは、絵筆も絵の具もいらない、彫刻刀も粘土もいらない、楽符もピアノもヴァイオリンもいらない、誰もが毎日つかっている言葉がありさえすればよい、ということ。そして、その言葉は、物理学の言葉や分子生物学の言葉のような専門的な知識・特別なやくそくごとを、必要としていない、ということ。その二つです。

一生のあいだ絵筆をもたないという人は、いるかもしれません。けれど、一生言葉をもたないという人はいません。それを音声にして出すのに障害をもつ人も、心のなかにゆたかな言葉をもっています。ですから、人は生まれながらにして、誰もが詩人になる素質をそなえているのです。まして、詩を受けとめ楽しむ力は、誰でもがもっています。
 
p.12
詩とは、人を旅だちにさそう言葉と、私は思います。詩が人をおとずれたとき、人は今までの自分の外へ、一歩でも半歩でも踏みだすからです。
日常の外へ出ることだと、言いかえることもできるでしょう。でも、そう言ってしまうと、どこかすこし違うような気がします。日常のことをうたっても、すこしもかまわないからです。日常のことをうたっても、常日ごろにはうっかりと見すごしているものを見せてくれる。そこに詩の力があると思います。人は、詩と、どのようにであうか。数えきれぬであいがあるでしょう。ただ、一つだけ共通しているのは、ふだんの言葉の生活では見すごしていたもの、見えなかったものを、詩のことばが照らし出してくれる――そういう体験が詩とのであいの中にある、ということです。
 
p.22
見ることと表現することは、案外ちかいのです。というよりも、同じことがらの二つの面を言っているのかもしれません。人間はものをよく見ることによって表現のゆたかな可能性をひらくことができます。けれど逆に、こうも言えるのです。人間はものごとを表現することによって、それをよく見ることができる、と。
 
 
 
 
「Know Your Enemy」
バトルシーズンのドラマトラックタイトルです。
費やし燃やし溢れださせてしまった言葉で、彼らは他の、己の何を見何を知るか。
今後とも、踊らされていく所存。
 
 
 
 
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以下は実際の漢詩鑑賞文で印象に残ったところ二つ。
 
p.16
友情に色があるとすれば、深い緑色です。桃花潭の水の、底に藍色をおとした、深い緑色。李白の詩を読んでから、そういう気もちになりました。二つのものをくらべて一方を上とするのは、理の勝った、つたない技巧になりがちです。でも李白の詩からは、そういう印象を受けません。それは、「水」と「情」が対比されているのに、二者択一に終わらず、ほんとうは「水」の残像をとりこんで「情」が描かれているからでしょう。もともと、「情」というものを分量ではかることなどできません。定規もハカリも、役にはたたないでしょう。けれど李白は、足もとにひろがる桃花潭の緑をたたえた水をみつめ、汪倫たちの踏歌を聞いたとき、ふいにそのはかることのできない「情」の深さを、さぐりあてたのです。
李白 贈汪倫
 
李白乗舟将欲行
忽聞岸上踏歌声
桃花潭水深千尺
不及汪倫送我情
 
李白舟に乗りて将に行かんと欲す
忽ち聞く岸上踏歌の声
桃花潭の水深さ千尺
及ばす汪倫の我を送るの情に
 
 p.25
この詩の特徴は、自然描写がほとんどすべて動詞によっていることでしょう。「中断」「開」「東流」「廻」「相対出」など。動詞、それも英語の文法の言葉なら<自動詞>とよばれるものです*6こういう言葉のつかいかたは、自然を描写するという気持ちとはすこしちがうような気がします。むしろ、自然そのものの動きが、言葉になってあふれでてしまっていると言うべきでしょうか。
李白 望天門山
 
門中断楚江開
碧水東流至北廻
両岸青山相対出
孤帆一片日辺来
 
門中断して楚江開き
碧水東に流れ北に至って廻る
両岸の青山相対して出で
孤帆一片日辺より来る
 
自動詞。好き。
ちなみに五字×四行の五言絶句では、二・四行目で脚韻を踏む(それぞれの最後の字)のが基本の決まりとのこと。(一行目にも踏んでもよい)
 
 
 
 
 

*1:池上嘉彦『日本語と日本語論』筑摩書房

<スキーマ>とは、高度に抽象的な心的イメージのことである/哲学者ロックが<典型的な三角形>のイメージとは「正三角形でも二等辺でもなく、また不等辺でもなく、同時にこれらすべてでもあり、かつそのいずれでもないようなもの」であると述べた/特定化を許容するだけの融通性を内蔵している

*2:ただ後で気付いたんですが、これはそう単純にネガティブの一端として発せられたものというわけではなく、確かに現実を見据えて立った末での言葉と捉えることもできるのかなぁなどともとも思いました。というのは、ペシミストというのはまだ起こっていないことを悪い方悪い方に考えてしまってそれゆえに、「可能性に対して」こわいという気持ちを持って止まってしまうわけであって。だけどそういうのって、いざやってみたらなんてことはなかった、「思ったほどはなかった」で済むことってよくあると思うんですよね。私たちもたぶん大なり小なり実感したことはある。そう考えると、「本当の世界は想像よりもはるかに小さい」、それは、そうだ、勝手に考えてるような場所よりほんとうはあっけなくて、ちんけで、全然立ち向かえるような場所なんだ。ほんとうは恐れるに足らないんだよって。そういう風に言った言葉かもしれないよなぁって、思ったりします。

*3:「づつ」は原文ママです。本来は「ずつ」でしょうが同じ曲で「ヒックリ 変えす」という表記が使われているのでどこまでが意図的なズレかは分かりません。ただし×GIGORO ○GIGOLOは誤字でしょうね名前だからね…!名前は間違えちゃいかん。 まぁ本来とか言ったところで四つ仮名の話とかちゃんと勉強してないし難しいのでなんとも言えません

*4:表意文字ならではというところではこれが面白かった 海外にもキラキラネームはありますか。漢字のない国ではどうキラキラさせるのでしょうか | ことばの疑問 | ことば研究館 https://kotobaken.jp/qa/yokuaru/qa-37/

*5:日本語ラップの韻分析については、この号掲載の文が面白かったです 雑誌『日本語学』 2017年10月号 - 明治書院 http://www.meijishoin.co.jp/book/b307862.html

*6:とは書かれていますが自動詞と他動詞という区別は英語に特有なのではなくて日本語にもあります

髪と銃

 

キクの体は硬かった。
高く跳ぶためにしつらえられてきたからだ。どうにもしようがない怒りを打ち付けてつくられてきた、その。
隣に寝転ぶと鍛えようのない髪すらちくちくと刺さって、熟れる前のいが栗みたい、と笑いながらずっと触っていたらへそを曲げられたことがあった。

 

あたしは自分の身を抱き込んで見下ろす。シャリ、と布が擦れる音がした。
あたしの体、湿り気を持った糸みたいな髪の束、沈んだベッド、そうしてガリバーさえもが生温い熱を蓄えていて、それ以外は雨の底みたいに冷えきったこの部屋の中で、キクだけが硬質で、冴えていて、鋭利な火を押し込めたような存在だった。
あたしの熱はキクに感化されて、でも頼りきらないであたしの温度を上げる。これが本来のあたしだって言うみたいに、穏やかに火照る身が気持ちよくて、キクの隣で笑みがこぼれた。
頭の重みで枕にもちくりと跡を残すのだ。懲りもせずにその髪に触るからキクはもうあたしを止めるのをあきらめたのはしばらくと前の話だ。
ただ、呟く。

「髪の長い奴と寝るのは初めてなのかもしれないな」
あたしは途端に沸騰したみたいに腹が立った。むかっとして引き抜いた枕を顔に叩き付けるとキクはそれを防いで怒ったように言いかえす。動きに合わせて舞ったあたしの髪に煙たい顔をする。(比喩とかじゃなくて、おそらくほんとうに鼻先を掠めたりしたのだ) 
「ハシだって、和代だって髪は短いんだ」
──そうして途端に冴えた。知ってる。知ってるわ。
ハシって。あの"弟"の名前だ。それから、そうね、それって
「──…あんたって、親のこと、和代って呼ぶのね」
「…そういえばそうだな?」
あたしが零して落とした言葉に、キク自身も今気付いたというような顔をした。


ねぇキク。
あたし最高にうれしいし、それから最高に虚しいのよ。
あんたがやけっぱちで誰も彼もと肌を求めるような人間じゃなかったからうれしいの。あたしに辿り着いて、あたしたちがパズルみたいにイビツで合うんだってことが最高に最高なの。
だけどそうよ。
あんた、お母さん以外の人をお母さんって呼べないのよ。

 


銃を手にしたキクを目の前にして、あたしはあんたのこと嫌いになりそうだった。
ねぇ、ねぇキク、銃なんて殺したって1人か2人じゃない。あんたとあたしはこの東京を沈めようとさえしてるのに、どうしてそんなもの使うの。どうしてそんな矛先の鋭利なものを、あんたは狙って、つがえて、そうして、
──…分かっているのだ。分かっていても認めたくないから追いやる。でも追いやっても追いやっても声は止みやしない。頭で鳴り響くからかき消すみたいに叫び声を上げた。
ダチュラを忘れたの!!!」


ねぇキク、銃はとっておきの相手を殺すためにあるのね。あんたを腹の中に詰めてた女を、あんたをコインロッカーに詰めた女を、憎くてたまらない大好きな、あんたのお母さんを。

 


あたしたちは漫然としたこの東京を白く塗りつぶす。だけど、あんたがそれを忘れてしまったっていうなら、あたしは銃であんたを殺してあげる。
あんたを殺すというのならあたしは絶対に、銃を手にするだろう。

そうしてこの柔らかい肌で腹に抱えて抱きしめて、嗚咽を上げるのだ。


…だって、愛してるもの。

 

 

 

 

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コインロッカー・ベイビーズ2018、開幕おめでとうございます。

酔ひたまま人々は恋の夢を見るのか?/劇メシ福岡・あさ恋まとめ


※※感想なので当たり前ですがネタバレを含みます※※

いやまぁ、ぼやぼやしてたらもう千秋楽も終わっちゃったのでネタバレ配慮いらないような気もしますが念のためね。互いに自衛をね。

というかネタバレをしない範囲となると「ちょっと待って馬越くんふくらはぎが存在しないな?(足が細いことに関して)」とか「えっ…一咲さんの足さ…つまようじ製とかなんじゃないかな…?(足が細いことに関して)」とかそういうしょうもない言説しかできなくなるので、ペロッと軽率にネタはバレます。いやお前のネタバレ感想はしょうもなくないのかと問われると…答えに詰まるんですけど…。そんなのでよければどうぞお付き合いください…m(_ _)m

 

ってなわけでまずはあらすじから。
ピボ振りは結構セリフも記録してるんですけど*1、さすがに1回だと全っ然無理だな…。あのときは物語の軸になる部分はほんとにきちっと残したくてメモとってたんですが(太字の部分)、さすがにあの明るいレストランでガリガリ本番中にもペンを走らせるとなると変人感がひどすぎるでしょ…。
しかしほんとにセリフ覚えてなくてポンコツすぎる。前後関係とか機微とかあやしいので、違ぇわ!ってところがあればご指摘ください…。

 


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 婚活イベント常連の理子(一咲)と、連れられてやってきた従姉の言栄(chelu)。2人は、理子の参加が50回を超えた特典により、プラチナシステムイベントに招かれたのだ。

210もの条件を挙げ「今度はアーティストとかと出会いたいな~!」と夢見る理子と、歴史オタクがにじみ出てしまい「タイプは斎藤一光源氏」と言ってはばからない言栄だが、責任者の御厨(横大路)は、実績に基づき理想の相手を紹介することができると、2人、そして新人コンシェルジュの朝倉(田中/篠原Wキャスト)に説明する。

 

しかし、早速現れたかと思った秋元(関岡)は予定外の来客であり、誤魔化した御厨により待ちぼうけ。遅れて本来の面子がやってくるも、言栄の相手となる柏木(岡)はともあれ(御厨とは催眠セミナーのワークショップでの面識もある)、理子の相手の源(馬越)はどう見ても挙動不審なアニオタであり御厨は動揺を隠せない。秋元・源を手配したスタッフに慌てて連絡をとるも捕まらず。かといって場をとりやめにすることもできず、半ばやけのような状態でイベントは始まってしまうのだった。

 

 

穏やかに話の弾む言栄・柏木とは対照的に、案の定、オタク趣味全開で女性経験もなさそうな源に辟易する理子。そのテーブルだけでなく、セッティングを迫る秋元や、一向に人の名前も覚えず読めない言動ばかりの朝倉へのフォローにも追われ、御厨は疲労困憊である。
そんな中、理子がとうとうこらえきれずに泣き出し席を立ってしまう。言栄が慰めるも、「ことちゃんはいいよ、柏木さんみたいな素敵な人が相手なんだから!」と余計に泣く始末。ところが、実は理子が挙げていたのはいずれも「170cm以上、80kg未満」「猫より犬派」など比較的緩いものや些末なものばかりであり、条件の指定が下手であったことが発覚するも、ようやく連絡のとれたスタッフによると源はそれら210ものハードルすべてをクリアした人物なのだという。「性格の良い人」、というものを含め。


一方の置いていかれた男性陣も2人で話を交わしていた。素の自分を好きになってくれたらいいけど、やっぱり女性とうまく話せない。そう落ち込む源に声をかける柏木だが、源の一挙一動を見るごとに心臓は跳ね、自分の中で雷のような音が響く気に駆られてしまう。柏木は気持ちを抑えて取り繕おうとするが、秋元の「インパクトが来たときに行くんだよ!」という言葉についに心を決める(ただし秋元は下痢の話をしている)。

 

 

理子の懇願によりペアを替えることになった面々。上機嫌の理子は、半ば上の空の柏木の様子にも気付かない。片や源は、オタクオーラがにじみ出す言栄とはしっかりと話すことができ安心していたが、自分のフルネームが「源光輝」であることに途端に興奮され困ってしまう。「光源氏と一字違いなんて!絶対に運命!!」盛り上がる言栄を押しとどめようとする源。いくら好きになってもらったって、そういった理由であれば困るのだ、言栄にはきちんと話さなくてはいけない、だって、だって僕は。それぞれの思いがある中でイベントは終盤、告白タイムに突入する。

 

告白希望に勢いよく挙手をする理子と言栄。しかし理子は「自分に嘘はつけない」と柏木に振られてしまう。そうして続けられる言栄の告白に対しても、源は口ごもる。
「──だってその人、源さんじゃないですもん」
突如、呑気な声が割り込んだ。朝倉だ。訳が分からず混乱する御厨や言栄たちをよそに、お互いが覚えていたことを喜び合う源と朝倉。
「僕と斎藤さん、対バンで会ったことあるんですよぉ」
「…MAN WITH A SESSIONのボーカル?!」
つまりはだ。源光輝は偽名、クマのかぶりもので有名なバンドとして有名な彼は、肩書にとらわれずに素の自分を見てほしいとの思いで参加していたのだ。

 

 

夢のようなアーティストとの出会いにころっと過熱する理子、一度は絶望するも源の本名が斎藤一だと知り再度運命論をかざす言栄、自分を解放し正直になろうとする柏木、それからそれから。


はてさて、みんなの恋の結末は。

 

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なんか…まとめが光輝くん総モテエンドみたいになってしまった…。いや全然私の書き方が悪いだけで、光輝くんが中心とか誰が主役脇役というわけではなく、婚活参加者のみならずスタッフ側の御厨さんやさくらちゃん含めみんなが同等にわーーーっと活躍する感じがあって面白かったです。あっ私が見た回のさくらちゃんは男性キャストの篠原さんです。あと光輝くんの読み方はみつきくんです。

さて以下はだらだら覚え書き〜。

 

 

・最初に言うのもなんなんですが最初に書くことでこれきりにしますんですいません。

いやーーーもう平成もじきに終わろうかというこの2018年にもう○○女子とかやめない?!めんどくさくない?!そら実態として理系に進学する男女比率ってあるかもしれないけど○○女子ってカテゴライズして何すんの?!っていうかリケジョより歴女の話ですよ私のこの昂りはね?!!歴女呼びにしても、いやそら狭く深くあれその他のジャンル以外にも目を向けてたら一人者認定しませーんってわけじゃないけど写真も残ってるような実在の人物斉藤一と架空の人物である光源氏をタイプに並べて歴女ってくくるのはちょっと無理があると思うしタイトルだってあさきゆめみしって源氏物語の方に寄せてるわけで、でもまぁそういう文学とか語学に傾倒する女性を取り分けて言う言葉がたぶんないんだもんね、リケジョに対してどうしても歴女ってつけたかったんでしょうね!まぁ再演だというのでその辺り今あげつらってもあれかなとは思うけど…って初演2016年ーーー!そう前でもないーーーー!…そっか!!そっすか!!!あぁーめんどくせぇなダァーラッシャーーーーーー(ここでちゃぶ台を放り投げる)
などということは思うには思ったのですが、言い出しても仕方がないのでこれきりにします。まぁ確かに、1時間ほどというコンパクトな上演時間を考えるとさっとキャラクターを伝える手立てとしては必要かなとは。思うし。光輝くんのアニオタにしても。
その点役者の罪ではない。というのは重々押していきたい。

 


<10アク以外の方々>

・横大路さんは、初めに出てくるしさくらちゃんと一緒に舞台設定を伝えて掴みに行かないといけないからやっぱり大変だよねぇ。ちょっとだけ分かるんですけど、左右されすぎてもあれなんだけど観客のリアクションの有無ってものすごい演者の心に来るんですよね…。そこを押して初っぱな空間を作り上げる意気はさすが本業の方なんだな〜…と眺めていた。
御厨さんってイベント責任者ではあるんだけど、さくらちゃんとか(電話の向こうにしか出てこないけど)高木とかに振り回されて、ちゅっ…中間管理職の悲哀…!って感じでお芝居で見る分にはめっちゃ笑ってしまったww
あと東京公演だと秋元役だとのことなので、それも見てみたいなぁー。かき回す役得意そう。


・新人でめっちゃ怒られる朝井さくらちゃん、あれもうナースのお仕事。あ〜さ〜く〜ら〜💢ってやつ。途中真ん中の通路で御厨さんがフルネームで怒ったときにようやく気付いた。私もリアルタイムで見ていたわけではないのですが、そのネタが実感できるの横大路さんくらいなのでは…。

 

・今回さくらちゃんはWキャストで男女が違ったわけなんですが、田中さん(女性キャスト)の回だと光輝くんは普通にしゃべれるんだろうか。女性でも対バンの知り合いだから大丈夫なんだろうか。

 

・さくらちゃん、あのにこにこきゃっきゃしたかわいい顔のままでデスメタルとか歌ってほしい。


・まぁ実際ことちゃんが何のオタクであれ、オタクの雰囲気というかやりがちな動きとかしゃべりはまさにそのものでcheluさんすごかった…! 途中でどこかな、奥のテーブルの方だったので光輝くんとしゃべってるときだったと思うんだけど、上向いて腕が宙をかくところがあってあれすっごいオタクっぽかった…。目の前のことに対して自分の語彙力に限界を感じ、とりあえず高ぶった気持ちをどうにもできず体を動かしてしまうやつ…。
終演後着替えて素で出てこられたときはとてもおしゃれなお姉さんだったので余計に、役者さんすごいなぁとなったのでした。(いや世の中擬態がすごいうまいオタクもいるけど)(そして私の方がお姉さんですけど) あのねぇ、銀のめっちゃ大振りなピアスがめっっっっちゃかっこよかった!!! あと一咲さんとの福岡自撮り旅のオフショルめっっっちゃ好き。

 

・というかガールズキャラバンの動画拝見したんですけど、一咲さんのほうがよっぽど素はインドアなんですね。映画や小説、動画はともかくポケGOを家の中でやるとはいったい…。
終演後にお話させてもらって、キャラが違うから大変だったみたいに仰ってたんですが、動画を見てから振り返ると確かに…終始高い声とテンションを保っていたのですごかった…。ピボ振りのときにも役の脱ぎ着という話をブログでしてたんですが、本編中は全然理子の役を脱がない!!!みたいな感じだった。
そしてめっちゃ…めっちゃかわいかった…。ヒールを履くと男性陣とあまり変わらないくらいすらっとして身長も高いんですが、それで何かあるごとにびえびえ 。゚(⊃Д⊂。)゚。ことちゃああああんって泣くので庇護したい欲が過ぎた。ことちゃんと理子のスピンオフほしい。

 

いちばん好きなくだりは、理子の210この条件がなんじゃこりゃみたいなやつばっかりだったときの「へたくそなの?!!」って言うことちゃんです。

 

・私がオタクであることなどこんな長文を書き散らしていることからもしゃべるのが下手なことからも丸分かりでありそしてオタクの友達はオタクなのですが、ことちゃん、大学時代の友人にすごい似てた。あの頃私はまだ二次元寄りだったので、特撮とか音楽が好きだった彼女にいろいろ連れてってもらったなぁー。D-STAGEとか石田ショーキチさんのライブとか。北海道出身の子だったので、関東で北海道のオタクと九州のオタクがそろってレバンガの応援でバスケ見たりとかしていた…。

 

・ことちゃん、戦国BASARAを引き合いに出して真田幸村の話もしてたけど、光源氏(平安文学)、斎藤一(幕末)と来ていったいどこが専門というか推しなんだろう。幸村は推しではなさそうなのにある一定の知識はちゃんと披露できる、そこがザ☆オタク。
新選組の知識PEACE MAKERくらいしかないので斎藤一がどういう人か確実ではないんだけど、それでも光源氏とかぶることはそうないのでは。っていうか彼氏にしたいタイプに光源氏って幸せになる気あるか?ことちゃん正気か?みたいな気持ちで見ていた。あっ私のピスメ推しは辰兄です。

 

・最初「クマのかぶりもので〜♡」っていう理子のセリフを聞いて、えっ…客層に10アクのファンがいるからと言ってそんな身内ネタ出していいの…!?申し訳なくない…?!と思ってしまったのだが違った。ちゃんとマンウィズの伏線だった。ごめんなさい。(先日のワンマンで坂田氏と裕貴が着ぐるみで森のくまさんをやった)

 

・というか、(゜ω゜)…かぶりものバンドであれば光輝くん、斎藤一という本名だって別に世に出していないのでは…?偽名使わなくてもいいのでは…?とあらすじをまとめながら気付いた。

 

・あとさくらちゃんが名前を間違えまくるのもちゃんとオチに絡んでいて、はぁ〜世の中の作家さんは伏線を張るのがうまいなぁ〜さすがだなぁ〜とぼんやり口を開けていた。(プロに向かって何をお前は)

 

 


<10アクの人々の話>

・マークさんは合間合間に現れてお客さんとも絡んでは布石をつくっていかないといけないし大変だなぁ。根が優しい人が、本来の自分ではない雰囲気でああいう風にぐいぐいと相手に絡みに行くのをやりきるっていうのは、それこそ「人を楽しませたい」っていう優しさなんだろうなぁ〜と、いろいろ見る度に思う。
私劇中隣にマークさんが座るタイミングがあったんですけど、ほんとオタクが気持ち悪い薄ら笑いしかできなくてすみません…。
中盤、秋元(自身の下痢体質の苦しみについて話している)と柏木(自身の同性愛者疑念について話している)でアンジャッシュ状態のやりとりなのめっちゃウケた。
(´ゴДリ)家族にもオープンなのか?! (まДく`)隠してもしょうがないだろ?

 

・あと今回近くで見て不思議でかわいいなーってなったんですけど、10アクって馬越くん以外みんな面長なのに、マークさんの頭がまぁるくてかわいかったんですよね…。髪のセットか骨格とかの問題なのかなぁ。こういう身体的特徴はテレビで見るだけだと分からないので、現場、しかもこれだけ近い距離でっていうのはいろいろ発見があって楽しいです。

 

・ゆえに、馬越くんについてはふくらはぎの存在を疑問視するほどの足の細さを改めて体感したわけですがそれに加えて、そこから相対的になのかくるぶしの存在感がすごかった。白のハイソックスの下でものすごい主張があって、えっ…あそこ人面瘡とかないよね…?って世界で五本の指に入るくらい無駄な心配した。

 

・ドンキのオープニングイベントのときに「推しとこの距離で共にクラッカーを鳴らす人生は想像してなかったな…」って思ったんですけど、推しが他のお客さんからプレゼント受け取っておじぎしてる背面全身を足一歩の距離で見られるのも想像してなかったです。意味が分からない。

 

・その一方で上半身は非常に筋トレの成果が出てTシャツがぱっつぱつなので(腕がやばい)、えっ…このオタク絶対ただものじゃなくない…?やば…ってちょっと本気で引きかけた。

 

・あと黒髪岡くん、ほんとめっっっっちゃかっこよかった…っていうか初っぱな見えたのが横顔だったのもあると思うんだけど、ものすごい輪郭がシャープだった…私…私近年あんなに自分のあご認知したことないな…。ほんと今後も黒髪検討していただきたい。


・というか、「柏木」も源氏物語の登場人物にいるんですねwikiるまで全然記憶に引っかからなかった。(私も私で本当に文学部卒なのか)
なんか、光源氏の奥さん寝取ったはいいもののそれで光源氏に睨まれて気に病んで夭逝してしまうらしい。お前!寝取るくらいならそこがんばれよ!!!とかまぁ1000年代の男に言ってもしょうがないですね。
しかしあさ恋の柏木は「源とペアだった理子の気持ちを惹いてしまう」わけなので、ある意味なぞってあるような気がしないでもない。でも夭逝はやめよう?!ピボ振りだって突然の筋道キャプテン余命1ヶ月とかいう話放り込まれたのでそんなとこなぞったら、岡くんは二連続で早死にの役を引き当てることになってしまう…いや違うよキャプテンだって死んでないよ…!

 

・で、名前というと理系の湯川理子、文系の和泉言栄とキャラに宛て書いたようなものを用意されてるわけですが、そうなると柏木衆也さん、…完全にはじめから衆道を匂わされていたのでは…?!と途中柏木の設定に気付いたときに思った。くっそやられた。
まぁそれこそ1時間のコンパクトなお芝居の中では掘り下げて解決のしようもない話題で、世の中は軽率に泉さん案件*2を繰り出し過ぎでは?と思わないでもなかったのですが、いかんせんそれを岡くんがやるものだからすごい誠実に見えて仕方なかったんですよね…。

ピボ振りで初めてお芝居を見て、岡くんは生来の真面目さがあってあんまり散らかしまくる役は向かないのかもなぁ〜などと非常に勝手なことを考えていたのですが、この度あさ恋を見てなるほど、「であればよりその方向に持っていかせればすごく合うんだなぁ」と思ったのです。設定上30代だし。
あらすじには「どこか様子のおかしい」とは書かれているし、「誠実なキャラ」って役作りによっては同時に「裏がある」こと前提だったりうさんくさいことにもなると思うんですけど(まぁ催眠セミナー参加経験者は…実生活ではお近づきになりたくないなと思いますけど…)、岡くんがやることによって(というか我々(もしくは私)が見ている岡くんの姿があることで)、柏木が全編に渡って真摯な人物に見えたのでした。
あれは薄々自分の嗜好に気付きつついろんな機会でそれを否定しようとしてきたものが(催眠セミナーもその一つであって)、ここで光輝くんに会ってしまったがために…ということなのでしょうか。柏木さんスピンオフください。くださいったらください。

 

・ただなんていうかね、こういうことをわざわざ言い立てること自体とか解決、とかいう言葉自体がなんなんだっていうものであって。男女の別とか、「私利き足が右なんですよ〜♡」ぐらいどうでもいいものになんないかなって思ったりするんですけど、そうもいかないんでしょうね。

 

・でもとりあえず、柏木の設定に気付いたとき(勘が鈍いので、光輝くんの頼んだベリーベリーピンクフラッペだかなんだかのかわいい飲み物を一口もらってMAX挙動不審になったときにようやく気付いた)もし家でテレビで見てたんだったら「えぇぇぇぇぇーーーー!えっ…えぇぇぇぇぇぇぇーーー!!!」みたいにめっちゃ叫んでたと思うので、人の目がある場で良かった。人としての節度が保たれた。

 


・あとこれは伏線というかオタクが勝手に勘ぐってるだけのやつなんですが。まだ観劇していない人たちの間でも、インスタとかで見てクリィミーマミTシャツだ〜って話題に上がってて、馬越くんにTシャツ誰が選んだんですかって聞いたら演出家さんがって教えてくれたんですよ。
で、見に行った翌朝ぐらいにハッッッて気付いたんですけどね?!! そもそもクリィミーマミ自体が(小学生の森沢優が魔法の力で成長してアイドルになるものの)「アイドルとしての自分と素の自分との乖離に悩む」キャラクターなわけですよ、じゃあ実は衣装の時点で、光輝くんが「素を隠したアーティストとしての自分ではなく素の自分を出しても好きになってもらえたら」と思っているキャラクターであることが提示されていたのでは…?!!?!って…!!!!!
いや、あの、オタクは火のないところに煙を立てがちなので考え過ぎである可能性も否めないのですが、もしこれが公式の見解と合ってたら褒めてください。いや公式さんがここを見るとも思えないですが。一瞬踏み入れたとしても途中で引き返されてそう。

 


・なおかつマミって、優→幼馴染の男の子→マミって好意の矢印が向いてたことが優の悩みの種であったし、なんやかんや経て最終的には魔法の力を返したのち(もともと期間限定)ラストでは優が大きくなった後*3彼と結婚したことも描かれているそうで。「素顔を隠したアイドル」の中でも、婚活をテーマにした今作にはうってつけだったのかなー…など…いや分かんないけど…。

 

・となるとアラレちゃん帽とかなんだったんだ。単なるアニメ関連として分かりやすいアイコンなのか。っていうかマミとアラレなら髪はピンクじゃなくて紫ではないのか。単純に光輝くんがピンクが好きなのか。

席がお近くだった方が、光輝くんが理子へのプレゼント用に出したフィギュアはセーラームーンで、持っていた水筒がハグプリだと教えてくださったんですが光輝くんのジャンルはいったいなんなんだろう…。
無駄に、(゜ω゜)どうせそこだけ少年ジャンプでフィギュアが武内直子ならかぶりものは冨樫で揃えてほしかったぜ、などと考えたんだけど冨樫作品のかぶりものってなんだ…コエンマの帽子とかか…。*4

 

・あと高村光太郎…偉大なる詩人であり彫刻家であるというのに、著名な詩集が『道程』であるばっかりにそんな…エロマンガ島みたいな扱いを受け続け… みたいなやるせない気持ちに…(理子が (><)絶対あの人女性経験もないよ!的に嘆いた後に光輝くんが好きな本として『道程』を連呼する)。

 

覚え書きはまた思い出したら足します。

 

 

 

 

最後に概要を書くっていうのもおかしな話ですが、ひとまず総括として。

 

さてさて初めての劇メシでイルコルティーレに行ってきたのでした!
劇メシの案内はこちら→http://lavo3.com

劇メシというのはかいつまんで言えば、レストランでの演劇を見るイベントです。テーマパーク内でステージが常設されたようなところではなく、普段は普通のレストランとして営業されているお店で行なわれるため、観客がいるテーブルの隣席であったり通路であったりが利用されていて演者との距離が非常に近い。先述の通り私マークさんに隣に座られてしまった。ビビる。

 

整理券番号とテーブルをざっと見るに、キャパは60人弱といったところでしょうか(劇中で使用するテーブルは空けておくので、レストランとしてはもう少し入ると思う。いやでも長机はわりとつめつめだったので、それもまた普段の営業とは違うかもしれぬ…)。イルコルティーレは壁の一面が鏡張りだったので、窮屈な感じは全然なかったです。


ヨーロッパ企画*5も来ていた西鉄ホールが464、キャナル近くのぽんプラザホールが108、先日ガラパ*6の派生ユニット「こわせ貯金箱」公演があっていた唐人町の甘棠館劇場が84とのことなので(私はこの中だとぽんプラザしか入ったことないのですが)、それら会場と比べてもぐっとキャパが少なく、演者と観客の近さ、あるいはそれ以上に、偶然隣り合った観客同士がふとした瞬間に相好を崩しておしゃべりを交わすようになる雰囲気など、場の限られた一期一会感、一体感が大きい現場だったように思います。どっちかというとお客さん同士という後者の方が劇メシの効能かなぁ~とも思う。*7

 


唯一難点というか気になったのが音響。普通のレストランであるせいかもしれませんが、音響が役者さんの声の半分かそれ以下、ってぐらい小さかったんですね。御厨さんが催眠術みたいに踊る笑いどころも、雷の音で秋元の下痢事情と柏木のときめき事情がクロスするところも、せっかくの音響演出なのに巻き込みづらいな~と思ってしまいました。

あとはやっぱり、没入感みたいなのは薄い。舞台って一面が暗転して、あっちとこっちが分断されて、腹に響くような音に晒されてそうして圧倒的に、殴られるような力の強さであっちの物語を見せつけられるものというか、そういうものっていう感覚があって、なんというかそっちの方が巻き込まれ感は強いなぁというか。

 

ただ、ただこれは決してどちらが上だ下だと言いたいわけではなくて、たぶん目的が違うんですよね(もちろん延長線上にはあろうけど)。
あくまで劇メシは『劇メシ』というプロジェクト。パンフレットにも「【演劇】をもっと身近に」「演劇にあまり馴染みがない方にも」とあるように、間口を広げる場として設けられているんだろうなと感じました。いや私も担当や好きな子が出ているものぐらいしか行ってないんで、観劇ベテランとかじゃ全然ないし上目線みたいになってたら大変申し訳ないんですけど…。

そもそもが舞台ってハードルが高いんですよね。安くないお金出して、決められた時間に出かけて3時間ぐらい拘束されて、好みかどうか確証はなくて、見てる側もそれだけでめっちゃ体力使うし。

 


それでも、舞台は楽しい。

演劇は楽しいよ。入口においでよ。

エンターテインメント劇メシ、楽しかったです!またどうかご来福を~~~

 

 

 

*1:振り向いて私の『ピボットターン』--10神ACTOR第4回本公演『ピボットターンで振り向いて』を振り返って - 一度や二度の悲しみじゃなくて http://bookmared.hatenablog.com/entry/2018/01/30/075230

*2:ピボ振りで (馬∀越*」ボーイズラブ?!ボーイズラブ私大好き! という泉さんのセリフがあったために男性同士の恋愛を指す語として勝手に使っている

*3:ただし、容姿はマミとは違って、優がそのまま成長したようなものだとのこと

*4:セーラームーン武内直子氏とHUNTER×HUNTER幽々白書などの冨樫氏はご夫婦です

*5:10アク本公演『ピボットターンで振り向いて』の脚本を担当した石田剛太さん所属の劇団

*6:万能グローブ ガラパゴスダイナモス。去年の5月公演『星降る夜になったら』に馬越くんが出演しています。私は…ハマる前だけどね…!

*7:あと今泉公園前にある天狼院書店という、喫茶スペースも併設していろいろワークショップとかをやったりしている本屋さんでのお芝居を見たことがあるんですが、あれもキャパは30人ほどで規模は大きくはないんですが舞台スペースと客席は分けられていたので(http://tenro-in.com/fukuten/22611 わりとぎりぎりにいったら最前ドセンのソファで見ることになった覚え…)、劇メシはやはりちょっと特殊だな~という感じでした

ghoti

 

ちゃぷん、と沈みこんでしまえば微かに浮力を感じる。そこが狭い浴槽であってもどこか、頼りどころもなく漂っているように思えた。

 

 

目を開くのは怖いので薄く閉じたままでいる。変に屈折するのか光がちかちかと目蓋の裏で明滅した。こうしていると、催眠療法みたいだ、と思う。音も確かには聞こえずに浮ついたようで、それでも、御し得ない息の吸い吐きが次第に追い立てるように鼓動を急かす。輪郭のない安穏と遠くから鳴らし立てるぼやりとした切迫感とが、同時に膜の向こうにあるようだった。考えているような、考えていないようなあの感覚だ。賽銭箱の前に立ったときのような、墓参りでしゃがみこんだときのような、宛てどないあの。


俺は、こうやって、皮膚がどんどん滲むように変わっていっただろうか。自分で道を90度も曲がるように走っていれば打ち立てた分岐点はそこにあったと振り返ることもできるだろうが。じわりじわりと、浸るように、馴染むように俺が変わっていく。流されたままなんて自負のないことまでは言わないが、それでも、日々少しずつ、じわりと、じわりと何かが俺に滑り込む。滲み込んだものは不可逆で、境目がなくて、どこまでが確かに元の俺だったかなんてもう分からない。それを、怖い、と思えるほど子どもではなかったし、世のギフトだと思えるほど大人でもなかった。

 

ただ、ただ不思議なのだ。こうやって浴槽の中に居続けていると、体と頭が離れていくような気がする。周りの波が滲み込んで変わっていく自分と、それをどこかで他人のように眺めて、息を吸い吐きしている自分と。


帰れる? 帰れるだろうか? 自分の体に。いつか、乖離した自分は置き去りにして、変わりきった体ばかりが、どこか遠くで動いていって

 

 

「ばん!いつまで浸かっとうとかて!」

障壁のあった世界に、音が割り込んだ。びしゃん!という家主らしい躊躇のないそれと波と咳とが一気に押し寄せた。げほ、ごほと顔を真っ赤にして息を吸う俺に、ユエが途端に叱りを解く。

 

「おま、また潜っとったとね? お前が来るけんて貧乏暮らしが風呂溜めてやりようのに、出禁にするぞ。浴禁」

洗い場にしゃがみこみ、よく分からない言葉を勝手に作りながら年上の大将らしく諌める横で、俺は咳混じりに笑ってしまう。

 

「笑い事でもなかろうが?」
「いやー、帰ってきたなと思って。体が重ぉい、はは、ははは」
「そらいっぱい中身の詰まった頭で良かったね」

互いに軽口を流して、そうして立ち上がる。

 

「俺ねぇユエさん、俺魚にはなれんわ」
「四季入れば良かっちゃない」
「人間がいいー」

一気に重力のかかった世界で笑う。あっさりと視界がすっきりした気がして、からからと笑った。

 


たまの遊びはもうおしまい。
まぁこの世界で、空気背負って生きますかね。

 

 

あさくるSEARCHER、ハッシュタグとはカバンの中身

・ツルッと出た文章でブログを書く練習

・(もう先週の話だけど)はてブロのお題が「カバンの中身」で他の人のこういうの見てるの好きだなーとなる

・我が推し箱・福岡のエンタテインメント集団10神ACTORの岡進太郎くんが会員限定動画で見せてくれた(ファンクラブ会員絶賛募集中!)(今なら3/31・4/1のワンマン直後生配信がアーカイブで見られます!!)(各日50分近く!!!)カバンの中身がめっちゃきれいで己を振り返り大ダメージを負ったのでちょうどカバンの中を整頓したタイミングだった

 

 

ということで今更ながらツルッと、カバンの中身を載せてみようと思います。

言及順が全く画像の位置関係に添っていないので、その辺りも雑さを察してください。

 


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①ジェネラルパーパスケース

http://www.hightide-online.jp/fs/hightide/item-df085

なんか改めて見たらかっこいい名前ついてた。整頓の方法として、「まとめる」「立てる」を指針にして見つけたもの。マチがそんなに広くなくて、開けようとしたときに継ぎ目がビリっていかないかな?とちょっと心配していたのですが、財布等々入れても結構するっと出し入れが出来てかつ薄くてなかなか良いです。蓋は裏のポケットに入れ込んで常に開けた状態にしています。

ちなみにハイタイド本店、10アクの根城・FBS福岡放送から3分ぐらいのところにありますよ。近。


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②財布

http://www.agility-bag.com/smp/list.php?type=class&scat=137251

横の手帳と並べてまぁ分かると思うんですが、こういう赤が好きなんですよねぇ。あとファスナーがL字で開けやすいのと革の感じが気に入っています。通帳も入る中々のでかさ(実際はケースのビニールポケットに入れてますが)なので、別売のストラップを付けるとこれだけ肩に提げてちょっと出歩くとかもできる。普段あんまりやらないけど。

今札入れのいちばん上に、推し・馬越くんのワンマン限定ファンダカードを入れて会計時に眺めています。めっちゃ顔がかわいい。

 

 

③手帳

スマホに浸食された生活になってからというもの大きな紙面では注視力がもたないのでこのぐらいがちょうどよい。スケジュール用ではなく(続かないので…)現場とかブログネタ用です。

 
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これは1月の舞台『ピボットターンで振り向いて』のときのメモ。清書した感想記事は下にあるので気になったら読んでください。3万字くらいありますけど。

表紙がガツガツに堅くて気に入ってるんだけど、メーカー名がどこにもない。

 

 

④歯ブラシ

おんなじの持ってる人めっちゃ見ますよね例に漏れずコンビニで買いました。ケースの細い方のポケットにジャストフィットです。

 

 

⑤化粧ポーチ

https://www.concise.co.jp/fs/concise/gr156/bel0003

これも雑にいっしょくたに入れてるといつもポーチの中という狭小空間ですら探し物をしないといけないはめになるので、ちょっと前に導入。中からべろべろっと縦に差せるポケットが出てくるのでブツが一発で見つかる。良い。良いけどもうちょっとスリムにはしたい。

 

 

⑥バルタン星人のがまぐち

そう、パッと見分かりづらいですがバルタン星人です。ブースカのグッズを買ったときにおまけでもらったもの。ポーチがそこそこでかいので、それと別にちょろっと持ち出せるようにリップクリームとか、あとは最近買った髪用のパウダーを鏡と一緒に入れてます。

 

 

ブドウ糖

http://daimaruhonpo.shop-pro.jp/?pid=15462015&_ga=2.186331693.503909008.1525025161-551268371.1525025161

勉強中頭に栄養を送らねば…ととりあえず導入してみた一袋め。効果のほどは未だ測定中。普段はケースの中に手帳に重なる感じで入れています。

ブドウ糖配合!とかじゃなくてほんとに真っ白い100%ブドウ糖なので、食べてたら「ディストピアだな…」と弟にディスられた。日常的にカンパン食ってる奴に言われたくねぇわ。

 

 

⑧音楽プレーヤー

お下がりで手に入れたやふー。しかしバックスペースキーの呪いにかけられた手持ちのパソコン(バックスペースキーが効いた状態が続き、フォルダを開いても上のカテゴリに戻ってしまう)からでは救出作業が遅々として進まず、大して曲が入ってません。

バルタンとプレーヤーはカバン本体のポケットに入れてはいるんですが、あんまり小さくて心許ないのでパーツクラブで買った星パーツを付けてます。

 

 

⑨ノート類

http://www.kyokuto-note.co.jp/special/center/feature/

http://www.kokuyo-shop.jp/shop/ProductDetail.aspx?sku=4901480072135&CD=&WKCD=

それこそ整理する前はノートに歯ブラシが刺さったりノートがノートを食ったり大変な惨状だったので、ノートもひとまとめにしました。がわの赤いのは椿屋四重奏2010年BRIGHTEST DARKNESSのときのグッズを引っ張り出した。パンフが入ってたんだったな。

ノートは問題解く用と進捗管理用。解いたところで見返さず解き捨て、番号振ったり仕切りを引くのが面倒という理由でマークシートノートを使い塗りつぶしもせずひたすら正誤を書き付けるというよく分からん使い方をしています。ひとしきり解いたら間違い続ける問題をルーズリーフにまとめる作業にようやく取り掛かりはじめました。間に合うんかお前。

ルーズリーフも自分で線を引くのが面倒・方眼だと一面一律に線が引かれてしまうというので統計罫を探して買いました。大学生協とかならめっちゃあったのかもしれないけど、天神の主要な文具屋歩き回っても全然見つからなくて存在を疑っていたところ最終的に新天町で発見した。ありがとう新天町。

 

 

カバン本体に入れてるのは以上。問題集自体はA5で厚みがあるやつなので別にランチトートみたいなのに入れるようにして、だいぶ、というかめっちゃカバンの中がすっきりしました。着手決意させてくれて岡くんありがとう。馬越くんにも良い報告ができるように、試験がんばりたいと思います。こんなことやってる場合かな。

 

ACTORS, Fire, and Heroic Things――10神ACTORメンバーカラー不依拠論

 

福岡発10人組エンタテインメント集団である10神ACTORには「メバーカラー」がない。
 
 
ワンマン前で声が高まったのもあるのだろうが、ここ1ヶ月程度の中であっても、メンバーカラーに言及するファンの姿(〜がないこと、知りたいと言うこと、なぜ決まっていないのかという疑問を抱くこと)を幾度となく見かけ、それに対し本人たちが直接に、自分たちはそれを特に定めないという旨を交わす機会を二度得ることとなった*1
伴ってということかあるいは他の何らかの意図か都合が先か、基本的に彼らの衣装はほぼ「揃い」である。私服かそれを模したような機会でもない限りおおよそそれは徹底されている。ちなみに言うと色など言う前に型違いのものもないと思うよ!!!あっひたむきチェイサーのスーツ。
 
 

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こういうのとか
 
 

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フィーリングを感じているのが私の推しです
 
 

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奥に燦然とかけられた白シャツ
 
 

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色が分けられたのは運動会かいす-1くらいなのでは…
ものすごい勢いで炭酸を飲んで「自主練かなんかしたんですか?」と言われたのが私の推しです
 
 

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これは揃いません 真ん中のバニーちゃんが私の推しです
 
 

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ひたむきチェイサー(notインテリヤクザ)
 
 

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○○○分の1
 
 

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お気付きでしょうが揃いのTシャツは軽率に作る
 

 

Kiss Me Fire(初回限定盤)(DVD付)

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ちなみに去年結成された九州発のアイドル・九星隊にはメンバーラーがあり、赤の山口くんが「隊長」である
 
 
基本的にメンバーカラーというものが人に対してセットで敷かれていた界隈から来た私にとってはそれが非常に新鮮であり*2、彼らの特異点であると思い、またそれが好きだと、今無性に思っているのだ
 
 
 
 
私がジャニーズ事務所で自担として掲げる真田佑馬は白(Mis Snow Man)→赤(noon boyz)→赤(Love-tune)と、所属ユニットにより色の変遷はあるもののおそらくは比較的自他共に色のイメージが一定しており、私の嗜好を振り返っても、「赤に紐付きがちな人物(あるいはキャラクター造型)」を好きになることはわりと典型的であった*3
そう、メンバーカラー、人と色が紐付くジャンルというのはおおよそ、「アイドル」あるいは「特撮」が挙げられるだろう。
まさにというところで二者を引き合いに書かれた記事、及び特撮について述べた記事があったので、以下肝要と思われる部分を適宜引用していく。
 
①戦隊モノ、アイドル…、グループにおける色と役割の関係 : NIKKEI STYLE (2011年) https://style.nikkei.com/article/DGXNASFK3000U_Q1A131C1000000?channel=DF280120166614
②戦隊ものの色と役割 https://www.tokusatsu.jp/super/iro.html
 
 
初めに特撮である。『秘密戦隊ゴレンジャー』がその色分けの祖であると示すところは①も②も同じであり一般的にもその認識はあるのではないかと思うが、②でこのような記述がなされているのは面白い。 
当時のカラーテレビ普及率が九〇パーセントを超えていた事も背景として寄与しており、「賑やかな画面作りをしないと視聴者が離れてしまう」というテレビ番組制作者としての発想からきたものでした。 
もちろんそれまでにも色に対するイメージや人それぞれに似合う色などを考えることはあっただろう。①では「色の持つ一般的なイメージ」が表にまとめられており、「青:理性的」「黄:明朗快活」などの例が挙げられている。だが、制作上の意図から彩り豊かであることを前提とした上で、明確にそれを「個人と紐付ける」(それは結果として重層的に継承されていくこととなる)というのはある種発明であったのかもしれない*4。②では「人」というものを踏み込んで「役割」「機能」と表現しており、宛がわれた色に基づいて「その色が意味するキャラクターバリエーションを内包する」と述べている。
 
 
 
比してジャニーズについては①にて、色分けの別の理由が挙げられている。「目印」だ。
 
例えばジャニーズ所属のグループは、各メンバーのイメージカラーが存在する。厳密にいえばその多くは事務所がアナウンスしておらず、固定の公式カラーでなかったりするが、演出上身につけた色が、そのままファンの間で“公式化”しているケースが少なくない。*5
(中略)
ただしジャニーズにおける色分けは、スーパー戦隊モノとは目的がやや異なる。彼らの場合、厳密なキャラ分けというより、目印的な意味合いが強い。コンサート会場が巨大な彼らは、観客に見分けてもらう手段の1つとして衣装の色を活用しているのだ。
 
また女子ドルの例も出し、
 
例えば全国のショッピングモールなどで行なわれるイベントの際、一般のお客さんはメンバーの名前を当然知らない。誰かと歩いていて偶然ステージを見ても、「あの髪の長い子かわいいよね?」「え、どっち?」「じゃいいや」と、共通の話題として成立しにくい。しかし「あのピンク」と色で呼べれば、会話も弾むというわけだ。
 
と述べている。*6
 
 
 
 
翻って、10神ACTORならばどうなのか。
確かに、上記のような(生であれテレビであれ)"すれ違いざまの出会い"に面した「色の区別」の働きは有用であるとは私も思う。咄嗟のときにきっかけになりやすい。
一方で、至極単純な話、「10人分の色分け」というのは実際問題そこそこ大変ではないだろうか。特に、彼らもライブや劇中のショータイムのときにはペンライトを扱う。単に紙の上や衣装で色分けをするだけでなく、発光した色が見分けやすいことまでを考えて割り振るのは相当微妙だと思うのだ。
 

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FBSにてリニューアル前の冠『神伝説を残す男たち』時の番組ビジュアル。緑難しい。
 
九州を拠点に活動するイケメングループ・10神ACTOR。ワンマンライブの舞台裏とこれからの想いを語る!|ウォーカープラス
先日のワンマン冒頭衣装で初めてこんなに色分けされているのを見た(写真A(2枚目))。色難しいよ!!!!!
 
 
もしくは「目印」という言葉も厄介である。引用では会場の広さをもって目印が必要だと説かれているが、彼らの現場はそこまで視認性が低いとは言えないのが現状だ。無論ジャニーズに比べて、そしてあくまで現状の話だと断っておくが。
また先程ペンライトのことを持ち出したように、「目印」は演者を見つけるためのものだけではなくファンが発信するものも指す。要は、「誰々のファンがここに/これだけいます」ということの表明のために使われうるのだ。それがどう転ぶか、その別を彼らが見たいと望むかは、果たして分からない*7
 
 
無論色の別が悪い方へばかり向くものだと思ってはいない。 
2013/8/18
人というシニフィエに対してその場の、もっと言えばこの国中の全ての人が同じ「色」というシニフィアンを共有して、その色に人を思うことができる。すのーまん及びぬーんぼーいず、乃至みすすのーまんに固定化されたメンバーカラーがあるって、ものすごい幸せなことだよ。色の演出が見たいなぁ。
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メンバーカラーって幸せだなぁーっていう感想。単純にどこが誰か分かりやすいって話と、色と人っていう本来恣意的でしかない相対関係が、もはや刷り込まれた記号と意味の合わせのように離れないでいることの今更の感慨と、そのことによって、この5人で嵐なんだっていうのが共有される感じ。
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2014/3/13
Waiting for you」メンバーカラー演出がとても好きだった。メンバーカラーとは、今誰が歌っているかだとかいう目印の意味だけではなくて、単にあるだけの「色」と「人」という恣意的な関係のものが多くの人々の中に共通言語として確立されているのだという幸せを掲げていると思う。  
これは以前、嵐Popcornツアーでメンバーカラーが使われた「Waiting for you」という曲の演出に起因して呟いたものである。あるいは以前の記事でも引用したことのある言葉に 
日常の、単なる伝達の言葉を失ったとき、表現の言葉、詩が生まれ出てきます。そして言葉のほんとうの姿、そのほんとうの価値は、こちらにあるのです。なぜなら、言葉は、電話器にくっついている電話番号ではないからです。現実の世界をどう区切り、どのようにとらえるか、という人間の問いかけが、言葉の中にはふくまれているからです。 
というものがあるのだが*8、これに対し「(自分の意思で切り取ったり連ねたりしたものではないにせよ)ただの数字の羅列であっても、例えばそれが特別な人のものであればそれはもはや何かの意味を持ちうるのではないだろうか?」などと考えることもあるのだ。
 
ひらたく言えば、メンバーカラーはある人を想起させる一端になり、幸せな気持ちを、高鳴りを増幅するものにもなる。普段身の回りにありふれていると思った色が、ただ物にくっついている、以上のものにもなるということだ。
あるいは先程は含むような物言いをしたがなんだかんだ言ってもやはり単純に、暗闇がその人を思う光でいっぱいになる景色というのはすごく綺麗だと思う。
 
 
 
 
そこまでを踏まえた上で、私は、10神ACTORにはこのままメバーカラーは存在しないままでいてくれていいと思っている。特撮由来の方面に戻ってしまうようだが結局は、やはり今安易に「色を分ける」というのは、そのメンバーをある一面で固定してしまうように思えるからだ。
②に、目を開くような記述がある。
 
『ゴレンジャー』以降レッドはチームの「リーダー」ですので、頼れる年長者として描かれることが多かったのですが、若さをテーマとした『超獣戦隊ライブマン』のころから、仲間と同じく悩みながら行動していく等身大の人物像へと描写が変化していきました。(中略)「レッド = リーダー」という固定観念を外した上でドラマの中心に据えることによって印象を強める手法がしばしば用いられるようになりました
 
 
ドラマの中心、という言葉がひどく腑に落ちた。1月の舞台本公演『ピボットターンで振り向いて』のラスト、主人公である修斗(坂田)が言う台詞がある。
 
 
これは俺の物語だと思っていたけど、本当はここにいる全員の物語だったんだ。だから、もう高望みはしません。あなたにただ愛をまっすぐ伝えたい。あなたが好きです。俺と、付き合ってください!
 
 
「俺、バスケがしたいです! あと、恋もしたいです!」という舞台のコピーを前提とし、好きな女の子*9の前ですごい技を決めて、自分の力でチームを勝利に導いて、そうしてかっこいい姿で告白する、という夢を描いていた修斗まさに試合に破れたあと、かっこ悪くてもそれでも彼女に思いを伝えたいと湧き出るこの言葉はどこかで、このグループに繋がっている。
もしも定型的に言われる"漫画のような"物語の中で自分がそこに立つ唯一の主人公であれば、まるでチートのように何もかもがうまくいくのだろう、でもそうじゃない。
右往左往も失敗もして、いろんな顔を見せて、登場人物それぞれの糸が引っ張り合い撚り合い繋がっている、それは多面的な全員の物語だ。
 
 
メンバー紹介曲として岡が『10神10色』に描いたラップ詞も象徴的だ。
 

 

自由に彩る 様々なColor 君が選ぶ 何色のHERO 

 

自由に彩る 十人十色 まだ道半ば この10人と居よう 
 
 
 
全員で、揃いで、十人とも色は自在のままで高望みしていこうぜ。
 
 
 
 
まぁ最新のペンラ24色だしね!!!

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おしまい。
 
 
 

*1:文字に残る媒体が少ないので記憶が曖昧なのだが、1つめは3/9か3/16のラジオ『10神ラ族』マークゲスト回、2つめはワンマン直後のFC限定生配信にてだったかと思う

*2:あるいは二次元であればまた色は、キャラデザの多大な要素である

*3:ちなみにシンメであった野澤祐樹は、Mis Snow Man時代は黒、noon boyz時代は青。重ねて言えば、割り振るなら金と銀という立ち並びだった

*4:例えば冠位十二階は個人というよりは立場を示すための色分けだろうし、赤が危険を示したり白が清潔さを示したりというのは感覚的に通じることだと思うので、それを超えて集団の中で色を割り振ったという話。発明、と言い切れるほどには先行研究にも学問にも明るくなく、はぁ?もっと前からこういう事例ありましたけど?など言われると分からないので、深く突っ込まずにいていただけると幸いである…

*5:思うにアナウンスというか名乗ることはない、という感じで、それこそ当たり前のように、自分に紐付くように身に纏っている、と言うのが正しいのかもしれない

*6:かわいいよねと思ったならもっと執拗に言及しろや!!!などと思ってしまったのがどうにもオタクなので、本当にもう、そうでない種の人間のための一措置なのかもしれない…

*7:ファンサをもらうための目印にする人もいるだろうし、あるいはファン対ファンに出てくることもあるかもしれない、こう、同担拒否が強い人が…威嚇に使うとか…目につけるための目印にする…とか…(動物か?) 

*8:安藤信広『漢詩入門 はじめのはじめ』1989年、東京美術

*9:私の推しがやりました

『ピボットターン』は振り向かない/それでもきっと、U R not aloneであると信じて

 

 

 

 

これは10神ACTOR本公演、『ピボットターンで振り向いて』千秋楽が終わり、物販のロビーへふらふらとした頭で出たときのツイートだ。
終演後のライブパートで、めんたい子やって*1、君と叶えたい夢があるからをやって、「俺がしっとりした曲で終わるわけないだろーーー!!」って坂田くんが叫んで最後にもう一回すいとうとやって*2、そのペンライトの海の中で、脳裏に痛切に明滅する思いがあったのだ。「このまま、ずっと停滞していたい」と。


それはそうなのだ。ハマってまだ1年にも満たないこの新規の時期というのは、新しく知ることばかりで、ハマったからにはちょうど上昇気流の中にいるようなタイミングなわけで、そんなの楽しいに決まっている。だから同時に不安なのだ。「いつか」、道を分かってしまうときは必ず来てしまうんだろうと。

 

私のオタク人生というものはおおよそ5年周期で場所を切り替えてきた。始まりはまぁ半年2クールのアニメをその後もひとりで5年こじらせていたのでまぁもう燃料がないよね…とはある意味自明で別の話にはなるのだが*3、年にシングルが6枚出されて月9にも頻繁に出るようになってもそのタイミングで離れてしまったり、今も好きなはずの自担は今日も大阪城ホールで公演を重ね来月にはユニット横アリ単独公演も控えているけれど、一向に直に見に行くメンタルにはなれていない。


今の現場は非常にメンバーとの距離が近く物販で直接話すこともできるという環境で未だに全然慣れていないのだけど、彼らはこの言葉を繰り返し言う。
「僕たち大きくなるので」、と。
舞台の上から、あるいは直に握手をして目を見られながら、あまりにも誠実に約束するように繰り返されて私は混乱してしまうのだ。


(´゚д゚`)?果たして私は彼らが大きくなることを望んでいるのか…?


ほんとにこんな顔で、1,2のポカン!とされたように「大きい」という言葉の定義が分からなくなったように空っぽの頭になってしまう。
だって私は、私が大好きだったはずの人たちと、彼らが一般的に「大きくなった」と言われるようなタイミングで道を絶ってしまってここにいるのだ。


よく言われる「存在が遠くなったから」というのは、半分違っていて半分当たっているのだと思う。私が好きになって以降のドームなり国立競技場なり新宿アルタなりクリエなりは、福岡に住む私にとっては往々にして遠い場所にあったのでそもそも近かったことがないし、入ったからと言ってその視界に入れたかというとおそらくそうではなく、そういった物理的に「遠くなった」という問題は端から起こっていない。私が道を分かってしまうに至ったのは、もう私などは省みられていないのだ、という絶望、私が望んでいたはずの未来とは逸れてしまったのだという自分勝手な絶望により生まれた精神的な距離による。勝手なフィルターで勝手に思い込んでいた「私の好きだった姿」とのズレに耐えられなくなるのだ。結局運営のやり方だったり環境や本人の変化によって「もうこのまま見ていても私が大事にしてもらえないから」と感じてしまうようになるんだと思う。こうしてオタクは擦り減っていく。

 

 

ただこれはあまりにも恨み節だということぐらいは分かっている(制御できていないこととは別として)。
ここで翻って冒頭に戻るのである。

 

もちろんできることならずっと彼らを追い続けたい。もちろんできる限りそのつもりだし彼らを信じているけれど、5年も6年も経って変わらずにいるというものもない。まして彼らは「変わっていこうと」しているのだ。彼らは何にも悪くなくても、私に弾性がないばかりにいつか受け止めきれずにバキリと折れてしまうかもしれない。最近の持論は「エンタテインメントで負った傷はエンタテインメントでしか補えない」なのだけれども、じゃあ5年後、彼らの問題以前に年齢を重ねた私の目の前に、もうそこに飛び石がなかったら? まだそのときも恨み節をぶちまけるだけの人間だったとしたら? ーーそう考えると背筋が凍る思いがして恐ろしくなったのだ。

要は、エンタテインメントに依存しすぎないように、私は私で自立せねばなぁというようなことをようやく言葉にして考えはじめたのでした。いやまぁ、オタクとしてこの人生生きてきてるので、オタ卒ができるとは思ってないんですけど。

 

 

停滞していたい、そう思ってももうあの『ピボットターン』の瞬間は戻ってこないし、振り向きもしない。
何より彼らが笑って、食いしばって全力で上を、前を向いて走っているのだ。

私はそんな彼らについて並走していくだけだ。

彼らのために、そうしていつかの自分のために。

ワンマンが埋まりますように!!!めっっっちゃ楽しくなりますように!!!私もできることがんばろ!!!

 

 

 

 


余談
今回のワンマンタイトルにもかかっていますが、『君と叶えたい夢があるから』絡みの彼らについて。

最初にフルで聞いたのはリリイベ直前のラジオだったんですが、初めはいまいちピンと来ないな、違和感があるな、というのが正直なところでした。

 

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夢を追う曲だけども「夢を掴む姿を見ていてほしい」「君が大好きだから」って言われてんっ?って思ったけどそらそうだ、まぁタイトルが『君と叶えたい夢があるから』だったわと思ったけど、いやたぶん、君=同志の話だと思ってて君=ファン(的なもの)だと思ってなかったから違和感があったのだな…

 

いや夢を追うのにこっちチラッチラッする必要はないので行ってくださいと思うもいざ真田がらぶとぅーんという形で行ってしまうとそれはそれでいつまでも怨霊みたいになってるのでそもそもファンというものに向いてないのかもしれない


同志ってまぁ平たく言うとメンバーのことですね。要はメンバー間の絆みたいなものだと思っていたせいで違和感があったと。
それがリリイベで、歌う姿に眼前で触れると、全く違った感情が沸いてきたのでした。

 

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さて『君と叶えたい夢があるから』の方ですが ラジオで聞いたときは「まだ始まったばかりの僕らの形ハッキリ見えてないけど」とか「まだしっかりと誇れるようなものこの手にはなくても」とかの辺りにいやいやいやそれ自分で言っちゃ、3、4年経って言ってちゃダメじゃない?などと思ってたんですけど

 

今日目の前で聞いて、10人で歌うのを見せられて、「あぁ、ちゃんと10人対ファンの曲になってるんだな」という得心がありました たぶんラジオで聞いたときはソロパートの多さもあって「1対1」の歌に聞こえてたから違和感があったんだろうなって

 

そう腑に落ちてから改めてさっきの歌詞だったり、2番の「夢ばかり追いかけてくことを他人がどう言っても」のところを聞いていくと、自然と、「あぁ、これはU R not aloneだったんだな」って

 

U R not aloneに「誰かに笑われた夢を今もココで見続けてます」ってあるじゃないですか これまで自分で書いてきた、ディスり芸ブログの最後にユーリ!!!のインタビューを添付したのは「野澤さんが辞めないでいることを誰も笑わないでいてくれることが力なんだ」ってこととか、

 

マリンレンジャーを、馬越くんが言うハリウッドスターっていう言葉を笑わないでいたいってこととか、そういうのが全部繋がって、本当にこの歌は上を向こう、向いていたいという決意の歌なんだ、そよぐ風のような優しげな曲だけどそれでも、未来に向かうための曲なんだって思ったらぶわぁってなって…

 

さっきの「まだしっかりと誇れるようなものこの手にはなくても」とかも、その、今や陳腐な表現だけど「俺の先に道はない、あるのはこれまで歩いてきた道だけだ」みたいなことなんだなって結局 そらそうだわ これまでやってきたことがいつか結実するようにまた、まだ歩いていくしかないってことで

 

そうしてU R~の歌詞見返すと「確かな答えは何処にもないから 探すんだ 恐れないでその足で迷っていい 何度も諦めるかって言えばいい 今までの超えた日々が僕らにはあるじゃないか」とかあるからさ…!やっぱり、あの、確かに言えるのは歩いてきた道だけってところに繋がってくるんですよ…!

 

 

U R not aloneというのはNEWSの去年のアルバム『NEVERLAND』に入っていた曲で、ファンタジー的コンセプトに沿っていた楽曲群の中少し異質な、思い切り「現実」に寄り添った楽曲です。見識の浅い人間がうかつなこと言えないので詳しいところは歌詞そのものやNEWS担さんのブログなど辿っていただければと思うんですが(NEWS担の文章力というか文章によって他オタクを撃とうとする部分わりともう随一だと思ってるところある…)、こういう気持ちを10神ACTORが歌ってくれるなら、今はどこまででもついていけそうな気がしている。

 

もしかしたら
「拝啓 あの日の私へ 今はココに立っています 私に笑われた夢を 今もココで見続けてます」
って、歌えるかもしれないね。
そうあれますように。
「少しずつ前へ not alone」
I believe in my way, my life」
を掲げて。

 

 

*1:『Petit Petit Lady 〜めんたい子、福きたる〜』 https://youtu.be/jA1_t9zaDuQ

*2:『君の笑顔にすいとうと!』 https://youtu.be/uoVKZGW2pm0

*3:01年テレ東系放送『スクライド』。まぁその後10周年のタイミングで総集編劇場版が出たりしてて今も大好きです。私の根底にはロストグラウンドの悪魔。